八尺様
寂れた駅に降り立ち、九木は伸びをする。
「いやぁ。ようやく着いたねぇ」
「……本当にここまで付いてくるとはな」
一人静かな帰省のはずが、意味不明な連れができてしまった。
「あんな話を聞いたからには、確かめてみたいじゃん?」
***
あんな話。
僕が10年前のことを語り終えたとき、九木は目を輝かせ、妙に高揚して言った。
「それって八尺様!?」
「はっしゃく……?」
「2008年くらいだったかな。ネットの掲示板に投稿された、いわゆる都市伝説だよ」
有名だろうが僕はまったく知らない。
「君は本当に見たんだよね? 塀より高い女の人。作り話じゃない?」
「なんであんたみたいなやつに作り話を披露するんだ」
「その八尺様。なんか声とか発してた?」
「声って、どんな」
九木は低音で『ぽぽぽ……』と呻いた。ふざけているのかと思ったが、真面目らしい。
「男の人の声で、鳴き声みたいな声を出すんだって。ひゃあ、怖いね!」
あの日は、祭囃子や屋根に打ち付けられる小雨の音がしていた。あの女がなにか発していたとしても、聞き取れていたとは思えない。
「……さあね。無言だった気がするけど」
「ふーん。残念」
「馬鹿馬鹿しいな」
それより。
「僕としては、翌朝に遺体が発見されたことの方が、よっぽど恐ろしい出来事だ」
村の知り合いが──もっとも、小さな村では全員が知り合いだが──村を囲う森の中で遺体を発見した。
僕はそれを聞き、驚いた。当たり前だ、と言われるだろうが、驚いた理由は遺体そのものと、もう1つ。
「あの遺体は……あんたが八尺様だって言う、あの女と……似ていたんだよ」
***
「さあ行こう星太郎くん! 早くこの目で見たいよー!」
「……興奮しているところ悪いが、ここからバスと徒歩だ」
「え……バスぅ……?」
「いや、8割くらい徒歩」
小さな寒村の中にある、さらに小さな地区だ。まともな道も存在しない。
「まだまだ遠いぞ。……来るなら早くしろよ」
「えぇー……」
到着まで6時間かかった。予定外の同行者さえいなければ、もっとスムーズに移動できただろう。
その同行者は、ヘトヘトになってしゃがみ込んでいる。
「……行くぞ」
「うえーっ……」
5年ぶりの故郷は、記憶よりも一層うらぶれていた。
地面を覆い隠すように雑草が伸びている。刈る人が減ったのだろう。村を囲む森も、規模が大きくなった気がするが、これは気のせいかもしれない。
3月になり、一応は春になった。カレンダー上の季節など当てにならない。厚手のコートを羽織っていなければ震えるほどの気温だ。
九木は薄着で、見てるだけで寒そうだ。
あぜ道を通っていると、前から見知った顔がやって来た。
「星太郎!」
僕の名を呼ぶ男が、にこやかに現れた。
見た目はまだまだ青年だが、記憶によればもう40代手前だったはずだ。それでも、この村ではかなり若い。
「誰?」九木が訊ねる。
「樫居さん。仲が良かった人だ」
「ほー」
「言ってくれたら、迎えに行ったのに」
樫居は僕の肩を掴む。相変わらず、距離が近い。
「忙しいだろ」
「はは。気にしないでいいのに……と、言いたいところだけど……」
「なんかあったのか?」
「まあね……」
樫居は含みを持たせた。しかし取り繕うように微笑を湛え、僕の後ろにいる不審人物に目を向けた。
「そちらは?」
「あ、わたし。九木狐十子といいます。『こ』が4つあります』
それ、言う決まりなのか?
「俺は樫居。よろしく」それから僕に向き直る。「もしかして星太郎。お前のかのじ……」
「違う」
「なんだ。じゃあどんな関係?」
「どんな関係でもない」
「え? それってどういう……」
「知らん」
「ええ?」
「さ、行きましょうよ樫居さん、星太郎くん!」
「……お前のこと名前で呼んでるけど……」
「知らん」
「怖……」
実家までの道中、九木はずっとキョロキョロして落ち着かない。そんな彼女を見て、樫居は不気味がっていた。
「そうだ星太郎……お前の母さん、今はいないぞ」
「……そうか。ありがとう」
数年ぶりの実家だが、案外懐かしさなどは抱かず、ちょっと家を開けていただけ、そんな感覚があった。
実家の引き戸を開ける。鍵はかかっていない。田舎特有の不用心だ。
湿気た木とよく分からないお香の匂いが嗅覚を刺激する。懐かしさは抱かない、とさっきは思ったが、匂いというのはノスタルジックな気持ちにさせるものだ。
樫居は「また後で」と言い残し、いったん僕たちを置いて帰った。
さっきからどうもゴタゴタしているらしい。父の死以外にも、なにかあったのだろうか。
「君、親と仲悪いの?」
「は? なんだ突然……」
藪から棒に、九木は訊ねる。遠慮とか配慮とか、知らないのか。
「お母さんがいないって言われたとき、君は安心したみたいだった」
「……久しぶりで、話すことが多くて面倒だから。帰ったばかりだ。ゆっくりしたいんだよ」
「それから、お父さんが死んで帰るっていうから、てっきりお葬式があるのかなって思ったけど。もう、終わったみたいだね」
九木の視線は、飾られてる遺影と、その下にある……おそらくは遺骨に向けられていた。
「お葬式が終わってから帰るって、あんまり情がないんだろうなって」
「……会ったばかりの人間に、お前……」
「会ったばかりだから、慮る必要もないでしょ?」
呆れてなにも言えない。
しかし、いっそ清々しい。無駄に気遣われるより、気が楽だ。
「……そうだな。父も母も、悪い人じゃないが。僕とは考え方が合わない」
ここで仕事を継いでほしいと願う親。都会に出たいと反発する息子。おそらく、ありふれた親子の構図だ。
「へー。大変だねー」
聞いておいて、興味が消え失せたらしい。別に話したいわけでもないから、いいが。
「……お前が見たいのは、こっちだろ」
そう言って、九木を庭に案内する。10年前、僕が女を見た場所だ。
「おー……!」
九木は玄関から靴を持ってきて、庭に飛び出した。
庭も石塀も、座っていた縁側も、あの頃となにも変わりがない。
塀の向こうでは森の木が揺れている。
「そこの縁側から見てたの?」
「ああ」
「で、この塀の上に、女の人の頭が?」
「そう」
九木は塀を見上げる。
「塀、高くない? 2mくらいあるじゃん」
「動物が飛び越えてくるんだよ」
「都会育ちの常識が壊されるなぁ」
ここに来る道中で調べたのだが、八尺というのはおよそ240cmらしい。塀の上に頭があるなら、確かにあの女は八尺ほどありそうだ。
「あとなんだっけ。凄い揺れてたの?」
「ああ。前後にふらふらってな」
「次の日、遺体が見つかったんだっけ? 八尺様だったの?」
「似ていた、だ。そのものとは……決まってない」
思えば、明後日でちょうど10年目じゃないだろうか。遺体が見つかった日だ。
あの子が、死んだ日。
基本的に毎日投稿します。作者の体調不良とかがなければ!