捜査 ‐トンネル‐
まばらではあるが、人々が現れる。野次馬は電車が運休していると知ると、少し興味を持った後に、警官になにがあったか質問し、諦めて他のところに行く。
遠くで車が走っている。この町が、活動的になってきたようだ。
「急ごう」
「だね。鴉原さんに車を出してもらわないと」
「……パトカーをタクシーみたいに使うな」
鳩中のスマホを充電し、それからロックを解除しなければいけない。
「鳩中さんは駅から、燕田さんとの待ち合わせ場所に向かった。けど、会わなかった」
「ああ。嘘じゃなければな」
「すると、鳩中さんの身になにか起きたのは、駅から待ち合わせ場所までの間、ということになる。確認してみたいね」
「意味あんのか?」
「意味があるかどうかは、行ってみなきゃ分かんないね。それから、ホームの様子も調べなきゃ」
「……僕たちは入れてもらえないだろうな」
「鴉原さんに調べてもらおう」
鴉原の負担が酷い。まあ、自分の出世のために僕たちに近づいたんだから、ある意味で自業自得だ。
「ちょっとー! あたしの名前呼んだでしょ!」
「あ。鴉原さん」
手にコーヒーの缶を持った鴉原が現れる。
「それ、わたしたちに?」
「んなわけないでしょ。日鷺警部に。車ぶっ壊れて荒れてるから。ご機嫌取りだよ」
看板とそれに潰された車は放置されている。
「ところで、さっきの人。雀森さんだっけ。鴉原さんの先輩の」
「ああ……あの人がなに?」
「あの人の弱みとか知ってるの?」
意地悪い光が九木の目に宿る。
「いや……ただ、交番勤務だった頃、一人で隠れてプリン食べてたってだけ……イメージと違うから、バレたくないんだって」
「なんだ……」
目から光が消えた。どんな秘密を期待してたんだ。
「でも、いいや。鴉原さん、ホームで調べてきてよ。雀森さんに捕まりそうになったら弱みをチラつかせてさ」
鴉原は剣呑な顔つきになる。
「ってか……いい加減にしてよ。あんたらはもう部外者だし、どっか行って欲しいんだけど」
「酷い! 利用するだけして、邪魔になったら捨てるのね!?」
「変な言い方すんな!」
九木は邪悪に口角を上げる。
「だったら、日鷺警部に言っちゃおうかなー。刑事でもないのに、被害者のスマホを勝手に持ち出して、部外者に触らせたって……」
「な……はぁ!? それはあんたらのために……」
真っ当な怒りだ。しかし、隙を見せたのが致命的だった。
「でも、出世したいんでしょ?」
「こ……この女……た、逮捕だ……逮捕してやる……」
「できるものならどーぞ」
さしもの悪徳警官も、たちの悪い怪異女には勝てなかった。
「さて、鴉原さん、星太郎くん。時間がないよ! 一気に証拠集めに取り掛かろう! せーのっ……」
「……」
「あれ? ……せーのっ」
「……」
「『おー!』でしょそこは!?」
「時間ねぇんだから早くしろや……!」
「……ってか、やべ!」
鴉原は手の中で冷えていく缶コーヒーを思い出したようだ。「これだけ!」と告げながら、日鷺に渡しに行った。
缶コーヒーのプルタブを開け、手渡す。
しかし僕たちに急かされて焦ったのか、手を滑らせて盛大にこぼした。
「なにしてんだぁーっ!?」
「ぎゃあ! すんません!」
「うわ、日鷺警部。なんすか、おしっこ漏らしました?」
事情を知らない鵜ノ井が、空気を読まず言い放つ。
「やかましい! 鴉原がコーヒーを俺のズボンにこぼしやがったんだ!」
「うげ……」
「うげじゃない! 水持ってこい!」
言われたとおり、鵜ノ井はペットボトルの水を持ってくる。口元は、少し笑みが漏れていた。
「半端に濡れてると、それこそ漏らしたみたいだろ。だから水でもっと濡らすんだよ!」
「荒業ですねぇー……」
思いっきりズボンに水を撒いた。確かに粗相したようには見えなくなったが、それ以上に情けなく見える。
「これで良しっ!」
良しなら、いいか。
ふと気づけば、鴉原はパトカーの中に避難していた。なに食わぬ顔だ。
後部座席には九木だ。
「なにしてんの、早く乗りなよ。行くんでしょ!」
まさかとは思うが、僕の周りの女性というのは、イカレた奴しかいないのか?
