4.エッチできないね
いつから意識があったのだろう、あまりハッキリとしない。夢と現実の境目をなぞるような不思議な居心地だ。気がついたときにはすでに神社の外へ放り出されていた。
スッポン坊主の姿はどこにも見当たらず、周りをウロチョロと観察するコンコさんだけがいた。
一つ言えるのは、ここはもう先ほどの世界とは別の場所だということ。
なぜそうと言い切れるのか。
肌にまとわりつく粘着質な空気感、生物の気配を感じさせない深い静寂、何か不吉なことが起こるのだという確信めいた予感。
根拠は他にもある。
空だ。裏公団は空の色が現実と異なって見えた。
青や赤だけじゃ無い。その他極彩色が混じり合った、高熱の日にみる悪夢のような空色。
不可解の連続、気が動転する。
「あっはー、こりゃすげーや」
なぜ彼女は冷静でいられるのだろうか。今しがた我が子を奪われたばかりだというのに、いつもと変わらない良い笑顔だ。
「それは無責任か」
殺したいほど憎い相手の子なわけだから、むしろせいせいしているだろう。
他人の心の機微を察するのはどうにも苦手だ。
特に彼女のような異端者ともなれば。
「は!?」
何はともあれおれの局部である。先ほどの苦痛が嘘のよう、今は痛くも痒くもない。だがズボンの中身を覗きこむと絶望の光景が広がっていた。
——つまり何もなかった。
「うっへぇ。かわいくなっちゃってるじゃん」
無断でコンコさんに覗き込まれたが、怒る気力すら湧かなかった。綺麗さっぱりに、なにもかも無くなっていたのだから。股先は滑らかな曲線を描き、尿道などの器官も見当たらない。儀式はつつがなく執行されたわけだ。
おしっこをするときはどうすればいいのだろう。
コンコさんが耳元で意地悪にささやく。
「これじゃあエッチできないね」
受け入れ難い現実がふつふつと怒りに変換された。頭の奥で血が湧き立ち、じんと痛む。つまり泣きそうだってこと。今のおれは躊躇わない。
「あのスッポン野郎どこや。殺したる」
もちろん八つ当たりだとわかっている。コンコさんにそそのかされ、儀式を受けいれたのはおれだ。喪失の責任はおれ自身にある。
だからってこの怒りを抑えることはできない。
思春期の男からすれば局部の喪失は死と同義だからだ。
「生石くん、私のためにありがとね。大好き」
……。
「もうどないでもええわ」
地球規模の憤怒は呆気なく霧散した。
好きな人の笑顔を前に思春期は敵わないのだ。
「んじゃ、行こっか」
そんなこんなで歩き出す。
裏公団だろうが裏世界だろうがやることは現実と変わらない。
頭空っぽにして、疑問も不安も厠に流して、毎日を漠然と生きるだけだ。
それが不幸に対抗する唯一の術だと、おれたちは知っている。
裏公団の外観は現実とさして変わらないように思えた。
ただ、あの場所特有の、常に監視されているような視線をここでは感じない。
「建物の配置が公団とは違うよね」
ハッとした。よくよく観察すると、県営住宅の並びや、送電塔に貯水タンク、他にもいろいろとあるが、どれもがおれ達の記憶とはわずかに乖離していた。
そうなれば必然知る道も異なってくる。風景だけが同じな、まったく知らない場所にやって来たのだと認識を改める。
「うす気味悪いなぁ」
「そうだ。高いところから、ここがどうなっているのか眺めてみようよ」
「アリ」
一度周囲の景色を観察しておきたい。
幸いにも県営住宅の作りは現実と同じだったので、難なく侵入して屋上へ向かうことができた。
こつこつ、階段を先に登るコンコさん。後ろ姿を眺めていると奇妙な違和感を覚えた。なぜだろう、普段と違って見えたのだ。
「?」
所作は変わらない。だが強烈に匂う差異の正体はなんだ?
