鴉原
「ねぇ、誰か来たよ」
こっちに向かって車が走ってくる。通報を受けたパトカーではない。少し古めの車種だ。
看板の前に停車し、中から50代くらいの男が降り立った。
「所轄署、刑事課の日鷺だ」
男は懐から警察手帳を取り出して、僕たちにかざした。どこか権力を見せつけられているようで、気持ちの良いものではない。
「あんたらはなんだ? 目撃者とかか?」
「いえ、わたしたちは……」
「違うのか。ならさっさとどっか行け! 一般人がウロウロするな……!」
日鷺は鼻息荒く、僕たちを追いやろうとした。
「おい……」
「ストップ」
僕は言い返そうとしたのだが、九木が手で止めた。
「行こう」それから、小声で続けた。「別のところを調べよう」
日鷺は僕たちが素直に従ったと勘違いしたのか、満足気にしている。やはり、気に入らない男だ。
「鵜ノ井ぃ!」
「え……あ、警部!?」
ホームから鵜ノ井が飛んで来た。日鷺は鵜ノ井や鴉原の上司なのだろう。
「なぜ警部が……?」
「さっきの事件、まだ片付いてないだろ。それで様子を見に近く通ったら、この有り様だ。見過ごすわけにもいかんだろ」
「本当ならお休みのはずなのに……すんません」
バイト先にエリアマネージャーが見に来たとき、こんな感じだったなと、どうでもいいことを思い出してしまった。
警察たちの声を背中で聞きながら、僕たちは駅から離れる。
九木がどこに行くのか分からない。そのへんのコンビニかもしれないし、昨晩に訪れた神社に戻ることだってあり得た。つまり、予測不能なのだ。
何度か角を曲がると、出発点から大きく円を描くように歩いていると気づく。踏切を越えて、また曲がる。ようやく、目的地が分かる。
駅の入口とは反対、線路側に着いた。線路とホームが瞭然だ。草の生い茂った斜面を駆け上がれば、線路内に進入できてしまう。
斜面のおかげで線路の上は見えない。黙って付いてきてしまったが、うっかり轢死体を見るところだった。
「なにの用があるんだ?」
「警察の人と揉めちゃうとメンドイでしょ。こっそり調べちゃおうよ」
「調べるって、なにを」
「鳩中さん。なんで自殺なんてしちゃったんだろ?」
駅名標の上半分が見える。
微妙な違和感があった。じっと観察してみればはっきりするかと考えたが、距離があって難しい。
「……うっ」
斜面に近寄ると、足元に赤い直線ができていた。ペンキなどではないのは一目で分かる。
これは血だ。まだ新しそうに見える。
「なんかあった?」
「……これ、ここまで飛び散ったってことか」
「ああ。血か」
どうしてそんな淡白な反応なんだ。
それにしてもこの血も気になる。
派手に飛び散ったのかと思いきや、他に血は見つからない。
それと、血飛沫にしては細すぎる。細い筆で塗ったかのようだ。
九木もじっと線を見つめている。僕と同じ違和感を持ったのか、また別の思惑を秘めているのか。
早朝の日光は、地上の事件などお構い無しに輝いている。
「ちょっとそこの2人ー!」
強烈なデジャヴだ。
気だるげな女の声に僕たちは呼び止められる。
「なに現場に入ろうとしてんの?」
線路の上から、僕たちを見下ろす影。
「別に、そんなこと考えてませんよ。鴉原刑事」
鴉原は乱れたショートヘアをがしがし掻きむしる。徹夜で仕事をしていたようなので、家に帰ってないのだろう。
「あのさー……まず、あたしは刑事じゃない。ただの交番勤務。だから追いやられたんだし。
そんで、あんたらもいつまでもフラフラしてんなよ。邪魔だからさっさと帰れって」
イライラが声色から伝わってくる。追い出されたことが屈辱だったりするのかもしれない。
「鴉原さんは幽霊とか都市伝説を信じます?」
「は?」
九木の「オカルト好きジャブ」が繰り出された。会話の始まりがこれでは、離れていく人も多そうだ。
「馬鹿じゃないの? そんなもん、子どもの頃から信じたことなんかないよ」
「あー……そーですか……」
九木は落胆……というより、失望している。
「それが、どうしたの」
「んー」話したくないが、仕方ない。そう言いたげなのが伝わってくる。「この件、『きさらぎ駅』が関わってそうでぇー……」
「はぁー……? きさらぎ、なに……?」
「いや、いいですよ……彼女のアカウントにあっただけでぇー……」
空気が悪すぎていたたまれない。
その矢先、鴉原が目を見開いた。
「……待って。アカウント? それって、被害者の? なんで知ってんの?」
「……同じ同好会のメンバーなんですよ。昨日、オフ会があって……」
「う、嘘、嘘嘘!?」
鴉原は間欠泉が噴き出すかのように興奮し始めた。頬を紅潮させている。
「あんたら、亡くなった子の知り合い!? ねぇ話聞かせてよ!」
なんだ、急に。
「僕は知らないが……こっちの女が……」と、僕は先手を打ってパスした。
「えっ」
「教えて!」
頼むというより、脅しているような圧だ。相手は警察官だ。僕は従っておいた方が身のためだぞ、と優しさ半分、ざまあみろという気持ち半分で九木を見る。
「ええと。あの人は鳩中夢依さん。わたしたちオカルト同好会のメンバーで、昨日のオフ会の主催……」
さりげなく僕のことも同好会のメンバーに含めたな、こいつ。
「こんな田舎町でオフ会を主催?」
「たぶんだけど、ここらへんに彼氏が住んでるからって理由……」
「彼氏?」
「確か……燕田、だったかな。鳩中さん、さりげないふうを装って自慢してくるから、覚えちゃった」
「その燕田はどこに住んでんの?」
流石に知らないだろ。
「あー……大体なら分かるよ……」
知ってるのかよ。
「よっしゃ! じゃあ案内してよ!」
「はぁ……? なんでわたしたちが……」
「おい、僕は嫌だぞ。なんだ、『たち』って」
「これは手柄になるぞー!」
「て、手柄……?」
鴉原は指で銃の形を作った。人さし指を僕たちに向けている。
「あたしさー。交番勤務、飽きたんだよねー。それこそ刑事課行って、犯人撃ちたいし」
「撃ちたいの?」
「犯罪者を撃ちたくて警官になったんだよ。交番より、現場の方が撃てそうじゃん?」
こんなやつが交番にいる町が可哀想だ。そういう意味では早く異動された方がいいだろうな。
九木も断るだろうと思った。しかし、彼女は口元を緩めた。
「いいですよー」
「九木!?」
「代わりに、こっちのお願いも聞いてくださいよ」
「ん? お願い?」
「たぶん、彼女はスマホを持っているはず。遺体のポケットの中か、駅のどこかに。もう他の警察の人が拾っちゃったかもしれないけど。鴉原さん、持ってきてよ」
鳩中のスマホは、確かなにかのキャラが描かれたカバーが装着されていたはずだ。オフ会のときにはずっといじっていた。
「いや……あたしみたいな下っ端は、そういうの許されないんだけど……」
「え? 交番から脱出したくないの?」
「それはー……」
「借りてくるなら、案内しますよー。お手柄になるよ!」
悪魔のささやきだ。正義の警察官なら、無視してもらいたいが。
「……しょーがないなぁ。いいよ、だけど案内が先だからね」
──本当に、正義とはなんなのか、考えさせてくれる人だ。




