29.地獄の正体
まさかそんなことがあり得るのか。いやしかし、商人の発言を否定できる根拠はなんらなかった。
「いくつか質問しよう。生石君は国外、いや県外へ旅行に出かけたことはあるかい?」
「あらへん。うちは万年貧乏やから、そんなことしとる余裕なんてなかった。強いていうのなら隣町のコンビニにはお菓子貰いによういっとったな」
「ゲームや漫画が好きとのことだが、世間でもてはやされている新発売のソフトや、新進気鋭の若手漫画家が描いた話題作などを見たことは?」
「そんなもん聞いたこともない。ウチにはテレビもなければ本屋もない。全部コンコさんから借りたもんや。レトロゲームばっかやったな」
「公団は果てしなく治安が悪いとのことだが、行政が何か対策を講じてくれたことはあるか?」
「お国が手助けしてくれたことなんてほぼないな、放置されとったで。あってないような県住のやっすい家賃くらいちゃうか。そもそも市役所の場所もよう知らんわ」
「町ヤクザが他団体と抗争に発展したことは?」
「コンコさんのオヤジはヤクザやったけど、とくに争ってたちゅう話は聞かんな。かわりに地元の半グレとよう揉めとったわ。つか、なんやねんこの質問、こんなん聞いてなんの意味があんねん。回りくどいことせんとはっきり物言えや」
「心の準備をしてほしかったんだ。今から話すことは、とても受け入れ難いことだから。単刀直入に聞く。君たちが暮らしていた公団すら、神が作り上げたものだとすれば?」
「は?」
言葉の意味をかみ砕くのにしばらくゆうした。
おれたちが暮らしていた公団すら、神がうち建てた場所であり。つまり現実なんかではなく、裏公団と同様に裏世界であると?
とてもではないが、すんなりと受け入れることはできない。
「県外に行かなかったのではなく、行けなかった。外へ出ていくという思考は君たちに許されなかったのだろう。創作物の新作が発表されないのも、創作者が存在しないのだから当たりまえ。日本にあるまじき治安の悪さも、公権力や敵対組織の不在も。すべて現実でないからと説明がついてしまえる。過酷な環境下にあった君は、一人でも生きていける強さがあるはずの君は。なぜ家出すらしなかった? しようとも思わなかったのか?」
キナ……、説明しろ。
【生石、すまない。下へ向かうお前たちにわざわざ真実を教えてやる必要はないと勝手に判断したさね。忌み子たちには、頭上の世界こそ現実なのだという希望を与えてやりたかった。これは言い訳だな。商人の言っていることは正しい。お前たちが暮らしていた公団も、ここと同じ神が興した遊戯場にすぎない】
「私は生者死者とわず、何人もの訪問者と関わってきたから、公団よりも上に別の世界があることは知っていた。彼らによれば、公団は『神不在』の世界であり、門番の儀式もなければこれと言った障害もなく。素通りできた場所だったそうだ」
いや、矛盾している。公団が裏世界であるのなら、時は停滞しており、おれが産まれ成長することも——。
【何度も聞いたはずさね。呪いは法則を書き換える力。それが神のものであるのならなおのこと】
意地張っても無駄か……。
驚きこそすれ、別に落胆はない。
手前も異世界出身者だったってだけの話だ。
なのにどうしてだろう、無性に腹が立つのは。
「あぁ、そういう……。おれは神にむかついてるんやろうな。なしてわざわざ、あんなクソッたれた世界にする必要があったんかって」
コンコさんの境遇も。オヤジさんの自死も。祖父の愚かさも。母の非業も。おれの恋も。
不幸はすべて、誰かの欲望を満たすために作られた紛い物だったとするのなら。そんなふざけた話はない。
「なぁおっさん。ここはいったいなんなんや?」
なぁキナ。残酷なこの世界の正体は?
「そりゃあ君……」
【仏教において、業深き者どもは何層にも連なる異界で、何万何億年の月日、罰せられ続けるという】
————地獄だろ。
現実を捨て、欲望のまま神に至らんとする鬼たちは、裏世界という名の地獄へ自ら赴く。
そんな場所で産まれたおれたちは、産まれながらにして地獄行きってわけだ。
納得だね。
おれやコンコさん、咬犬にオヤジさん。どいつもこいつも地獄に落ちて然るべきクソ共だ。
忌み子だってそうだ、親より早く死んだ子供は、必ず『賽の河原』という地獄に行くそう。
無数に積みあげられた県営住宅が、途端に子供たちの石積みに思えてくる。
なぁキナ、公団の上にはどのくらいの世界があるん?
【白状するが、ワシとて現実世界の産まれではない。だから実際のところいくつあるのか明言はできないが、故郷からここへ来るまで、百以上の世界を超えてきたさね】
「もうわけわかんねぇ……」
頭はとっくにパンクしている。破裂口からドバドバと感慨がこぼれ落ちていく。
「おっさん、たしかに驚天動地の話やったわ。正直まだ混乱しとる。でも聞けてよかった。ありがとう」
真相に対しどう向き合うべきか。決まっている。
『深く考えない』
おれはこの理不尽を受け入れることにする。
なにせこの世界が地獄だなんて、とっくの昔に分かっていたことだから。
「話戻すけど、なんでこの話聞けたおれが、あんたの護衛を引き受けることにつながるんや? ありがたがってお礼してくれるとでも思たんか?」
だったら余計なお世話だよ。
知れて良かったとは思う。
でも知りたくなかったっていう気持ちも偽りならざる本音だから。
「もっとシンプルな話だよ。商品の対価は釣り合っている。公団と同じく神不在のギルクエ世界、どうやって上へ向かうのか。儀式もなければ蜘蛛の糸も降りてこない。登る方法を知るのはおそらく私だけだ」
嘘ではない。この商人は三層もの世界を超えてきた実績がある。『オオカミ少年のホラ貝』は彼の発言に対しこれまで一度も鳴っていない。
「護衛を終え、上へ向かう私を送り届ければいい。そこで君も方法を知れるわけだから、狐塚コンコに提案してはどうだろう。『上の世界も未知満ちている』と」
「……なるほど」
「私は狐塚コンコの信頼を獲得していない。話したところで無駄だろう。実際、君も神キナの助言がなければ信じなかったはずだ。ので、危険因子である狐塚コンコとは、できるだけ関わり合いになりたくない」
コンコさんは一度やったゲームを二度とプレイしない。だから上へは向かわない。
しかし公団すらも『道中』とわかった今、上にはまだまだ未開の土地が広がっていて。
そこへ向かうことでコンコさんの好奇心を埋められるのなら……。
「おれは死ななくて済む……?」
なぜ、どうして、よりにもよって。
いまさら、おれの前に希望の糸をぶら下げる?
苦しい。考えたくない。知りたくない。知りたくなかった。
「商品は出し尽くした。乗るかそるかは君に委ねる。決断に時間が必要だろう、横の部屋で休んでおくよ。私に危害が及ばない範囲であれば、ぜひ狐塚コンコとも話し合ってくれ」
いうと商人は退室した。
けれど彼はなぜか、これみよがしに『オオカミ少年のホラ貝』を残していった。
【生石、何度でもいうが、ワシはお前に生きてほしいさね】
うるさい、黙れ。
「おれはコンコさんのために死んでもいいんだ」
魔道具が、乾いた音色を響かせた──。