「あっ!? コンコさん腕!!」
咄嗟に彼女の左腕を握ってしまう。
本来そこにあるはずの、無数のリスカ跡が綺麗さっぱり無くなっていたからだ。
「えぇ、なにこれ」
目立つ傷は一つもなく、すべすべな柔肌の感触だけが返ってきた。
空の色が違うことよりも、スッポン坊主との遭遇よりも。目の前の異変はより身近な実感として、おれの小心をブルりと震わした。
すでに理から外れているのだと。
「よくわからないのだけれど、裏公団では傷が治るの?」
「いや、ちゃうと思う。だってコンコさん、顔……」
いまだ腫れ上がったままだ。
「んー。これは出来立てホヤホヤのやつだから? にしても生石くんは治ってないしなぁ」
コンコさんが坊主頭をゴシゴシと雑に撫でる。
ヤンキー連中と喧嘩したときに縫った、頭頂部のハゲが健在らしい。
唇の端を二ッと持ち上げられる。
半グレにリンチされたとき抜けてしまった永久歯も、生えていないらしい。
小首を捻っていると、コンコさんが懐からカッターナイフを取り出した。彼女は刃物を常備しているタイプのイタい人なのだ。
「実験してみようか」
言うと刃先をおれの手の甲に当てがう。意図が読めたのでこくりとうなずく。
優しく撫でるように切れ込みを入れられた。ツーっと血が滴る。少し痛い。それだけ。
「治る気配なし。私はどうだろう」
ここで変化が生じる。コンコさんがいつものように自傷すると、瞬く間に傷口が塞がったのだ。
出血する暇さえなかった。まるで映像を逆再生しているかのような回復速度だ。これには流石の彼女も目を見開き驚いていた。
すぐにより深く傷つける。
神経が削がれる音を聞いた。
「えっぐ、躊躇ねえなぁ」
「うげぇ、今度も治っちゃったよ。プラナリアみたいで嫌だなぁ」
両断されて、二体に分裂するコンコさんを想起する。そんなの世界が耐えられないぜ。
「マジで意味わからんけど、治癒現象はコンコさんだけに起こるみたいやな。おれはてんで治らへん」
「ふ〜ん。ま、いいや。べつに悪いことでもないし。どーでもいいや」
「軽っ!?」
コンコさんは飽きたと言わんばかりに進み始めた。
ほんと図太いなぁ。
彼女は基本何事にも動じない。鋼の意志力とはまた違うのだろう。強いて言うのなら、自分のことに興味がないから、取り巻く環境すらはき捨てられるような。投げやりの精神性を垣間見た気がする。
実験の結果わかったことは、痣や打撲痕は治らないものの、切り傷であれば程度の如何に関わらず、瞬時に回復すると言うことだ。
なぜコンコさんだけにそんな不可思議がおこるのだろう。
まったくもってカオスだ!
「うわぁ、すげえや」
屋上からの景色にも度肝を抜かされた。
現実の公団は盆地となっており、周囲を山々で囲われている。
だというのにここは地平線の彼方まで公団が広がっていたのだ。
目の前の景色だけを切り取っても、数百の県営住宅が立ちならんでいる。それが360℃みわたす限り伸びているのだから、まるで陸上で漂流してしまったかのような錯覚を覚える。
度にここは異界であるのだと言う事実を、まざまざと突きつけてくる。連続する驚愕はおれたちの注意を刈り取り。
——よって、背後に近づく凶刃に気づけなかった。
「ガァァァァ」
「生石くん! あぶない!!」
振り返ったときにはすでに遅く。
おれを庇ったコンコさんの腕に深々と刃物が突き刺ささっていた。
血。
おれの初恋が蔑ろにされた。
敵を殺すのにこれ以上の理由はいらなかった。
わかりにくいですが一応異世界ものとなっております。
地味に書くのは初めてなので、ワクワクしています。




