37.最終血戦
ドス黒く濁った粘性のうねり。それは堆積した呪いの泥濘。コノコは千もの呪いを取り込むことで、ついに神智を超えたのだ。
山の如く膨れ上がった禍つ巨人。異形の姿に臓が震えた。
【怖気づいたのか?】
「はっ! 敵は強いほどに血湧く!」
数千人規模の血液はすでに手中にある。これより射出するは、貴様に殺された者どもの束ね、ことごとく理不を断ち切る一撃。
【すなわち赤色の射て星である。生石、ぶちまけろ】
「ぼたぼた!」
初撃、奔流。
血の槍はコノコの装いを見事剥がした。
「ぼたぼた!!」
次撃、暴発
槍には《《りゅうの血》》を混ぜ合わせてある。
躍動の指示を受けた爆性、衝撃は連鎖した。
「ぼたぼた!!!」
奥義——。
【血戦刀】
真髄が怨敵の本体を捉えた。
以上全霊、だとも首を落とすことかなわず。
「ちっ。仕留めそこなったか!」
【だがざっと八百の呪いを圧殺したさね】
泥は肉体から漏れ出した塵芥にすぎない。あらわになった全身は、褥瘡のごとく赤黒く変質していた。
グロテスクな身体の中で唯一澄んだ瞳がおれを捉える。
コノコが敵を視認した——。
【やつは複数の呪いを操るさね。気張れよ】
『視力が喪失する呪い』
『聴覚が欠損する呪い』
『触覚が壊死する呪い』
『味覚が剥離する呪い』
『嗅覚が蒸発する呪い』
何も感じない。感覚器が呪い潰されたのだ。
「とはいえここは血溜まりや」
先の一撃は地に暴露し、足元には血溜まりが形成されていた。
これより我が領域内。たとえ五感を失おうとも、奴は脳の上で踊っているようなもの。
「必死のパッチなもんで、泥臭く行かせてもらう」
踏み込む。繰り出すは発気の殴打。
「ステゴロじゃあ!!」
手応えあり。『触れた者の手を捩じ切る呪い』により拳を吹き飛ばされた。指がばらけて宙を舞う。知ったことか、血液で代筆し、後頭部をわし掴む。
引き寄せ、顔面に膝鉄をカチ込む。直撃。効果は見られないが、奴の意識をほんの少し前へ誘導した。
『口から致死性の毒霧を吐く呪い』
異臭を感じ取り、すんでで躱す、今だ——。
ステップで背後を取り、はがいじめの形で組み付く。
バックテイクからのチョークスリーパー、好機! 首に回した両腕を全力で締め上げる。
「がはっ!?」
『背中からトゲをはやす呪い』
トゲは臓腑を貫き、苦痛で意識が点滅する。
コノコから離れ、傷ついた臓腑を血ででっち上げるも、痛いものは痛い。まったく嫌になるくらい歯が立たない。
「半端ねぇ……」
だが無駄骨ではなかった。痛みを感じるということは触覚が。姿が見えるということは視覚が。匂いを感じるということは嗅覚が正常に機能している証拠だ。
奴は複数の呪いを保有しているが、複数の呪いを並行するには限度があるのだ。
その数おそらく五——。
「だからなんだっちゅう話やが」
ありがたい、攻め続ける契機ができた。
「全部さらけだせや!」
血の弾幕を絶え間なく浴びせ続ける。休息のいとまなどあたえてたまるか。
近接。じりじりと。異様な圧に吐き気、かまわず踏み込め。
『筋肉を弛緩させる呪い』
なんでもありか。立っていられなくなる。ちくしょう。四肢が言うことを聞かない。
ならば強制的に奮い立たせてやる。
心臓を叩く。リコイルエンジンのスターターを起動させるように。
血は起爆し、大動脈内においては秒速十メートルを超えた。当然毛細血管が弾け飛ぶ。
目から。鼻から。耳から。口から。ししむらから血が吹き出る。すべてはこの一歩を踏み出すために。
「だぁ!!」
なんてことのない殴打。腰は入っていない。ダメージもさほどない。拳が捻じ切れる。激痛が戦意を挫こうと働く。息を吸うごとに死の予感がチラつく。
なぜおれは命を蔑ろにしている?
