推理 ‐きさらぎ駅‐
──霧が晴れていた。
駅まで戻ってきた僕たちを迎えたのは、思いもよらぬ惨状だった。
「鵜ノ井……なにがあったの……?」
鵜ノ井はいつの間にか消えていた鴉原に怒ろうとする。しかし、すぐにそれどころではないというように表情を変えた。
「看板が……倒れた」
駅の前にあった、歯科医院の広告が貼られた看板だ。木製で、確かに微風で軋んでいたし、頼りない脚だとは思った。
それでも、本当に倒れるとは。
さらに、なんという不運。
警部と呼ばれていた男、日鷺の自動車が、看板の下敷きになっていた。
看板の下に停めていたのが悪いといえばその通りだが、予想できるはずもなく。
「お……俺の……俺の車がぁーっ!」
嘆く日鷺を、その場の誰もが、憐れみの目で眺めていた。
「たぶん風のせいで倒れた……思いっきり潰れた」
「あちゃー……マジで無惨だ……」
九木は鴉原の元に寄る。
「さ。早くスマホ借りてきてください」
「この状況で!?」
「え?」
「い、いや、一応わたしの上司が、悲惨な目に遭ったんだけど……」
「関係なくない?」
冷血。
辞書でその言葉を引けば、九木の顔が載っているかもしれない。
日鷺の車の亡骸を尻目に、僕たちは鳩中のスマホを手に入れた。
「言っとくけど。燕田の家に案内してもらうために、あんたらを連れてっただけだから。本来、ただの部外者。用が済んだら早くスマホ返して、家に帰んな」
九木はニヤケながら言い返す。
「えぇー? せっかく仲良くなったのにぃ」
「なってない!」
僕は鳩中のスマホを手に取る。スマホは線路の側に落ちていたらしく、幸いにも、液晶の一部とスマホカバーの半分が割れていただけだ。
これならデータも生きている、と電源を点けようとしたが、指が止まる。
「……充電切れてるぞ」
「え。マジかぁ。コンビニで充電器借りるしかないね。モバイルバッテリー持ってない?」
「点いたとして、そもそもロック解除パスワードがいるんじゃないか」
「お!? そ……そうだった……」
変なところで抜けてるやつだ。望みは薄いが、燕田なら知っていたりしないだろうか。
「……ねぇ」
鴉原は苛ついている。
「分かってないようだから教えてあげるけど、鳩中は自殺だよ。運転手の証言が物語ってる」
「なんて言ってたんだ?」
『柱に寄りかかっているのが見えました。始発に待ってる人なんて珍しいし、普段見ない女性なので、注意深く見てたんです』
「普段見ないって、分かるのか?」
「この駅、一日の利用者はせいぜい60人くらい。しかも狭い田舎だから、駅を利用するのはほとんど決まった人」
「そうか。で、柱に寄りかかっていて……?」
『電車がホームに入るってタイミングで……急に柱から離れて、まるでプールに飛び込むみたいに、電車の前に飛びました。彼女の他に、人なんていませんでした』
「……ね。間違いなく自殺」
鴉原は、まるで出来の悪い子どもを諭すような顔で説明した。
──聞く限りでは自殺以外あり得ない。
「おい鴉原!」
「げっ」
そんな彼女を、神経質そうな男が呼んだ。駅から出てきた彼は、スーツを着ているが、刑事だろうか。
「なにをしている。さっき鵜ノ井から、お前がスマホを持ち出すのを見たと聞いたぞ」
「あんの真面目野郎……」
九木は空気を読まず、鴉原に訊ねた。
「この方は?」
「刑事課の……雀森さん。元々、交番勤務の巡査長で、よく叱られた記憶……」
「刑事課の人が来るんです?」
「一応、事故か事件か検証するからね」
僕たちが戻ってくる間に、かなりの応援が到着したようだ。
「鴉原……部外者となに企んでる。さっさと持ち場に戻れ!」
「ちょっと待ってくださいよセンパーイ……」
「待たん!」
「そ……そんなこと言うんなら、センパイの秘密、喋っちゃいますよ……?」
雀森の眉間のシワが深くなった。
「お前なぁ……」
「言われたくなければ、見逃してくださいよ……ね、いいでしょ? すぐ返しますから!」
「クソ……悪徳警官め……」
「あざーっす! センパイ!」
これ、僕たちは見ても良かった光景なのだろうか?
「……だが、ロックがかかってるものだろう。パターンとか……指紋ならまだなんとかなるが……」
「それは……なんとかします」
「星太郎くん、燕田さんに訊いてこよう。ロック解除しなきゃ」
九木は僕からスマホを受け取り、ポケットに仕舞った。鴉原に返すつもりは一切ないらしい。
「いくら彼氏でも、知らないんじゃないか」
「訊いてみなきゃ分かんないよ」
「面倒くさいな……」
涼しい顔をしているが、彼女の脳内でどんな思考が紡がれているのだろうか。
「星太郎くんは? なんか思いついたことある?」
「いや」
「なーんだ。あの投稿、見たでしょ? きさらぎ駅は間違いなく関係してるよ」
「だが、あれはおかしい。気づいてないわけないよな?」
「……んー」
いくら怪異を信じていると言っても、他の可能性を捨ててはいけないだろう。
「例の写真だ。きさらぎ駅と記された駅名標、暗闇と片足の人影、トンネル。こんなの、いくらでも捏造できる」
「捏造ぉー……?」
「きさらぎ駅の駅名標……あの形、ここの駅の駅名標と同じ形だった。文字を変えるくらいなら、簡単に加工できるだろうな」
「……人影も?」
「人影なんて、駅名標以上に簡単だ。写真全体が暗いんだからな。暗がりで人を撮って、ほんの少し弄るだけだ」
この辺にトンネルがあれば、トンネルの写真も簡単に用意できる。
「きさらぎ駅初出の時代に、まだ写真の加工技術は発達していない。だが現代なら、いくらでも可能だ」
九木はどこか悲しげに微笑している。
「加工って証明できる?」
「今から証拠が出てくるところだろ」
「……」
「鳩中のスマホの写真フォルダを漁れば見つかるはずだ。それに、他にも根拠はあるぞ」
「聞かせて?」
言われなくても、聞かせてやる。
「燕田が見せたJuINEのトーク履歴」
《1時に待ち合わせでいいんだよな?》
《ん!
