真実
「1つ……分からないことがある」
九木は、無言で僕の横顔を見る。
ぬるい風は僕の首をさすって、それから九木の前髪を揺らした。
「なんで犯人は飛び込み自殺に見せかけたんだ?」
「だから……事故の痕跡を消そうと、ぐちゃぐちゃにしようとするためでしょ」
ぐちゃぐちゃ、と言われるたびに気分が悪くなる。
「だが……別に電車じゃなくてもよかったんじゃないか。他の方法も探せばあったかもしれないのに」
「そんなの、犯人の頭の中を覗かないと分かんないよ」
むっとした顔で、九木は言う。
「……星太郎くん、どうしたの? なにが君の中で気になってるの?」
はっきりと筋道を立てられているわけじゃない。絡まったコードをほぐすように、一言ずつ語る。
「犯人は……その……長い時間をかけて、なんで飛び込み偽装をさせようとしたんだ……?」
「長い、時間……?」
「……きさらぎ駅の、投稿だよ」
結局、あの投稿に話は戻って来るのだ。
鳩中の身に事故が起こったのは、午前2時前くらい。
そして自殺の遺書は4時に投稿され、決行は5時45分頃。
「2時から5時までの3時間、犯人はなにをしていたんだ? ホームでの偽装工作の準備をしていたって、ここまで時間はかからないだろ」
手間取ったとしてもせいぜい1時間程度で済みそうだ。この空白の時間はなんだ?
九木も疑問に思ったらしく、顎に手を当てて考え込んだ。
「……そりゃ、電車を待ってたんじゃないの……? 始発が来るまで、じっと……」
それから、すぐ首を横に振った。
「ああそうか……星太郎くんが言いたいのは、そういうことか。
そんな待ってる時間があるなら、他の隠蔽方法を考えるはず。電車にこだわる意味はない……ってことだね」
嫌な考えだが、車を持ってるなら山にでも捨てに行く方がいい。苦労して成功するか確信が持てないトリックを作るより、いくらかマシだ。
「電車じゃなきゃ駄目な理由があった。……いや、もしくは……その3時間で、すべきことがあった……?」
僕の言葉は何気ないものだった。しかし九木は目を見開いた。
「そうか……」
「あ? どうした」
「アリバイだよ……犯人はアリバイを作るために、偽の投稿を続けたんだ!」
「アリバイだと?」
「わたしたちは鳩中さんの投稿が、きさらぎ駅の再現だとすれば半端、ってところから怪しんだけど。
犯人からしてみれば、わたしたちみたいな、再現のクオリティを気にする人のことなんか考えてないでしょ?」
「そりゃそうだな」
「犯人がわざわざ嘘の投稿を続けたのは、単になにかを偽装するため」
「アリバイってことは……その時間に鳩中が生きていると思わせるため、か? 犯人は他の誰かに、自分は現場とは別の場所にいると思わせるため……」
そこで、九木の表情が固まった。まるで石化の呪いをかけられたように、眼球や口の動きが止まっている。
「……? 九木?」
「あ……」
「どうした?」
「自作自演……」
うわ言のように呟いたかと思えば、急に僕の袖を引っ張って駆け出した。
行き先は、駅の向かいに立つ看板だ。
九木は、歯科の宣伝がされていた木製の看板をしげしげと眺めている。無残にも風になぎ倒された看板だ。
「おい! なにがあるって……」
「よく見て」
九木の細い指は看板の一部を差す。僕の視線は自然と吸い寄せられた。
看板の支柱は、見事にぽっきり折れて車に墜落している。
折れた断面は、途中まで刃物で切られたように切れ込みがついていた。
「まるで、ノコギリでもいれたみたい」
自然ではない。人工的に、作為的に看板は折られた。
「鴉原さんっ!」
九木が怒鳴った。腹から声を出している。ここまで声を大きくしているのは珍しい。
「な、なに? 今、あんたらの話を報告してたんだけど……」
鴉原の隣には雀森がいて、眉間に皺を寄せて腕組みしていた。
「鴉原さんと鵜ノ井さんは、深夜になにしてたんだっけ……!」
「ん? 最初に言ったよね……民家のガラスを割った奴がいて、捜査してたんだよ……」
疲労を思い出したように、鴉原の肩は沈んだ。
「それ、誰が捜査してた?」
「あたしと鵜ノ井と……後は……」
「──普通はいないはずの人はいなかった?」
「いないはずの人……?」
鴉原は片目をつぶって思案し、ややあってから控えめに指を差した。
