よそ者の兄弟
「今日はありがとうございましたー」
茸林と稔間に礼を言い、僕らは茸林家を後にした。
「ところでよ、お前ら……」
二人の姿が見えなくなった途端、都麦がなにやら興奮して話し出した。
「あの家、厳重すぎると思わないか?」
僕と九木はお互いに顔を見合わせた。
あのカメラは、百音の失踪以前から設置されている。つまり元々、あの家には徹底した監視をする理由がある。
「都麦さんは、なにか知ってるんで……」
「そう!」
「うわっ」
唾を飛ばしてきた。最悪だ。
「お前らがどっか行ってコソコソしている間に」
「してません」
「俺が訊いたんだよ! 流石に茸林は言わなかったが、稔間が漏らした! あの家の秘密をよーっ!」
テンションの高さが否応なく嫌な予感を抱かせる。僕の周囲の人間は、みんな静かであってほしい。切実に。
「金さ! キ・ン! インゴットが、あの家のどこかに隠されてるんだ!」
「い、インゴット……?」
ゲームでしか見たことない。興味がないと言えば嘘になる。重さによっては百万を超える……莫大な富の象徴……。
「どうやら茸林の祖先が地主だったらしくて、その遺産が、塊になって保管されてるんだと。デカい家も納得だろ」
「スケール、デカすぎ……」
「怪しいのはやっぱり、俺たちが話していた、あの部屋だ。入口をカメラで見張ってるなんて、なにか隠してるに決まってる!」
どうやら稔間は、口を滑らせすぎたらしい。一人の男の目が、金の輝きに眩むくらいには。
「金、かぁ……」
九木の目の色も変わっている。
しかしそれは、欲望に揺らいだからではなさそうだ。
「こりゃくねくねより、よっぽどロマンだぜ。……俺はこのまま帰るが、お前らはどうする?」
「……わたしたちはもう少ししてから……」
「そうか! じゃあな!」
もうすっかり金のことで頭がいっぱいのようだ。別に貰えるわけでもないというのに……。
それにしても、「くねくねよりロマン」とはな。都麦の基準は、至極真っ当なようだ。
真っ当ではない女は、都麦の発言を聞いてから、頭を捻り続けているというのに。
遠くでひぐらしが鳴いている。2人になった途端、自然の音が明瞭に聞こえる気がした。
「……お前は」僕は問いかける。「やっぱり、くねくねがこの町にいると考えてるのか」
「……いる、とは思う」
「曖昧だな」
「歴史があるからね。でも、今回は無関係だと思う」
つい「良かった」と言いそうになる。怪異を探しに来てはいるが、そんなもの、遭遇しないに越したことはない。
そもそも、また人が死んだ場所に来てしまって後悔しているというのに。怪異がいないとなれば早く帰れるはずだ。
「実際に、くねくねを見たよって人がいれば、話は別なんだけどねー」
「いるわけないだろ。いたら、大騒ぎだ」
夕陽に染められた地面に、小さな影が落とされた。
「──見たよ、俺」
不意にかけられた声に驚く。
「あ?」
振り返れば、覚えのある顔だった。
「お前は……えっと、小豆?」
「……うん」
まだこの町に着いたばかりのときに出会った少年、畑國小豆だ。
「あれ、知り合い?」九木は僕たちの顔を見比べる。
「お前がいないときに、少しな」
「え! 凄いじゃん星太郎くん! 誰とも話さない人だと思ってたのに、子どもとは話せるんだね!?」
「お前……僕のこと馬鹿にしてるよな?」
「え……? 全然してないけど……」
「じゃあお前の性根がひん曲がってるってわけだ」
いや、そんなことよりも、だ。
「今、なんて言った? 見た? 見たって……まさか、くねくねを?」
小豆は控えめに頷いた。
「ほ、本当に……?」
「お前が? 見間違いじゃなくて?」
「俺と……兄貴が。たぶん、見間違いじゃない。だって……しっかり見ちゃった兄貴が……消えたんだもん」
さっきも言っていた。小豆の兄、畑國大豆は、今朝から行方知れず、と。
茸林百音や高蕪と同じ、くねくねによるものだと?
「あの……くねくねについて調べてるんだよね? だ、だったら……お願い、そいつの正体を暴いて! 兄貴がどこに行ったのか、分からないんだ……!」
おかしい。
怪異などいないと、そういう流れだったはずなのに。事件とは無関係でいられたはずなのに。
蟻地獄に落ちていくように、僕は呪いから逃れられないのかもしれない。
***
坂道を登ると、家が一軒も見えなくなる。高い木々に見下されながら、獣道を抜ける。熊が出るらしいが、ここには出るのか? 念の為、熊鈴は持ってきているが……。
もう夜になって、油断すれば遭難は必至だ。
無言のまま少年は僕たちを誘う。
やがて、崖に着いた。見下すと車道が見えるが、3か4階建てくらいの高さがあり、飛び降りたら無事では済まないだろう。
「高いねー」
「あ、あれを……見て……」
少年はおずおずと指を差す。
目を凝らす。曲がりくねった山道を下った先に一軒家が建っていた。家の前には、未舗装の道を挟んで水田が広がる。
「家……だな」
「家……です」
「……」
「……」
なんだ? この空気は。
水田の周囲には幅広の用水路が引いてある。見ていると故郷の景色を思い出してきた。別に、望郷の念に駆られたりはしないが。
「あの家……高蕪さんって人が住んでたんだ」
「ああ……あれが」
山々の絶壁と、足場の悪い急斜面に囲まれて孤立している。確かにあれでは、経路は限られてしまうだろう。
かろうじて、斜面が緩やかな道……と言えるかも微妙な箇所がある。そこから山奥に進めそうだ。
高蕪が消えたというのは、あそこからだろうか。
「高蕪さん……くねくねを探してた」
「探してた……? 怯えてたとは聞いたが」
「『俺が仕留める』とか、言ってた」
猟銃をすぐ取り出したのも納得だ。
「それで……俺と大豆に、ここで見張ってくれって言ったんだ」
「なんで見張らせる?」
「高蕪さんがいない間、田んぼにくねくねが出たら、教えるようにって」
理由は分かったが、なんでこの兄弟に頼んだのだろう?