5分前に出てきて》
少し間を置いてから。
《じゃあ始めちゃって!》
「これは23時頃に交わされた会話だ。やつらは23時以降、なにか始めようとしていた。
鳩中の投稿が始まったのも、23時頃。呑気にメッセージのやり取りをしていて、少なくとも、電車に乗ってきさらぎ駅に迷い込んだ様子はない」
「燕田くんは、どう関わってるの?」
燕田は言った。『待ち合わせ場所に、時間通り車で向かったんだけど、いなかったんです』と。
「1時に、燕田は鳩中を迎えに行ったんだ。待ち合わせとはそういう意味」
九木は長い、非常に長い、ため息を吐いた。うめき声に近い。
「──そんなの、分かってたよ」
きさらぎ駅の話は、鳩中の自作自演。それは、九木だって理解していた。
それから、怠惰に浸したような声で続けた。
「……言ったでしょ。怪談に必要なのは嘘か本当かじゃない。自作自演をすること自体は、ぜんぜんいいと思うよ」
「鳩中はオカルトに真摯だ、とお前は言ったな。自作自演も真摯か?」
「わたしは、そう思ってるよ。他の人はどうだか知らないけど」
オフ会の主催をしたついでに、彼氏に会うつもりだった。それでも真摯なのか、と疑問もあるが。
「……それはそれとして。お前は最初から分かってたんだよな。なんで黙ってたんだよ」
「……本当の、怪異の仕業だったらいいのにって、思ったんだもん……」
「なんだ……そりゃ」
慌ただしく動き回る警官たちが、時折こちらを気にしている。怪しい一般人だと思われていそうだ。
ぬるい風が吹く。彼女は言った。
「じゃなきゃこんなの……ただの殺人事件だし」
殺人事件。
鳩中は自殺していない。誰かに、殺された?
「なに驚いてるの。自殺にしてはおかしいことだらけって、君も気づいてるくせに」
頭が痛くなってきた。ストレスがかかってるのかもしれない。
九木の指摘は図星だ。
「……鳩中の投稿。自作自演だとすれば、これは……」
《トンネル》
投稿の1つだが、まるで打ち損じだ。ホラーの演出のようでもあるが、しっくりこない。
「そう──なにか演出をするつもりなら、こんな半端なタイミングで行うはずがない。本家のきさらぎ駅には、まだまだ続きがあるんだから」
「これじゃトンネルの中で、なにか起こったみたいだ。だが確か、本来はトンネルを抜けた先に、人が来たんだろ?」
九木は頷いた。
「安全な場所に送ってくれるっていう人の車に乗っちゃって、そのまま行方不明になる終わり方。だから、彼女の自作自演も、車に乗って終わるはずなんだ」
思えば、そのために燕田に迎えに来てもらおうとしたのかもしれない。車内の写真を投稿すれば、リアリティは増す。
であれば、この《トンネル》という文は途中で送信されたものの可能性が高い。《トンネルを抜けた》とか、そんな感じの。
「次の投稿は……」
《ごめんなさい。これ以上は無理です。》
「……だったな。午前3時頃だ。で、1時間後くらい経って……」
《疲れました。さようなら。》
「例の遺書だ。4時10分の投稿。鳩中は1時になにかと遭遇し、4時間後に自殺する……いや、殺されたのか」
自殺に偽装された。しかし、運転手の証言によれば、ホームから落ちる鳩中の近くに人はいなかった。
「しかも、よく見れば……文体が違う。これまでの投稿では句点が付いてないんだよ。なのに、《トンネル》の投稿以降、急に付き始めた」
句点とは、文末に付ける丸の記号だ。SNSの投稿にわざわざ付ける人は、特に若者だと少数派かもしれない。現に鳩中は付けていなかった。
「──誰かが投稿を偽装した……鳩中を、殺してからな……」
殺人という悪意が、日常に潜んでいる。僕たちはそんなこと、考えもせず生きている。
首元が汗ばむ。焦りのような気持ちが、身体の中から沸き上がるようだった──。
「催眠術とか?」
「……は?」
九木は唇に指を当てている。
「『ホームから飛び降りろ!』……って、催眠をかけられた……なんちゃって」
「……」
「星太郎くん! 催眠かけられたみたいな顔だよ!?」
「呆れてんだよ!」
しかし、こんなトンチキ発言をする女は、僕の故郷の謎を解いた。
もしかすると彼女なら。
また、真実を暴くのかもしれない──。




