30.レゾンデートルの消失
「辛気臭いなぁ。黙りこくってから」
しばらくして、コンコさんが部屋に入ってきた。
「あんまりにも帰りが遅いから、見に来ちゃった」
「……すまんかった。人と話してたんや。そいつはプレイヤーやけど、悪いやつじゃなかった。商人らしく、戦闘は不向きらしい。護衛の仕事も頼まれた。明日一日だけ助けたろ思う」
世界の真相はは時が来るまで黙っておこうと思う。話を聞いた彼女がどう動くのか未知数だから。
できるだけ穏便にことを進めて、三人揃ってギルクエからのリタイアを目指していきたい。
自分で言っていて、ほとほと悲しくなってくる。
たくさん殺した。取り返しのつかないことをした。
本来なら生き残れたはずの命たちだ。
『おれも死ぬから』と言い訳して。
なのにいざ逃げ道ができると我先に駆け出す浅ましい姿勢、反吐が出る。
あまつ責任を負うとまで断言したコノコの宿命からも逃避するというのか。
ただ、コンコさんたちと生きられたなら、どんな誹りでも受け入れられる気がした。
【誰かを殺すということは、誰かを殺してまで生きるということ。死ぬほうが不自然で無責任さね。お前の決断は過ちでない】
ありがとう、キナと出会えてよかった。
「おいおーい、センチになってんなって。私の御前にいるんだぜ、なら、私のことだけを考えときなよ」
両頬をギュッとおさえられる。強制的に目を合わせられる。こんなときでも見惚れてしまう。
「どうせ君、その商人とやらに色々吹き込まれでもしたんでしょ。たとえばゲームを『リタイア』する方法とか——」
鳥肌が立つ。しまった、数瞬だが表情に出てしまった。図星であると見抜かれたに違いない。
「ごめん、説明させ——」
「ダメ」
口を閉ざされた。彼女の唇は薄く、歯の感触がして少し痛かった。
数秒間の接吻、はやる心を落ち着かせるには十分だ。
「なんでわかったん?」
「大好きな君のことだもん、なんだってわかるさ。ゲームがリタイア可能なのは早い段階で察していたよ? 当然するつもりないし、生石君も私の気持ちを汲んでくれているとばかり」
おれはコンコさんのために死ぬつもりだった。本心だ。
でも、今はもう……。
「できれば死にたくない、その気持ちもわかる。私だって生石君にはいなくなってほしくないよ? なので脱出のことは伝えませんでした。知っちゃったら、私がひどいやつみたいだもん」
「ツッコミ待ち?」
「私の生石君なら、リタイアできるからって逃げ出したりしない。なのにどうしてだろう、なぜ意地汚く生きようとしている? 考えられるとすれば……」
コンコさんが耽るなか、ふと違和感を覚えた。
ナナシはどこだ?
扉が開く。ゴロリと音を立ててナニカが転がる。
ファンファーレ。レベルの上がる音……。
ナナシは解体がうまい。
彼は見事に、《《商人》》の生首を晒してくれた。
「お申し付け通り、ことを済ませました。一酸化炭素でしたっけ? アイテムポーチは便利ですね」
商人は横の部屋で休んでいたはず。つまりは密室だ。無味無臭の猛毒から逃れられる術はない。
愕然としているおれを、コンコさんがベッドへ押し倒した。イタズラな微笑み。
「ありゃりゃ、もしかして気付いちゃった? 公団も裏世界だってことに」
時が消失する。
脳が理解よりも早くに急冷された。
「上にも沢山の世界があるってことに」
なぜコンコさんがそのことを知っている。おれと同じ公団出身者なのに。
まさか——。
脳裏によぎる思考を反射的に否定する。
あまりにも邪悪かつ、非人道的な可能性だったから。
「気付いちゃったかぁ〜、そうかぁ〜、残念だな」
頭を撫でられる。ずっと求めていたことなのに、今は恐ろしくて仕方がなかった。
「もうちょっと引き伸ばせると思ったんだけれどなぁ。商人のやつ、いらんことしやがって。ほんと、人間なんて嫌いだわ」
耳元で囁かれた消え入りそうな低い吐露。心を鷲掴みにされる。熟れた果実を握りつぶすように力強く。