「他に誰かいるだろ……」
「ほら、星太郎くん。高蕪さんは人嫌いだよ。頼める人も限られてたんだと思う」
「だが、それでもなんで……」
「俺たち、都会から引っ越してきたんだ。
──だから……他の人たちから避けられてて……」
田舎のような閉鎖的なコミュニティにはありがちだ。僕の故郷では、閉鎖が極まりすぎてよそ者が来ない。逆に分からない感覚だ。
「あ、分かった。高蕪さん、君に親近感を抱いちゃったんじゃない?」
「そうかも……よく、分からないけど……ときどき、話しかけてくれたりはしました」
「根は優しかったり? ちなみに、引っ越してきた理由は?」
小豆の声は、ただでさえ小さかったが、さらに小さくなる。
「……お母さんが、ちょっと、病気で……お父さんは元の場所で働いてるんですけど、俺たちはこっちで、看病……」
病気という話は初対面のときに聞いたが、詳細は初めて知った。自然の中で療養、といったところだろうか。
「……苦労してんだな」
その上、兄貴が行方不明となれば、母親の負担は小豆にのしかかる。12歳の少年に対する試練としては、過積載にもほどがある。
「それで、くねくねは?」
九木は空気を読まない。
「あ……そうだった。くねくね……。
俺たちは……その日、変な外国人を見たんです……」
「え?」
変な外国人? 思い当たる人物は一人。顔は知らないが、おそらく彼だろう。
「コーンさんだね」九木が耳打ちするので、僕は頷いた。都麦と一緒に来た留学生。現在、身柄拘束中。
「『くねくねについて話を聞きに行きます!』って、男の人と話してたのを見て」
「気になったのか」男の人とは、きっと都麦だ。
「高蕪さんのところに行くっていうのも聞こえた。だから、ここに来れば見られるかなって……でも、時間かかっちゃって、その外人は見つけられなかったんだけど」
「──代わりに、見つけた?」
小豆は消え入りそうな声で呟く。
「……はい。白い、なにかが……」
小豆の指差す方向は、水田のど真ん中だ。
高度と距離のせいで、立っているカカシも薄ぼんやりとしている。
「くねくねって、見ても平気なこともあんのか?」
「えっとね、元のお話では、語り部が最初に見つけて、次にお兄さんが双眼鏡で覗いて、おかしくなっちゃった。だから見るというより、それがなんなのか認識したらアウトって感じだと思う」
「……ってか、見つけたのが兄弟って、同じじゃ……」
「凄い偶然だね。それを見ちゃった小豆くんたちにとっては、たまったものじゃないけど」
九木は小豆に向き直る。
「くねくねを見たときの流れを、お姉さんたちに教えてくれる?」
優しい年上ぶっている。鼻で笑うと、横目で睨まれた。
「まず、俺が……『なにかいる』って言って、兄貴に教えた……教えました。で、兄貴が見たんだけど。俺は、なんか怖くて、兄貴が見終わるまで待ってた」
「君はちゃんと見なかったんだね。それで?」
「兄貴は……しばらく見てから、俺の方を向いた。で、言ったんだ。
『絶対に見るな。誰にも、絶対に言うなよ』……って」
誰にも言うな?
見るな、は分かる。そのときすでに、くねくねの噂は流れているはずで、畑國兄弟も頭をよぎっていたことだろう。大豆はくねくねから、弟を守るために言ったのだろう。
だが言うなとはどういうことだ。噂の怪異が現れたとあったら、誰かに告げたほうがいいに決まっている。
「なるほどね……。で、君とお兄さんはどうしたの?」
「兄貴は、もう一度『見るな』って言ってから、ここから離れるように、俺を引っ張った。だから、俺は最後まで白い影がなんなのか、分かんなかったんだ……。
それから少ししてから、銃声が聞こえた……」
コーンが人のいる場所に戻ってきた頃の話だ。
「兄貴は凄い必死な顔して……俺はどうしたの、なにがいたのって訊いたけど、ずっと黙ってた。それで、夜までは家にいて、でもやっぱり黙ったままで……朝になったら、いなかったんだ」
「……百音さんや高蕪さんと同じことになった、って考えたんだね?」
「うん……」
今はまだ、行方不明ということになっている。しかし、二人の末路と同じと考えれば、大豆もいずれは……。
「じゃあ、早く見つけてあげないとね。星太郎くん」
「ああ」
「それと……くねくねか……」
関係ないと思っていた怪異が、再浮上してきた。
「星太郎くん。くねくねの正体、突き止めなきゃいけないよ。小豆くんと、お兄さんのためになるんだからね」
「お前な……」
良心に訴えてくるのはナシだろ。
しかし。
ここでやらないと言うのは、なによりもナシなことだ。