***
写真に残されたトンネルと思しき場所が見つかった。これもまた、写真では大きいが、実際はちっぽけで、川原の土手をくり抜くように作られたものだった。
「鳩中さん、撮影の技術があったんだねぇ」
「どっちかって言うなら加工の技術じゃないか」
「いや、よかった。トンネルは嫌いだから、こんな小さなもので」
「トンネルが嫌いって……」
好き嫌いは誰にだってある。僕も車のクラクションがこの世で一番嫌いだし。
だが怪異を好むくせにトンネルが嫌いというのは不思議に思える。
鴉原は僕たちを降ろして燕田の家に向かった。そっちは任せて、2人で調査を進める。
「さて、鳩中さんが自殺じゃない、つまり他殺だとした場合。どうやって殺されたと思う?」
痕跡を探して、地面に目を滑らせながら会話する。
「ホームから突き落とされたんじゃないか。あ……いや、運転手は他に誰も見てないんだったな」
「自分から飛び込んだ、ようにも見えたんだってね」
「じゃあ突き落とされたのは違うか」
九木は得意げに振り返った。
「突き落としたわけじゃない。でも、線路に落とされたのは事実。そう、わたしは推理するね!」
「あ……? どういう意味だ……?」
「証拠はまだないけど」と前置きをしてから、九木は語り始めた。視線はまだ地面に落としている。
「その場にいなくても、人を線路に落とすことはできる」
「そんなことが、本当に?」
「たとえば、ホームの反対側、わたしたちが行った場所から、引っ張るんだよ」
引っ張るというと、紐か、ロープなどか。
そういえば、線路に続く斜面の手前、なにがあった?
「思い出した?」
「そうだ……! 細い血痕があった! いや、まさか……」
脳内で整理を兼ねて、イメージを膨らませる。
まず鳩中をホームに立たせておく。紐かロープを身体に巻きつけて、斜面の下から引っ張る。電車が来たタイミングで実行すると、まるで自分から飛び込むみたいに、線路に落ちるのだ。
紐は電車の車輪で千切れ、鳩中から離れて、引っ張った者の元に戻って来る。
「そのときに、紐に付着して散ったのが、あの場にあった細い血痕だ」
すべては推測にすぎない。しかし辻褄は合う。
「──あ、見て!」
いつの間にか地面に這いつくばった九木が、なにかの破片を掲げる。人通りが少ない道でよかった。傍から見れば不審者でしかない。
「これ、なんだと思う?」
「砕けてよく分からないが……なんかのデザインが描かれてるな」
「これは『ちいおぞ』だね」
「……あ?」
どこかで聞いたような。
そういえば『なんか小さくておぞましい怪物』とかいうコンテンツがあった。確か、鳩中のスマホカバーのデザインがそれで……。
「……おい、待てよ。その破片って、このスマホカバーの破片か?」
スマホカバーの砕けた部分に合わせると、一部分がぴったりだった。
「なんでだ……? スマホカバーが砕けたのは、電車に轢かれたときじゃないのか……?」
「それもあるだろうね。線路の側を探せば散らばってるかも。
だけどそれより前に、砕けてたんだよ」
つまり、なんだ?
僕たちがいるこの場所──トンネルを抜けてすぐ、駅から燕田家までの道のりの途中──で、スマホカバーが砕けるようななにかがあった?