「たしかに魅力的な話だよね。百以上もある未知の世界への探索、生石君は死なず、仲良く三人で冒険ができる。とっても素敵な物語」
ここまでくれば嫌でもわかる。おれはなんて愚かなのだろうと。
ずっと一緒にいたのに。
ずっと大好きだったのに。
一瞬たりとも、その可能性に至らないだなんて。
「でも、それは無理なんだ。だって私、全部知っちゃってるもん」
コンコさんはおれと違うのだ。
コンコさんは訪問者なのだ。
キナやおれのように裏世界で産まれたわけでなく、現世からここまで全ての階層を踏破してきた、生粋のプレイヤー。
「だって私、神様なんだもん」
公団は神のいない世界などではなかった。
命が軽く、みなが一律に不幸で、心底終わった世界観。
クソと汚泥に塗れた地獄の血溜まり。
そんな場所で、唯一楽しそうに咲く一輪の毒花。
おれには美しく思えたのだ。
生血を啜って、チャチャチャ。
打ち抜かれて、コンコさんを好きになった。
風穴の空いた心から、こぼれ落ちるを舐め、赤熱を恋だと錯覚して。
「あんたは公団に何を望んだんや」
「神様になるってことはね、最下層にたどり着いちゃったってことなの。ゴールなの。冒険はそこでおしまい。そんなのつまらないよね。だから儀式なんてない、誰でも簡単に素通りできる世界にしてみました。スッポン坊主には空席を利用されちゃったけれど」
「そんなことは聞いていない!」
頭の奥で地獄がちらつく。
燃え盛る祖父、全てを諦めた母の喘ぎ、ひしゃげる腕の骨、手のひらに残る頭蓋を砕く感触。
なぜあなたは、あんなにも不幸な場所を作った。
【狐塚コンコの呪いは、『自傷行為への耐性』。呪いとは精神の表出——】
「傷つけても傷つけても、なんでかな、私の心は気持ちいいの。痛ければ痛いほど、嬉しいの。生を実感するっていうか、端的にいっちゃうの、どうにかなっちゃうの! 私、不幸が一等大好きなの」
公団は、彼女ただ一人を不幸にするためだけに存在した。
認めざるを得ない。狐塚コンコは最悪の神だ。
「なら、なぜおれを作った!!」
コンコさんのことを好きになったから、今まで生きてこられた。あなたがいたからこそ、どんな不幸にも耐えられた。
あなたが、あなたが、あなたを愛しているから!!
あなたがいたから、幸せでした。
「私の大好きな生石君が、私のために死ぬだなんて、あぁ、なんて甘美な不幸だろう……」
自我の輪郭が曖昧にぼやけた。
レゾンデートル。存在意義の消失だ。
【殺す!!!!】
奥義・血戦刀——。
「ナナシ!!!!」
キナは刀を振るい。
コンコさんは配下の魔物に命令した。
同刻。ナナシは自らの首筋にナイフを当てがい、彼を思うキナは矛を収めるしかなかった。
「ナナシ君を私の配下に置いたのはミスだったね。君たち二人はナナシ君のことを大切にしているあまり、いざってときは脅しの道具になると思っていた。彼はもう私の命令を拒否することができない」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
ナナシは苦しいくらいに嗚咽して、ひたすらに謝意を訴えていた。
【……謝るな。ワシらの完敗だ】
コンコさんは鎧を脱ぐ。こんな状況なのに、しなやかな裸体にときめくおれの感性を殺したかった。
「バカで愚かな愛しい生石君。私のために産まれてきてくれた生石君。君はもう何も考えなくていい。全てを私に委ねればいい」
『深く考えない』
そのツケを最悪の形で支払う羽目になった。
あまねくおれの選択が招いた結末だ。
「その感情はどんな味?」
ペロリと、首筋を舐められる。
答える気にはなれなかった。
なぜまだ息をしていられるのか、不思議だ。
死ね。死ね。死ねよ。早く死んで楽になれよ。
何が最悪かって、いまだに彼女のことが好きでたまらない、おれの心だ。
恋? そんな甘ったるいものじゃない。
——呪いだ。
おれはコンコさんに抱かれたが、もう何も覚えちゃいない。夢のような心地であったから、夢のように抜け落ちていくのだ。
どんな夢かって?
そりゃあ悪夢だ。




