8.ウェルカムダンビラ商店街
列島が冬を忘れかけた頃、コンコさんがひとり公園のベンチで酒を飲んでいた。
散りかけの桜の下、月明かりが美しい横顔を眺めて。いつも笑顔を絶やさない彼女が、今日は珍しく涙を浮かべていた。
その様があまりに画になったものだから、かける言葉を忘れ、息を呑んだ。
「苦い〜」
ビールが苦くて泣いていたのだと知り愕然とした。
「しょーもな!?」
「みんなありがたがって飲んでいるくせ、私はその美味しさがわからない。ビールですら私を迫害するんだ。つらい」
「ビールの味がわかる子供のほうが珍しいやろ」
コンコさんはときたま、こうやってひどく落ち込むことがある。キッカケとかは別にない。天気みたいな人なのだ。
「私はまだ子供なの? どうして? 父には女として使われているし、酒やタバコ、薬を打ったことだってある。ヘマした組員を父と一緒にバラしたり。立ち退かない頑固な爺さんの家に火を放ったりもした。悪いことは全部やった。それでも私は子供なの?」
「悪いことを武勇伝みたいに羅列するあたり、コンコさんは十分子供だよ」
罪のほとんどは父に無理強いされたこと。自発的ではない。あえていうのなら——。
「こんなにも優しい生石くんを、惚れさせちゃったのが私の罪かぁ」
やかましい。責任取れよ。
「ところで少年、その手に持っているジュースはなんだい? お金なんて貰えるはずないのにさ」
「……言いたくない」
「万引きをお姉さんに隠すあたり、君もまだまだ子供だね〜、可愛いじゃん。お金、出したげるからさ、一緒に謝りに行こ。そしてもうしないこと、私もお酒やめるから。ね、約束」
「べつにいいけれど、なんで今さら?」
なぜ善良のフリをする。公団民のくせに。
「他の奴らとは違うんだって、ポーズだけでもとりたいじゃん」
よくわからんけど。
「了解。その前に乾杯や」
「ん」
罪と罪を合わせる。
少し祈ろう。
コンコさんが大嫌いな大人にならなくていいように。
あなたがずっと笑っていられるように。
「にが〜」
ビールはいつまでも苦いものであるべきだ。
そのためならおれはなんだってしてやれる。
この手を血みどろに染めることだって。
そう思っていたのだが——。
「生石く〜ん、これめちゃ美味しいよ〜、ビールと違って甘いんだぁ。君も飲みなよ〜。あたまんなかパァってなってさぁ〜」
「さっそく決意が揺らぐわ……」
コンコさんが心底幸せそうに酒を飲んでいた。
約束のことなどすっぽり忘れて、欲望の赴くままに。この人は軽はずみにドキドキする約束をして、息を吐くように忘却する。
時間をすこし巻き戻す。
おれたちはナナシの案内で公団を進み、忌み子たちが集うコミュニティの一つへやってきていた。
『ウェルカム・ダンビラ商店街』
ボロボロの看板を掲げるアーチ。くぐると雰囲気がガラリと変わった。独特な《《熱気》》を感じ取ったのだ。
足を踏み入れるごとに喧騒が大きくなる。目抜通り、スッポン忌み子たちが多種の品を露店に並べ商売をしていた。数は計り知れず、数百メートル遠方まで出店が連なっていた。
「裏公団に忌み子が何人いるのか詳しくは知りません。ですがほとんどの者がダンビラ商店街を利用しているのは間違いないでしょう。安心してください、ここでは『暴力』が禁じられている」
ナナシの説明を聞きつつ、おれは感嘆を抑えることができないでいた。
見たこともないような謎の物品を売り買いする忌み子たち。コミュニケーションはジェスチャーが主体のようで、言葉はなくとも問題なく意思疎通が叶っている。懸命な客引きに呼び込み、品定めをする真剣な眼差し、みな必死に生活していることが伺えた。
そこには熱があった。
行き交う者の体格はまばらで、見るからに強そうな巨漢もゴロゴロと。手作りなのだろう、皮やボロ布で出来た衣服を着ているので、制服姿のおれたちは異様に目立っていた。
忌み子もおれたちが気になっているのだろう、刺すような視線をいくつも感じた。
「肉、狩たい放題じゃん」
「コンコさま、滅多なことは言わないでください。日中の商店街では暴力が禁忌とされています。騒ぎを起こせばすぐにダンビラ組が駆けつけて、ナナシ共など簡単に殺されてしまう」
「ダンビラ組? そいつら生石くんより強いの?」
「百人規模の訪問者を筆頭に、強力な呪われを要する、裏公団随一の自警団です。彼らのおかげで商店街は成り立っており、誰も手を出そうなどしません」
人殺しが当たり前の世界で、なぜまかりなりにも秩序が保たれているのか。
どの世界でも同じこと、圧倒的な力による支配だ。
力を前に弱きものは従わざるをえない。たとえばそれが政府だったり、ヤクザだったりする。
正義か悪かはさしたる問題でない。
わかりやすくていいね。
売買を注意深く観察していると、あることに気づいた。金銭は肉だったり、謎の硬貨だったりしたのだ。日本円でないことは確か。
「硬貨はダンビラ組が独占発行し、商店街以外では使用することができません。腐りやすい肉を金銭という価値で保存できるメリットは高い」
ナナシは背嚢から男の死体を取り出し、肉の売買を専門としている店主に声をかけた。どうやら値段の交渉を行なっているようだ。
肉を売れば他の物品を購入するための金銭が手に入る。店側は戦わずして肉を集めることができる。
同族の死を基盤とした商店街の構造は歪だが、理にかなっていた。
「んー。なーんか違うんだよなぁ。そうは思わないかい? 生石くん」
「なんや急に」
「裏公団、肉をかけたデスゲーム。いいね、面白そうじゃん。ここでなら気ままに生きていける! そう思えていたのに、なんだかね〜、惜しいよね。結局、ここでも現実と同じようなルールがあって。同じような組織が力を持っていて。たいして変わらないじゃんって、思ってしまうの」
「はぁ」
言わんとしていることはわかる。いわゆる普通の社会から見れば、裏公団は奇想天外な場所に違いない。
けれどおれたちは公団民だ。殺傷沙汰は頻発するし、ヤクザが町を牛耳っている。システムにそう大きな違いはない。
「商店街なんて設定、私は求めていない」
だがおれはあまり共感してやることができなかった。ときたま彼女の言っていることが分からなくなる。
所詮は他人なのだと思い知らされる。
「——いっそのこと、壊してしまおうか」
消え入るような声音が、とても冗談に聞こえなくて。背筋をなぞられるような悪寒が走った。
「ええやん、愉快愉快」
「でしょ〜」
だからつい軽薄な返事をしてしまう。話が有耶無耶になって終わる。もしもここでもう少し彼女に向き合えていたのなら、あんなことにはならなかったかもしれないのに——。
「お二人とも、そこそこのお金になりましたよ! 五千エンです!」
「それがどれほどのものなのかわからんけど、よし! ショッピングだ!」
「楽しんでんじゃん……」
てなわけで酒を飲み、今日をダメにするコンコさんであった。




