きさらぎ駅
時刻は早朝の5時。田舎ということもあり、あれだけの怪音が響いても、駅の周りに人の気配は増えない。
錆びて汚れた時計は、針を動かしていない。
向かいにポツンと立っている木製の看板は今にも倒れそうだ。どこかの歯科を宣伝しているが、誰に向けているのだろう?
そして僕たちは、看板と同じくらい寂しく、駅の前で佇んでいる。
「大変なことになったねー」
「ああ……」
ホームでは鴉原と鵜ノ井がなにやら喋っている。運転手に事情聴取をしているようだ。
九木は死体を見たはずだ。想像もしたくない、酷い轢死体だっただろう。
なのに、彼女は冷静にしている。それどころか、スマホの画面をスイスイと動かしている。
「死体の写真とか撮ったんじゃないだろうな」
「そんなヤバいことしませーん」
「ホントかよ……」
すると九木は、僕に画面を見せてきた。SNSだ。そういえば、事故が起こる前、誰かから送られてきた投稿とやらを見ていたようだが……。
「誰かのアカウントか?」
「誰のだと思う?」
「知らねぇ」
「被害者、鳩中さんの表アカウントだよ」
言われてユーザー名を確認すると、『はとはあと♡』と、関連してるような、してないような、微妙な名前が記されていた。
「表……って、裏もあんのか」
「そりゃ、ああいうタイプの子は最低でも5個はアカウントを持ってるものだからね」
お前はそれらを把握してるのか、とは訊ねないでおこう。「YES」と返ってきたらと思うと怖すぎる。
「実は深夜のうちに、同好会の人から『見てみろ』って送られてきたんだ」
「さっき言ってたな。それが、鳩中のアカウント? なんでまた……」
九木はなにか逡巡するような目つきになった。僕の質問には答えず、鳩中の投稿の一つを表示させた。
「これが今朝、投稿された」
その投稿は簡潔だ。
《疲れました。さようなら。》
「遺書か……?」
「っぽいよねぇ」
遺書の内容は──遺書など読んだことはないが──シンプルで分かりやすいものだ。お手本になるレベルに。
だが、引っかかるものがあった。
鳩中のことはほとんど知らないが、なにか、違和感がある気がする。
「……でね!」
「うわっ」
途端に九木のテンションが上がった。
そうだ。僕が八尺様の話を始めたときもこんな感じだった。
「それよりもっと前! 同好会の人が見ろって言ったのは、もっと前の投稿! 見てよ、『アレ』と一緒なんだ!」
「『アレ』って……」
鳩中は今日の23時頃から、一定間隔で投稿を行っていた。古い順に黙読していく。
《気のせいかもしれないけど……
電車止まんない……》
《トンネル出たら速度落ちたかも!
停まりそう?》
《え》
《きさらぎ駅!
嘘、きさらぎ駅に停まっちゃった!》
僕は視線を九木に移す。
「これ、なんかの冗談か? オカルト同好会の間でだけ通じるやつ……。『きさらぎ駅』ってなんだよ?」
「えぇー……?」
九木はため息混じりの声をあげる。どことなく、軽蔑気味の目で見てきた。ムカつく。
「君はもっと都市伝説とかに触れないと駄目だよ。きさらぎ駅は、ネット都市伝説の王道だよ?」
「知ら……」
「知らねーじゃなくて! 星太郎くん、それ口癖だよねー」
実際、知らねーと言って突き放したい事が多すぎるのだ。九木の発言は特に。
「とりあえず、最後まで読んでよ」
《降りていろいろ探してみる! トンネルあるかな?》
トンネル? 九木に目で訴えると「元々の都市伝説にあるの」となぜか小声で補足された。
《写真撮るね》
《線路に沿っていきまーす
あ! 祭りの音がする! 太鼓と鈴!》
《片足の人がいます
ちょっと怖い……》
《トンネルまで到着!
それでは行ってきます……!》
《トンネル》
そこで一旦、僕は顔を上げる。目を休めたかったし、脳も疲れた。
投稿の中で写真付きのものは3つだ。
《写真撮るね》という投稿に添付されたのは、「きさらぎ」と書かれた駅名標だ。次の駅も前の駅も記されてない。
《片足の人がいます
ちょっと怖い……》
という投稿に添付されている写真は薄暗くて、細部がまったく分からない。画面下にはうっすら線路らしきものが見える。
離れた場所に、人影のようなものがいた。
文のとおり、片足のシルエットだ。
《トンネルまで到着!
