2.魔羅と孕み子をさしだせ
おれたちが暮らす公団はべらぼうに治安が悪い。ヤの人がよく出入りしているし、シャブ中と売人の温床にもなっている。社会から爪弾きにされたのけ者たちが、肩を寄せ合って暮らしているので、ちょっとした事件は茶番時だ。
学校では連中と関わるなとお達しがでているので、友達なんて一人もできなかった。
当然のことだと思っている。
近所の公園で、ブランコに括り付けられた祖父が半グレ達に燃やされている現場を目にしたあの日から、常識的な人生は諦めている。
莫大な借金を返せず、頭から灯油を浴びせられ、生きたまま火を放たれたのだ。キャッキャと揺らして、弄ばれて。
母はそんな半グレたちの性奴隷だった。
当人も根っからの女だから、存外に状況を楽しんでいたように思う。あの中の誰がおれの父親なのか。ことさら興味もない。
コンコさんと出ていくと言っても、『ご自由に〜』としか言われなかった。期待されていないんだな。
「私たち、なんで生きていられるんだろうね」
「さあ。クソして寝てたら思いつくかも」
生きている理由なんて考えるだけクソだ。答えはいつだって生の否定へ行き着く。死にたくなるだけですので。
コンコさんの冷たい手を握りながら歩く。
お腹の子供はどうしよう。二人で育てていけるだろうか。身分を証明するものは何もない。戸籍も、信頼も。頼れる病院は見つかるだろうか。そもそも殺人罪で捕まってしまう気がする。
「知ってる〜? 13歳までは人を殺しても無罪なんだよ〜。生石くんはギリアウトかな?」
後先なんてかんがみない。
純に今を楽しむ。
あれこれ考えていたら、頭がおかしくなりそうだから。
「ねぇこれも知ってる? 公団の七不思議」
「さぁ」
「裏世界に通じる入り口が、一丁目一番地にあるんだって。私たち、もうそこに行くしかないのかもね」
それなら聞いたことがある。
公団は戦後、行き場をなくした浮浪者たちを一か所に追いやるため開発された場所だ。
以前は霊言あらたかな盆地だったそう。神社仏閣が立ち並び、異界と現実世界を繋ぐ神様の通り道だったとかなんとか。
空襲で間も無く全焼したが、今でもその名残が公団のどこかに隠されていて。
時たま人が迷い込んでは、フッと消えていなくなるそうな。
「十中八九、始末した死体を体良く隠すための、ヤクザが作った妄言やろうけど」
おれを手ひどく痛めつけてくれた半グレの一人も、ある日突然いなくなった。仲間たちは異界に飲まれたのだと、まことしやかにささやいていたが、真実は誰も知らない。
「ふーん。どうせやることないし、さがしてみよーぜ」
「……あいあい」
二人でトボトボと歩いていたら、意外にも一丁目一番地はすぐに見つけることができた。普段は誰も寄りつかないような細道の奥、そこは小さなお社になっていた。
「まじか……」
探せば見つかるもんだ。はたまた、目を逸らしていただけだったのか。
ビビるおれを尻目に、コンコさんはどんどん先へ進んでいく。置いていかれないよう袖を握る。しゃがまないと通れないような鳥居を潜って、境内に入る。
「うへぇ〜、ぼっろ」
お社はなんの手入れもされておらず、半ば朽ちていた。とうぜん供物の類いはなく、申し訳程度に対の狐像が置かれていた。
不気味だった。
日などとっくに傾き、夜が始まりつつある。街灯はなく、コンコさんの輪郭も曖昧にぼやけている。
季節は初夏だと言うのに、独特の肌寒さがまとわりつく。居心地が悪い。幽霊が出るのなら、きっとこんな場所を選ぶのだろう。
「中、入ってみよう」
「えぇ……」
ゾッとしない。ヤクザでも寄りつかないような場所に、好き好んでズケズケ踏み入る理由がわからない。
彼女に手を引かれるままおれたちは神社の戸を開けた。
中はがらん堂になっていて、埃っぽいだけの空間だった。
床は湿気で腐っており、歩くたびにひどく軋んだ。
コンコさんはなぜか戸を閉じた。
「お、おい」
「なに? ビビってんの?」
当惑をグッと堪える。なけなしの虚栄を張る。
「ここでなら誰にも見られない。約束通り、キスをしよう。もちろん、その続きも」
心臓の音が跳ねた。恐怖とドキドキが混じって、どうにかなってしまいそうだ。
「父はいつも私に乱暴しました。こんなキスは初めて。楽しみ」
コンコさんがおれのほほに右手を伸ばす。自傷跡で傷だらけの腕。
破滅的な、おれの大好きな腕。
初めてのキス。
彼女の唇はカサカサに乾いていて、困惑している間に舌を入れられギョッとする。
きっと手ひどく殴られのだろう、口の中がズタズタに傷んで、濃い血の味がした。ただ熱だけが伝わってきた。
「どう?」
「い、いいんちゃう?」
「ふふ。なにそれ」
この日のキスは、ただあっという間に思い出になる。
よほど驚きの出来事が、瞬きの間に起きたからだ。
「魔羅と孕み児をさしだせ」
「うわぁ!?」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。
——ソレは見るからに人ならざる異形の姿をしていた。
しわくちゃにたるんだ、緑色の外皮。老人のような見てくれなのに、毛のひとつもはえていない。
甲羅を剥ぎ取り、代わりに袈裟をまとわせたスッポンのような出立ちだ。
不快な臭いがする、二階のじいさんが孤独死していたときと同じ、人間が腐っていく臭い。
声音はおどろおどろしく、さも当然のように以下をのたまう。
「我は門番。裏公団へ渡りたければ、男の魔羅と女の孕み児をさしだせ」
もっとも悍ましいのは、奴の言葉を聞いたコンコさんの横顔が、カッと笑っていたことだ。




