証言 ‐茸林‐
夕暮れだ。日が落ちて、茹だる温度もいくらかマシになる。
一軒の平屋の前に立つ。古めかしい日本家屋だ。おそらく、この町で一番大きな住宅だろう。
瓦の屋根に、白塗りの漆喰と木製の柱で構成された壁。石塀で囲われていて内側は見えない。
家の正面には、道路を隔てて水田がある。
気になるのは、玄関の上に監視カメラが設置されていることだ。古風な外観にそぐわない。
カメラはしっかり作動しているようだ。そう思わせるダミーの可能性もあるが、なんにせよ、この家に盗みに入ろうとする輩は現れないだろう。
「4ヶ月前に事件があったのは、この家だ」
都麦は門の前で言った。
表札には『茸林』とある。
「確か、奥さんが失踪して、その後に山で見つかったんですよね。高蕪さんと同じだ」
道中、事件の概要を掻い摘んで教えられた。
***
茸林家の亭主である、茸林雅人は仲間たちと共に農作業をしていた。5月、苗を作っていた。
彼の妻、茸林百音も一緒だった。
そしてある程度一段落したところで、百音だけが先に、家へ戻ることにした。どうやら、家で育てていた花の世話をしようと急いだらしい。
10分が経ったあたりで、雅人も家に戻った。小型の時計を置いて作業していたため、この時間は正確だそうだ。
雅人は先に帰った百音を探した。しかし奇妙なことに、家のどこにも彼女の姿はなかったのだ。
まるでマジックショーのように、彼女は失踪した。ほんの10分の間に、だ。
警察に通報し、捜索されたが──。
百音は1ヶ月後、山の中で発見される。
***
僕は監視カメラを見ながら訊ねた。
「これ……そのときには設置されてなかったのか? あったら映ってたかもしれないのに」
都麦はぶっきらぼうに答える。
「あったよ。でも映ってない」
「映ってない?」
カメラの死角を利用したのか、と思ったが、もしかしたらそう単純な話でもないのかもしれない。
ガラガラと大きな音を立てて、引き戸のドアが開け放たれた。
中から現れたのはぷくぷくと肥えた、洋梨のような体型の男だった。
彼が茸林雅人かと思ったのだが、都麦は「あ……?」と戸惑っていた。
「おー? あんたら、なんの用だ?」
男はなまりが強かった。快活で、しかし目つきは卑しく疑うようで、僕たちをジロジロと見回した。
九木に対しては、目つきが一層険しくなった気がする。
「茸林さんはいらっしゃいます?」
九木はその視線を気にする様子もなく、朗らかに訊ねた。
「おーん……いるべや。中、入るか? 雅人、具合悪くて寝てるけんど……」
「具合悪い? 風邪ですか?」
「夏風邪かもなぁ」
「ところであなたは?」
「おらぁ稔間ってんだ。雅人の幼馴染な」
本人ではなく幼馴染なる人物の許可をもらって、僕たちは茸林家に入っていった。監視カメラの目が、不気味で仕方ない。
「ところであんたらはなんだ?」
「この町のことを調べに来ましてー」
九木が当たり障りのない回答を返す。
「わたしは九木と言います。で、こちらの2人が……」
「九木。はぁ、珍しい苗字だ。下の名前はなんてんだ?」
「え……狐十子です。『こ』が4つ。……それで、このふた──」
「狐十子ちゃんってのか! いい名前だべなぁ。この町にゃ若ぇ子が少ねえもんで。狐十子ちゃんみたいなもんは新鮮だぁ」
「……はぁ」
あからさまな温度差を感じながら、僕たちは廊下を歩いていく。
家の大きさとは裏腹に廊下は狭い。その分、部屋が多いのか、広いのだろう。2つほど和室を素通りし、縁側に出た。
庭は質素なものだ。中央に大きな植物が植わっているが、それ以外の緑は小さく生えた雑草くらいだった。
塀の向こうには、一軒家が建っている。コンクリート製の現代風建築だ。和洋ごちゃ混ぜの町並みだ、と感じる。
奇妙なことに、玄関にあったものと同じ監視カメラが、縁側の庇に取り付いていた。廊下を歩く僕たちを、ギロリと睨んでいる。
また1つ部屋を通り過ぎてから、稔間は立ち止まる。先にある部屋を指差した。
「そこに雅人はいる。……おーい! お客さんだべー!」
障子戸を開けて、男が出てきた。
痩身で、髪が少し薄くなっているが、それはストレスによるものかもしれない。実年齢は分からない。
奥さんを亡くした悲哀が、身に纏わりついているようだった。
「……はじめまして。えぇと……どちら様でしょうか……」
目の下にはクマができている。
「俺は都麦」さっきから紹介を遮られている都麦が、食い気味に名乗った。「こっちは九木と鬼灯」
茸林雅人は困惑している。ますます弱りきった顔になり、こっちもなんだか不安になる。
「俺たちはこの地に伝わるくねくねについて調べています」
「くねくね……」
「それってあれだべ?」稔間が割って入る。「高蕪の事件で出たとか……噂になってる」
町中がくねくねを恐れている、という都麦の発言は、割と正しいようだ。
「ってことは、君たちは事件について調べてるのかい?」
「あーいやいや。偶然、間が悪いと言いますか。でも、関連付けて調べようとしてるのは確かです」
「なるほど……つまり、私の妻のことを?」
想定より早く、核心に迫られた。話の流れを作っていた都麦も、思わず言葉に詰まってしまった。
しかし「違いますよー」なんて言うつもりもなく、僕たちは首肯した。
「もちろん、不躾であることは承知してます。話したくないのであれば……」
茸林は静かに首を振った。
「いや……大丈夫。せっかく来てくれたんだから……」
大丈夫そうには見えないが、本当に良いのだろうか?