わからない。戦う理由なんてない。
コノコに何かをされたわけでも、恨みがあるわけでもない。大義こそ皆無だ。
なのにどうして死に物狂いで挑めるのか。
わけがわからない。興味もない。
ただ勝利条件だけが明白だ。
【コノコの血液を解析する。それがこちらに残された唯一の勝ち筋さね】
コノコの皮膚は爛れ、痛ましくも血が滲んでいる。
触れるだけで呪いは血の成分を解析し、ついには奴の息の根を止めるだろう。
勝てるかもしれない。
十分だ。それだけあれば立ち向かえる。
「目覚めてからずっと何かにイラついていた」
以前にどんな理不尽があったのか。
大丈夫。もう思い出さなくていいように、ここで全部終わりにする。
「まだまだ踊りたりんねん」
ほら、手を取り合って。
「ふんっ——」
背負い投げる。すぐさま鳩尾に膝を押し付け、ニーオンの体制。膝を滑らせマウントポジションへ。
「えらい素直やないか!」
殴る。殴る。殴る。
すべては見せかけの優勢だった。
コノコが地面に触れた。瞬間、意識が燃えた。
『発火する呪い』
炎に皮膚が焼けこげ、死の淵に追いやられる。
だがより重篤なのは——。
【血溜まりが蒸発させられた!】
呪いの領域が役割を終えた。
『五感を消失させる呪い』
手詰まり。必死。もうおしまい。
絶望。
「いや、まだだ」
まだおれの血が残っている。
意識が消える直前、コノコはすぐそばにいた。舌を噛み切り、血を多量に吐き出す。ほんの少し、たった一滴でも付着してくれたのならば——。
血の呪いが、然るべき場所を教えてくれる。
「みっけ!」
たとえ五感を失おうとも、身体の使い方は脊椎が知っている。
飛びつき、組みつき、完璧!
十字締めへ——。
「な!?」
『互いの位置を入れ替える呪い』
視力が戻った。位置が入れ替わったのだろう、コノコは最高のポジションでおれに組みついていた。絶体絶命、その口元はニヤリと笑っていた。
そうか、よかった。おれだけじゃなかった。お前も楽しんでくれていたのか。
なら最後まで意地汚く足掻こう。せっかく産まれてきたのだから。目一杯、満ち足りるまで。
「ぼたぼた!!」
一か八かの大勝負。心臓にただ一つ『出血』の命令を与える。瞬く間に赤が弾け、推進力を獲得。コノコから距離を取ることに成功した。
だがしょせんおれはガキだ。
限界を迎えた。
「あ——」
血を失いすぎたのだ。末端が冷える。自意識が遠のく。もう何も考えられない。立っていられない。ただコノコを俯瞰している。
気のせいかもしれない。コノコの言葉が聞こえたような気がする。
「遊んでくれてありがとう、産まれて初めて楽しかった」
その手には泥が渦巻いていた。百の呪いを集約させた確実な死。おれにぶつけるつもりなのだ。
血の解析はいまだ半分程度しか進んでいない。
ここまでか。十分やった。おつかれ。おれも楽しかった。
ちゃんと諦めた。ちゃんと負けた。
だからこれは、あくる日の残暑みたいな、ほんの一滴のささやかな願いだ。
『最期にもう一度、あなたに会いたい』
夕焼けに落ちる影を踏む。それが誰のものなのか、もう思い出せないけれど。
【これは奇跡などでない。血よりも確かな絆、まさに呪いの血縁さね】
「かぁさま?」
コノコを見る。どこを見ている?
視線の先には、それはそれは美しい、血まみれの女性が立っていた。
「生石様、遅ればせながら、ただいま参りました!」
女性はおれの名前を呼んだ。
かと思えば、ポーチのような袋を投げてきた。
「お使いください!」
袋から、ドバッと血液が溢れ出てきた。
瞬間、電撃のように神経系が高鳴った。
おれはこの血を知っている。
それどころか、恋していた。
そうか、そうか、そうか。
「コノコ、お前あの人の息子やろ」
コノコは我に帰ったのだろう、呪いの泥を射出した。だが数瞬、おれの方が早かった。
【奥義——】
刃が泥を切り裂き、コノコに触れる。
血の解析は半分ほどしか進んでいない。
『あの女性とコノコは親子である』
だがもう半分は、溺れるほどに浴びてきた!!
「死にたくない」
「ぼたぼた!!」
弾けて、溢れて。
足元には、血溜まりだけが広がっていた。
「はぁ、はぁ」
勝てた理由はただ一つ。
コノコはあの人のことが、怨嗟をほんのひととき、忘れてしまえるほどに大好きで。
おれはあの人のことを、何も覚えていなかったから。
「死にたくないなんて、言わんといて欲しかった」
【コノコは呪いさね。血と呪いは祈りに似ている】
両の手を合わせる。こびりついた赤を見やる。
死ねばどんな絆も冷たくなってしまう。
コノコの生涯にはなんの意味があったのだろう。
知るわけがない。ただ、目を逸らすつもりもない。
こいつの分まで。
生きろ。