「それってあの人のこと? たまたま近くにいたから手伝ってくれたんだけど……」
そういえば、ここに来たときも、彼は言われていたはずだ。『本当ならお休みのはずなのに』と。
九木は彼に向かう。苛立って深い皺を顔面に作った彼は、接近する僕たちに気づかない。
「──人は真実を隠すために嘘をつく。隠そうとすればするほど高く積み上がる嘘は、まるで塔を建てているよう」
彼は九木を見る。自分の身に危険が迫っていることなど、想像もしていないだろう。
「高ければ高いほど真実は遠ざかり、その見た目の荘厳さに人は騙されやすくなる。
けれどその分脆くなるし、崩れたときは目も当てられない」
「おい……なんだ、お前ら。まだいたのか……」
「──あなたの嘘は崩れましたよ。日鷺警部」
「……あっ?」
日鷺はぽかんと口を開き、怒鳴ることを忘れる。皮肉なことに、苛立ちが消えて、皺が少なくなって若々しく見えた。
「あなたの嘘にはクセがある。小さなミスを、大きな物で誤魔化す。それがクセだ」
「ちょっと、あんた……!」
鴉原が慌てて駆け寄る。周囲も異変を感じ取り、各々が自分の作業の手を止め、2人を眺め始めた。
僕は成り行きを、後ろから見ていることしかできない。
「鳩中さんを殺したのは、あなたでしょう? 日鷺警部」
「──なっ……!?」
九木はゆっくりと指を突きつけ、冷ややかな声で糾弾した。
「──ほら。もう未知は、既知に変わりました」
***
九木は駅から出て、看板の前まで戻ってきた。なんだか取り憑かれたような動きで、つい「きさらぎ駅の鬼が……」などという思いがちらつく。
全員が九木の行方を見守る。
日鷺もよろよろと歩む。あまりの唐突さに顔は蒼白だ。
「おい……ふ、ふざけてる場合じゃ……ないぞ。俺が……なんだって?」
遠くにいる九木の耳には届いていない。僕には届いてしまっているので困るのだが。
「刑事のみなさーん! 星太郎くーん! ついでに鴉原さーん! こっち来て!」
「あたし、ついでかよ!」
九木は看板の前に立ち、僕たちを手招いた。僕たちが見つけた手がかりを、まるで芸術品を公開するよう見せつけた。
看板の支柱に残された切れ込み。不自然な痕跡は、作為を意味していた。
「前もって切れ込みを入れ、後は鳩中さんを引っ張ったのと同じ。細いワイヤーを巻きつけて、誰も見ていない隙に力を入れる。すると、風で折れたみたいに木製の看板は倒れる」
「倒れた先は、彼の車の上……か」
「酷い不運だと思った。けど違う。わざと倒したんだよ」
日鷺の車は重力に敗北し、大破した。
「ちゃんと調べれば簡単に分かるはずだよ。修理か廃棄か、される前に調べなきゃね」
もし前面に、人と衝突した痕跡があっても誤魔化せてしまうだろう。
このままだったなら、の話だが。
「おい……なにを言っているんだ?」
雀森が眉間にシワを寄せている。
「警部が……なにをしたって? 話が見えないぞ……」
「犯人は小さなミスを、大きなもので誤魔化す、という話ですよ」
「それはさっきも聞いた……」
「車に衝突の痕が残ったから、それより派手な損壊で目立たなくする。
遺体に明確な死因が分かる痕があるから、電車で轢いてうやむやにする」
「そ、そもそも、この件はどう見ても自殺だ!」
雀森たちは、僕たちの推理にたどり着いていないようだ。
いや、違う。
おそらく、犯人がたどり着かないように誘導していたのだろう。
警察という立場を利用して。
「コーヒーが溢れて濡れたから、水でもっと濡らしてしまう、とかも。クセですかねぇ」
「いい加減に──」
「いい加減にするんだな!」
怒声が雀森の声をかき消した。
ずんずん、靴音を重く鳴らしながら、日鷺が近づいてきた。青白かった顔色は、怒りで赤く染まっていた。
「な……なんだこれは!? 俺を、まるで犯人のように……! 貴様ら、これは侮辱だ! 公務執行妨害だ!」
「そうやって、強権を振るって誤魔化せるというのも、犯人の手強さだ」
「な、に……?」
九木は動じない。それどころか不敵に笑い、相手を挑発する。
「言いがかりだ……!」
「じゃあ、このスマホはなんなんですか。ロックされてますが、開けてみたらびっくりでしたよ?」
なんのことだ、と言いたげに日鷺は目を剥く。だが、隣の僕も同じ気持ちだった。九木はなにを発見したのか。