「隣の部屋に行こう」
来た道を少しだけ戻り、庭に面した和室へ向かった。
「この部屋は……」
僕は訊ねた。うっすらと嫌な予感はしている。
「……妻が、消えてしまった部屋です」
途端に、薄暗い瘴気のようなものが漂い始めたようだった。
出入り口は、僕たちの眼前にある障子戸だけだ。他に窓はない。奥に襖もあるが……。
「あれは押入れです」
僕の視線で察知したのか。茸林は、疑問の答えを先に用意した。
床の間がある。掛け軸がぽつんと飾ってあるが、やや斜めっている気がする。なんだか厳かな絵が描かれているみたいだが、これではなんとも情けない。
来客が泊まるためにある部屋だと茸林は言う。
僕たちは低いテーブルを囲んで座椅子に腰掛ける。なにも飾られていない花瓶が、寂しく置かれていた。
「……どこまでご存知ですか?」
都麦が率先して答える。
「奥さんが田んぼから先に帰って、雅人さんが帰る10分の間に消えてしまったと……」
「ええ。その通りです」
「あのー」
と、間の抜けた声を発したのは、九木だ。まるで小学生のように挙手をしている。
「消えた瞬間って分かんないんですか? あそこの……監視カメラで」
庇に設置された、庭を映すカメラだ。確かにあのカメラは、この部屋の入口を視界に収めているように見える。
「残念ながら、あのカメラは……部屋の中までは映してないんです。本当に入口だけ……」
「ありゃ」
「ですが、その映像が謎でしてね……」
「雅人、見せていいのか?」稔間は至極当然の態度を示す。
「いいんだよ。見せた方が早い」
そう言って茸林は立ち上がる。
体調不良のためか、少しよろめく。本当に不安になるから、できる限り大人しくしてほしい。訪ねてきた僕が願うことではないが。
部屋を出てから5分くらいで戻ってくる。手には大きめのタブレットを持っている。
「当時の映像データです。警察の方にも見せました。せっかくなので見てください……」
僕と九木の目が合う。九木の瞳はなんだか輝いて見える。怪異が映っているとでも思っているのだろうか?