「それから、血痕まであった」
「……おいおいおい。ここでなにがあったんだ? 鳩中は、ここで、なにと遭遇した?」
ぱんっ、と一発の拍手が鳴らされる。九木が静かな朝を、両手で破壊した。
「そもそも、なぜ鳩中さんは線路に落とされたのかな?」
「そんなの……」
考えてみると、意味が分からない。自殺の偽装だとしても、妙なトリックを使って飛び込みに仕立てる必要はない。電車なんか使えば騒ぎになるし、実際になっている。
「わたしが思うに、鳩中さんの身体にある痕跡を、ぐちゃぐちゃにして隠そうとしたんだよ」
「うっ……」
おぞましい発想に吐き気がこみ上げる。犯人はもちろん、この女もとんでもない。
「──うん。ここまでだね」
「ここまで?」
「ここまでは推測。ここから先は、いくら考えを話しても、ただの妄想になっちゃう」
「じゃあどうするんだ」
九木は自分のスマホを操作し、どこかに電話をかけた。
「鴉原さんを呼ぶ。警察の捜査に任せよう。……わたしの妄想通りなら、この場に証拠が残ってる」
いつの間に鴉原の連絡先を入手したのか。抜け目がない。
「犯人がすでに消し去ったんじゃ?」
「事が起こったのは深夜。このへんは街灯も少なくて、夜はきっと真っ暗闇。なら、隠すにも限界がある。なんか残ってそうじゃない?」
「だんだん繋がってきたな……」
「駅に戻ろう」
***
鴉原がホームを調べ終えて、報告しに戻ってきた。彼女の上司との凄絶なやり取りがあっただろうが、関係ない話だ。
「被害者が寄りかかっていた柱を調べたよ。あんたの言う通りにさ」
「そしたら?」
「……2箇所、固まった液体みたいなものが貼り付いていた。あれは……接着剤、だと思う」
「オーケー。柱に立たせようとしても、かなり強い死後硬直がなければ死体は立たない。接着剤みたいな補助を使ったはずなんだ。
されで、線路なにがあった?」
「あんなグロい場所に向かわせやがって……」
「警察官が言うことじゃないよ」
「で、これまたお前の言うとおり。ワイヤーの切れ端が残っていた」
九木の推理が快音を響かせている。スーパープレイヤーだ。観戦するしかできない。
「ところで、燕田さんはどうだった? パスワード分かった?」
「顔認証」
「珍しっ」
「それから、あんたたちが見つけた、トンネルの先の──スマホカバーが落ちてたところ、今、調べさせてる」
いよいよ大詰めだ。盤上の駒を動かすように、九木は手がかりを並べていく。そうして完成された推理は、どういうわけか辻褄が合っているのだ。
線路に切れ端が残っていたが、ワイヤーを巻きつけて、ホームの反対から引っ張って落とした証拠だ。
ワイヤーを巻き付けた箇所は、首だ。首元に痕が残らないように包帯を巻いた。そして上からワイヤーをくくる。
「この駅、線路と外の道の境界は坂しかない。鳩中の首から伸びたワイヤーを、坂の下まで簡単に引き伸ばすことが可能だ」
「そう……それなら、自殺に偽装できるね」
「ちょ……ちょい、待って」
置いていかれていた鴉原が異を唱える。
「なんで? なんでこんな方法を取ったの?」
「それはね、鴉原さん。そもそも鳩中さんは駅に来るまでに死亡しているんだよ」
「……じゃなきゃ黙って線路に落とされたりしないだろうしね」
「なんで死んじゃったのか。場所はトンネルを抜けた先で、スマホカバーが砕けるほどのなにかが起きた」
「まさか、車にはねられたのか?」
僕は思いついたことをそのまま口にした。言ってから、自分が正解を当てたことに気づく。
「鳩中さんの投稿で明確におかしいのは、この『トンネル』とだけ打っているだけのやつ。どうしてこんな半端なのか?
文を打ってる途中で轢かれたからだよ」
だとすれば、鳩中の本当の死は。
「歩きスマホと、交通事故、か」
「そういうこと」
犯人の大胆すぎる発想に驚く。轢いてしまったのを誤魔化すために、もっと大きな事故で上塗りしようとしたのか。
「轢いたとき、スマホの画面は点いたままだったんだろうね。認証の必要もなく、中身を見られた」
自殺の説を高めるため、アカウントを乗っ取って遺書をでっち上げたわけだ。
「これを伝えたら、きっと警察も詳しく調べてくれる。包帯があるとはいえ、鳩中さんの首にうっすらとワイヤーの痕があるはず。ぐちゃぐちゃの身体もよく調べれば、車にはねられた痕がある。
ここから先、犯人を見つけるのは、警察の仕事だよね」
鴉原は相変わらず唖然としていたが、徐々に硬直が解けるように、行動を取り始めた。
「自殺じゃない……ほ、本当ね!?」
「ん。鴉原さんの手柄にしていいから!」
「う、うん……」
釈然としない様子のまま、鴉原は雀森のもとに足を向けた。
「これで解決だねぇ」
「犯人は分かってないぞ」
「やだなあ。そんなことまで分かんないよ。後は警察の方々に任せましょー」
「そうか……」
朝の日差しは爽やかだ。天を仰げば、いかにも大団円といった晴れやかさがある。
「ま。間違えててもわたしにはなんの責任もないし。さっさと逃げようか」
九木も、すっかり一仕事終えたかのように表情を緩めた。
解決。
本当に?




