山間の町
山間をバスが突き進む。山道だが、景色は普遍的な木々と土砂崩れを防ぐ擁壁ばかりで退屈だ。
対向車線からは車がちらほら走る。これから向かう目的地からの移動車だろうか?
目的地は山の中腹にある。また田舎か、と苦々しく思うが、やはり人ならざる存在は、人の手が入っていない地にこそ多く住まうのだろう。
「……急に元気なくなったな」
隣で窓の外を眺めたまま、怖いくらい無言の九木に話しかけた。
「……ん」
「……」
「バス、嫌い」
そういえば、僕の故郷に行ったときもバスを使っていたが、あのときはどうだったっけか。知り合ったばかりで、普段との様子の違いなんか分かりようがなかった。
バスに揺られて小一時間。町と言うにはうらぶれているし、村落と言うには栄えていた。
山道をムリヤリ切り拓いたかのような土地に、住宅が点々と建っている。年季の入ったトタンの建築があるかと思えば、都会でも見かける現代風のもあって、まとまりがない。
青々とした田園が広がる。家より水田の方が多そうだ。
「暑……」
真夏日だが、暦上は九月だ。
火のような日射が草木を光らせている。暑い。暑すぎる。
「宿まで急ごうよ」
今までの遠出と違うところがある。なんと、宿に泊まれるのだ!
僕の家とか、ネカフェではなく、正真正銘の宿。素晴らしい。
「一応訊くが。予約はできてるんだよな?」
「当たり前じゃぁん。そこらへん、わたしはきっちりしてるんだ」
「あっそう……」
「ちなみに一緒の部屋ね」
「あっそ……あぁ?」
聞き捨てならない台詞を吐きやがった気がする。
「一緒の部屋」
「なんでだ!?」
ふざけるなよ。
僕の激昂は意味をなさない。何度言ったとしても気持ちは晴れないし、状況も変わらない。
「しょうがないじゃん。2人からしか予約できないし、個別の部屋にしようとしても、無理だって」
「じゃあ別のところにしろよ!」
「この辺、1つしか宿がなかったんだよー」
「冗談じゃないぞ……!」
悲しいことに、冗談でも夢でもなかった。太陽の暑さは身に染みるし、苛立ちで頭もしっかり痛む。白昼夢などではない。
「あ! 凄い! 雰囲気のある古民家!」
そう言うと九木はこの暑さの中、立ち止まって建物の写真を撮り始めた。また怪談のネタにしようと目論んでいるのか。
「ね、星太郎くんも一緒に写る──」
ごちゃごちゃと喋る九木を、僕は遥か後方に置き去りにしていく。蝉が自慢の声を響かせて、あの女の声をかき消してくれた。
「──あ、あの……」
旅館が見えてきて、ようやく暑さから逃れられると息をついたときだ。
小学生か、ギリギリ中学生くらいの少年が僕に話しかけてきた。
衣服の雰囲気が田舎らしくない。彼の体から、どことなく、陰気な空気が醸し出されている。
「……なに?」
「あ、あんたら、この町の出身じゃないですよね?」
少年は控えめな声で、しかし妙に切羽詰まった調子で言う。敬語とタメ口が混ざった言葉遣いは、見た目相応の幼さを感じさせた。
「ああ……さっき到着したばかりだ」
「……俺の兄貴を見ませんでしたか?」
「兄貴?」
見るもなにも、どんな外見をしているのかも知らないのに、分かるわけない。
「何歳くらい?」
「兄貴は15です。俺は12……」
「悪いけど、全然だ。ここに来るまで、子どもは1人も見ていない」
「そう、ですか……」
あまりに酷く落胆していて、放っておけば寝覚めが悪くなりそうだ。
「……兄貴が帰ってこないとかか?」
少年は無言で頷く。
「どこに行ったか、思い当たるところは?」
「分からない……けど、山かも……」
「山ねぇ……」
僕たちが通ってきた山道を思い返す。
舗装された道なら問題ないだろうが、ちょっと道を逸れて、木々が茂り、足場が不安定な方へ向かえば、たちまち遭難してしまうだろう。
「今……山は危ないのに……」
「……いつだって危なそうだけどな」
「ち、違うんだ」
少年は強く首を振る。
「今、山に熊が出るんだ。人を襲う熊が……」
「マジかよ……」
急に帰りたくなってきた。町まで降りてきて、人を食い殺す獣。ついでのように襲われる僕。
嫌なイメージが脳裏に浮かび、目の奥が痛んできた。
「親は?」
「父さんは、今はいなくて……母さんは病気。精神的なものって医者は言ってたけど……」
嫌なところを突いてしまったか? とはいえ、初対面の他人の家庭事情を察せというのは無茶だ。
「……まあ、僕たちは今日と明日、あそこの旅館に泊まってる。時間があれば、探してやるよ」
「ほ、本当!? ありがとう……!」
少年の表情はほんの少しだけ明るくなった。
「あ、えっと……俺は畑國小豆と言います。小さい豆で、小豆……」
「……僕は鬼灯だ。兄貴の名前は?」
小豆は躊躇いがちに口を開いた。
「大豆、です」
「それは……ずいぶんファンシーな名付けだな……」
***
受付でチェックインを済ませる。
小豆と話しているうちに、九木に追いつかれてしまった。暑さでへばっていて、珍しく息を切らしている。前髪が汗で乱れていた。
「ご予約の九木様でいらっしゃいますね」
受付のお婆さんが皺々の営業スマイルを浮かべた。
「はーい……あ、そうだ。都麦さん、来てますか?」
それは誰だ、と思ったら「怪異サークルの人」ということだった。九木を呼んだ人間だ。
「あら……あの人のお知り合い?」
「はい」
「それは……大変なことねぇ」
「大変?」
お婆さんはただでさえ深い皺を、さらに深くした。
「あの人、逮捕されちゃったのよねぇ……」
「え?」
「は?」
それは本当に、本当に大変なことだった。




