16.呪いの継承
夢の中にいるとすぐにわかった。
水底でもがくような息苦しさ、ぼやけた思考が頭の中で反響してうるさい。
ありていにいって最悪の心地だ。
何もない真っ白な空間。先はどこまでも広がっているのに、一歩も動くことができなかった。薄気味悪い。
極め付けは奴だ。
こちらを見つめる裸体の少女。
おれは彼女に心当たりがあった。
「お前、キナか」
「キキ。左様さね、ワシこそがキナさんだ」
キナはひどくやつれていた。目の下のクマは深く、そばかすも目立つ。肉付きも悪く、肋骨が浮き上がっている。鼻血がポタポタとこぼれているのに、気にも止めていない様子だ。
造形自体はコンコさんにもまけないくらい整っているのに、不吉なオーラが凄まじく何の魅力も感じない。
老獪な口調もそれに拍車をかけていた。
「状況が読めないのだが」
「端的に話そう、お前は死んだ」
天を仰ぐ。なげやりになる。
「だよなぁ」
諦めや後悔よりも、納得に近かった。あれほどの傷を負ったのだ、希望など持てるはずもない。
「キキ、だがワシがそれを否定した。生きながらえさせるために、神の血を全てお前へ移植したさね」
「はぁ?」
呪われの肉を喰らえばその者の力を奪うことができる。キナは法則を利用した、おれへ強制的に呪いを輸血したのだ。
結果、キナの残留思念とおれの意識が接触したと。
理屈ではわかっていても、理由が解せない。なぜおれを救った?
「お前は呪われでなかった。ようは空の器さね。ワシの呪いに適合さえすれば、半日間程度、血の操作でどうにでもなる」
「ちょいまち。なんであんたがおれを生かすんだよ。あんたを殺そうとしたんやで。筋が通らない」
「別に思うところはないさね。そうなるようデザインしたのはワシだからの」
「なんで——」
「ナナシを庇ったろ」
そんなことを言われても、正直よく覚えていない。咄嗟のことだったし、体が勝手に動いたし。
ただ、馬鹿みたいに嬉しそうに、こちらへ駆け寄ってくる彼の姿が鮮明だ、脳裏にこびりついて離れない。なくすには惜しいと思った。
「ナナシは泣いたぞ。嫌悪の対象であるはずの人間の死にたいして、わんわんとな。ワシが否定した理想を、矮小なお前たち二人が実現してみせた。友情が、ヘドロで汚れたワシの心を溶かしたさね」
キナは忌み子のために裏公団を作った。
水子を憂うほどに優しい奴が、どうして現状を望もうか。
忌み子を迫害する人間、忌み子を調理して食う人間。
様を見続けて、いつしか慈しみは憎しみに転じた。
「別におれたちがエエ奴ってわけやない。他と同じく程度のしれたクソ野郎やで。特別なんはナナシのほうや」
彼の知性と胆力に見惚れて、おれたちは受け入れた。悪く言えば利用した。そのツケがまわってきただけのこと。
「だがそれはお前たちの友情を否定する根拠にならない」
「意味がわからん。呪いの移植って、そんなポップなもんなん?」
「まさか。ワシと言う存在はお前に取り込まれ、この世から消えて無くなるさね。貴様、人の好意に対して懐疑的すぎやしないか?」
「育ちが悪いもんでね、何か裏がないかと勘繰ってしまうんや」
優しくしてくれた人たちはみんな、最後にはおれを殴った。
だからこそコンコさんに懐いたのかもしれない。彼女はいつだっておれの人生をめちゃくちゃにしようと画策している。優しくないし、期待してくれている。
「ワシからしたら、お前こそ嘘つきさね。キキ、お前が言ったんだぞ」
『もう疲れたやろ、終わりにしよう』
「つきはなさないで」
「んー。悪い、カッコつけすぎた……」
「応とも、ワシは憎むことに疲れたさね。引き際は心得ているつもりだ。ワシの世界にはもう未来がない。老後はせいぜい、お前たちの友情でも見守るとしよう」
ナナシとの仲はそう褒められたものでない。
ネロとパトラッシュや、スターリングとラスカルほど美しいものでなく、根底には揺るぎない利害関係がある。
いまでもなぜ庇ったのか謎である。
もう一度選択を迫られれば、違った結末になるだろう。
そんなものを楽しみにするだなんて、こいつは真性のバカで、とんだお人好しだ。
「あんたの存在は消えると言わなかったか?」
「肉体は消える。だがワシの呪いはお前の中で生き続ける」
いまいちピンとこない。
死んだと言われたほうがはるかにわかりやすかった。
今はどう言う状況にある?
「ワシはこれよりお前の血肉であり、お前の一部さね。だからお前の命題が分かる。一つ、魂に響く言葉を贈ろう」
キナが立ち上がり、テコテコと近づいてくる。
小さな拳でおれの胸を叩いた。
「ワシの呪いを使いこなせてみせろ、さすればナナシもコンコも、みんなまとめて守ってやれるさね。うだうだ言わず、黙ってワシを受け入れろ」
「叶うなら、おれは悪魔とでも手を取り合うさ」
ならばもう、細かいことはどうでもいい。今はただ、早く二人に会いたかった。