「これは、あなたの犯行を明らかにする、決定的な証拠だ──」
「ふ……ふざけるな。み、見せてみろ! そんなもの、あるはずがない」
「え、じゃあロック解除していいんですか?」
すると、日鷺はみるみるうちに余裕のある表情を取り戻していった。勝ち誇ったように口角を上げる。
そんなものあるはずがない、と確信したのだろう。この女のハッタリだ……と。
「さっさとやれ。俺が許可する」
「えー。でも面倒ですし……」
「遺体の顔に近づけるだけだ! 俺が許可するから早くしろ!」
周囲の警官たちも、もちろん僕も。声を発した彼以外の、全員が声を失った。
「……あ?」
失言に、彼は気づかない。気づけないのかもしれない。高く積み上げすぎた嘘のせいで、足元の綻びに目がいかないのだ。
「──スマホのロックにはパスワードやPINであったり、パターンであったり、指紋認証だったり、いろいろあります。ちょっと調べたところ、指紋認証が一番多いとか。
──それなのにあなたは、まるで、最初から顔認証だと知っているかのようですね?」
ほんの一瞬、日鷺は肩を震わす。余裕たっぷりだった顔は引き攣り、喉仏が蠢いた。
「そ、そりゃ、普通にスマホを見れば、どんなロックがかかっているかなんて、ひ……一目で分かる……」
「分かりませんよ」
「な……なにを……」
「鳩中さんのスマホは、ずっと充電が切れていました。そしてわたしたちがスマホを借りて、復旧するまで、ずっと切れています」
鴉原も冷や汗を流している。自分の欲のために行ったことが、上司を追い詰めている。
「わたしたちは他の誰にも渡してません」
「……あ、ああ……」
日鷺は九木に、震える指を突きつける。しかし言葉は出てこない。
「いったい、あなたはいつ、このスマホのロックを見たんですか?」
ロックを解除すれば決定的な証拠が出てくる。それは九木の嘘だ。
だが、決定的な失言は出てきた。
たまらず、異を唱える者もいる。
「ま……待て、待て待て待て!」
雀森だ。唇をわなわなと震わしている。
「お前はっ、いや、正気か!? け、警部が、その……」
九木はまったく表情を変えない。どこまでも冷たい、深海のような眼差しで雀森を見やった。
「そんな、ただ揚げ足を取ったくらいで……」
「す……雀森さん……」と、か細い声が横やりを入れる。「ちょっと……」
「なんだ!?」
彼の部下と思しき、刑事の青年がスマホを片手に呼ぶ。どこかに通話が繋がっているらしく、部下は彼に手渡した。
「なんだ……は? な、まさ……か」
電話の終わりを、皆が静かに待つ。通話は突然終了し、雀森は呆然と立ち尽くしてしまった。
「雀森さん、なにが……」鴉原が恐る恐る訊ねた。
「……トンネル」
それは、鳩中が最後に投稿した文と、奇しくも同じ言葉だった。
「トンネルがなんですか!?」
「その先で……血痕と、車の……破片が発見された。車種の特定は……可能……だ……」
彼らは僕や鴉原と違い、九木の推理のすべてを聞いていない。
しかし、ここまでで察したのだろう。鳩中の死の真実と、犯人の正体について。
「そんな……まさか……、け、警部が……」
他の警官たちがどよめいている。
「俺は……」
日鷺が、額に脂汗を浮かべながら、喉を絞められたような声で言う。
「そんなことは……していない。お、俺には……」
「鳩中さんの本当の死亡時刻は、彼女のSNSによって判明しています。彼女がトンネルを通った時刻に、事故が発生した」
九木の容赦ない追及は続く。
「それ以降も彼女が生きているように見せかけるため、あなたは彼女のSNSを更新し続けた。そして、アリバイを作るため、ガラスを割った」
「ガラスを?」
疑問を呟いたのは鴉原だ。もう分かっていてもいいはずだが、混乱しているのだろう。
「深夜に、ガラスを割ったやつがいると通報が入り、鴉原さんたちは急行したんですよね。そこに、日鷺警部もいた。
彼女がSNSの投稿をしている時間、彼は他の人と一緒にいた、と思わせるために。捜査のフリして、こっそり投稿していたんですね」
「ぐ……ぐぅ……ぐ……」
もう、日鷺は限界だ。とどめを刺すように、九木が口を開く。
「わたしに、教えてくれたんですよ。きさらぎ駅が、ね」