荒く、遠い映像だった。
唐突に、映像が開始される。
女性が廊下を歩いていた。
茸林百音だ。
角度で顔は見えない。彼女がいったいどんな容姿をしているのか、僕たちはまったく知らない。
百音は障子を開けて、中に入る。開けっ放しだったから、中の様子がかすかに映る。
百音の上半身が画面の外に消え、足元だけが残る。
そこで動きが止まる。風が吹いているようで、庭の草が揺れていた。一時停止にはなっていない。
それから足が素早く、部屋の奥に、完全に消えた。
茸林は静かに告げる。
「……この映像を最後に、百音は完全に消えてしまいました……」
そして映像が終わる
もはや怪異というより、超常現象ではないか。
「これ、編集とかされていないんですよね」
茸林はわずかに顔をしかめたが、変わらない声色で答えた。
「されていない。警察が徹底的に調べたからね」
「これより前の映像とかも無い?」
「今のが最初から最後だよ。ああ、私が現れて、また録画が再開するんだけど……」
映像がまた動き出す。茸林本人が現れている。
部屋を覗き、百音がいないことを不審がって、廊下を引き返した。百音の名を呼んでいるのかもしれない。
「この部屋に、花が生けられてあったんだ」
彼は空の花瓶を指し示した。
「花の様子を見に来たんですよね」
「すいません。もう一度、巻き戻してもらっていいですか」九木が言う。
「え?」
「お願いします」
茸林は不審がりながら巻き戻した。僕も不審がっているのだから、さっき初めて会った茸林と稔間は、非常に訝しんでいることだろう。
「……んー」
九木は納得したのか、していないのか。口をへの字にしながら視線を外した。
「さっき、警察に見てもらったと言いましたが。この後、すぐに通報したんですか」都麦が質問した。
「はい。警察はすぐ捜査に取り掛かりました。他の映像データも、近隣住民への聞き込みも、調べられるものは徹底的にやってくれました」
しかし、見つからなかった、ということなのだろう。
「どれくらいだったかな……。1ヶ月、かな。山での捜索隊が、妻の……手を発見しました」
「……手? っていうと……」
「手です」
茸林は自身の右手首を掴んでみせた。グロテスクな光景が目に浮かぶ。
「熊に……食われたんでしょうね。残りの部分は……見つかりませんでした……」
茸林の声が酷く震えてきた。「もうやめとけ」と、稔間が背中をさする。
かなりの苦しみを耐えてきたのだろう。想像を絶する体験だ。無理に掘り起こさせたことを、少なくとも僕は後悔していた。
九木がどう感じているのか。表情からはなにも察せない。
「……あー、えー」都麦も気まずそうにしながら続ける。「当時は……くねくねの噂は出回りました? っていうか、いつから噂が流れ始めたんですか?」
茸林は落ち着きを取り戻して言った。
「流石に、はじめは誰もくねくねの仕業なんて言いませんでした。存在とか伝承すら知らない人も多かったはずです。でも、高蕪が……言い出したんです。『くねくねが狂わした』と……」
「伝承に詳しかったんですね」
「最初はみんな馬鹿げてると、相手にしませんでした。でも、百音が姿を消した方法がいつまで経っても分からず……そのうち、これは『人間の力の及ばない、怪奇現象だ』と囁かれるようになり、…」
「それで、高蕪さんの言うとおりでは、と」
「あいつ、高蕪は……はっきり言って、倒錯していました。くねくねを恐れ、他人をそれまで以上に寄せ付けなくなり、農具や猟銃で武装までする始末。
でも、あいつの怯えも、正しかったのかもしれない。くねくねは、実在して、人々を襲っている……」
くねくねは、実在する?
まさか、今回は本当に、怪異が人を襲った事件なのか?
「町民たちはみんな不安がっています。私にどうしたらいいか、なんて聞きに来る人も多く……」
「信頼されてるんですね」
「家の大きさは、信頼感の大きさですね……」
茸林は自嘲気味に言った。
「それで、なんて言ったんですか?」
「……山の北方向へ登ると、祠があるんですが……」
「まさか、『お前、あの祠に行ったんか!?』でお馴染みのやつですか!?」
「……いや、それは分からないですけど……」
この女は変なところで急に興奮しだすから、嫌だ。
「意味があるとは正直思えませんが……もう、神のような存在に頼るべきか、と……」
「祠に行って……除霊……みたいなノリで?」
「まあ、はい。あはは……外の人たちからしたら、馬鹿げてますよね」
「いえいえ! お気持ち分かります!」
お前みたいなやつが?
「祠までの山道はちょっと足場が悪く、危ないので入ってもらいたくもないんですけどね。まあ、この町の人なら大丈夫か……」
「……一回、行ってみたいなぁ……」
「バカ雅人、んなもんいねぇって。誰か、頭のおかしいやつが、とりっく? ちゅーもんを使って、どっか隠したんだべ!」
隣で「いますよ……怪異は……」と、九木が恨めしそうに呟いたのが聞こえた。
「ですが……くねくねだった方が、ある意味……良いと思いますよ……」
茸林は虚ろな目を彷徨わせる。
「何故──」
「だって、4ヶ月前の百音、そして数日前の高蕪……似たような手口で、人を攫って殺す、猟奇殺人犯がこの町にいるってことに、なりますからね……」
「そりゃあ怖え。あれだな。本当に怖いのは、人間だっつー話しだべなぁ」
「……うーん」
……見ずとも、聞かずとも分かる。九木は苛立っている。
未知を愛し、人という既知に飽き飽きしている彼女は、きっと叫びたいことだろう。
本当に怖いのは人間、などではない、と。