それでは行ってきます……!》
トンネルの入口が広がる写真が添付されている。怪物が口を広げている、と思ってしまうのは、自然な流れかもしれない。
「きさらぎ駅ってのは、どんな話なんだ?」
「詳しくはネットで調べてよ。でも、あらすじだけ語ると……」
九木は簡潔に話そうとしていたが、結局彼女の熱は凄まじく、長くなった。
さらにかいつまむと、こういうことらしい。
***
初出は2004年の匿名掲示板。もちろんSNSも馴染みのない時代だ。
「はすみ」というハンドルネームの、おそらくは女性が、電車で眠ってしまい、起きたら見知らぬ駅に着いてしまった。
その駅が「きさらぎ駅」だ。
彼女は降り立ち、夜の闇を進む。
鈴と太鼓の音が聞こえたり、片足の人が声をかけてきたり、トンネルの先へ進んだりと、鳩中の投稿とほとんど同じ出来事を体験した。
最終的にはすみは、トンネルを抜けた先で「車で送ってくれる優しい人物」とやらに連れられて、消息を絶った、らしい。
現代だったら、「ネタ」だの「釣り」だの言われて、都市伝説にならずに忘れ去られただろう。
「一応、きさらぎ駅には派生作品があって。別の人が別の場所でその駅に辿り着いてしまって……みたいな。まあ、便乗ってだけの気もするけどね」
九木はそう言って締めくくった。
***
それから、投稿の続きを見る。
《ごめんなさい。これ以上は無理です。》
これが、午前3時頃の投稿で、それからしばらく空白の時間が生まれている。そして次が最後だ。
《疲れました。さようなら。》
投稿時間は4時10分。事故が起きたのは……。
「5時45分。あのとき、わたしスマホ見てたから、正確に分かるよ」
「最期の言葉かと思ったが……妙に時間が空いてるな……」
「躊躇いとかあったんじゃない?」
「お前は、この件は『きさらぎ駅』とやらが関係してるって言いたいのか?」
首を横に振ってくれと祈ってみたが、無駄だ。九木は仏のように穏やかな顔で頷いた。
「だが、おかしいだろ。鳩中は自殺だ。きさらぎ駅の話で、投稿者は自殺なんかしてない」
「でも自殺してないとも、明確に言われてない。消息を絶った、それだけ」
「んなこと言ったら……」
「それに、きさらぎって鬼って意味なんだよ」
それは聞いたことがある。有名だろう。
「まさか星太郎くんは、鬼が、頭に角が生えて真っ赤で、虎のパンツを履いてる大男……とかって存在だとは思ってないよね?」
「当たり前だ」
「安心した。鬼ってね、昔は死者の霊だって言われてたの。簡単に言えばね。
ほら、人が死ぬとき、『鬼籍に入る』って言うでしょ。善悪どちらの霊かは決まってないけど……やっぱり悪いものとして扱われることが多いかな」
「きさらぎ駅は……そんな霊がいる駅だってことか? 話に出てきた片足の人や、投稿者を連れ去った人が、鬼?」
「かもね。ロマンがあるでしょ」
「いや、変じゃないか。鬼が鳩中に、なにかしたとして……なんで自殺させるんだ」
そもそもなんで殺すんだ、という根本的かつ常識的な疑問は、怪異に対しても、目の前の怪異オタクにも通用しないのだろう。
「悪霊に取り憑かれた人が、急に鬱々として自殺してしまう。よく聞く話だよ」
「どこでよく聞くんだ……?」
「とにかく! 鳩中さんの投稿、それに写真。そして彼女の死! きさらぎ駅が関わってるのは間違いないよ!」
「馬鹿げてる……」
しかしこうなった以上、九木は止められない。
「──もし本当に、鳩中さんが鬼に殺されたなら……わたしのことも、殺してくれるかも……!」
「馬鹿げてる……」
僕はもう一度、同じことを繰り返した。
九木狐十子は、怪異に殺されたいと言う。自殺願望があるのか? それとも僕には思いつかない含みがあるのか?
少なくとも、常識で考えてはいけない。
この女と一緒に過ごしていると僕までおかしくなっていきそうだ。
早く逃げ出さなければ、僕まで怪異に取り殺されるだろう。
「星太郎くん?」
「……なんだよ?」
九木は僕の顔を覗き込む。
「どしたの。ボーっとして」
「……なんでもない」
お前のせいだ。




