12.キナ
「裏公団にも異界へと続く穴があいています」
さらに下の世界へ向かう大穴。
話によると、別世界は幾重にも下へ続く階層状になっているそうだ。
「別世界は裏公団も含め、神になった人間が生み出したもの。すべての異界を踏破し、最深部に辿り着いたとき。人間は新たな世界を創造する権利を獲得する」
「なになに? 急に壮大。ダンジョン攻略みたいなもんかね?」
試練を越えたなら、自身の望むままに。まさに神の所業だ。
「目標がないのなら、お二人も目指してみては?」
面白い話だと思った。とはいえ今日のナナシはなんだか押しが強い。
「んー、どう思うよ生石くん」
「神とか言われても、いまいちピンとこんなー」
望むべくはコンコさんひとりだ。彼女と一緒にいられたなら、おれは何も求めない。
「だよねー、私も同じ気持ち。神様とかはわりかしどうでもいい。ただ、別世界ってのは少し気になるな。普通に行ってみたい。裏公団の風景にも飽きてきた頃合いだし」
コンコさんの好奇心は底なしだ。あなたが向かうというのなら、おれはどんな場所にだってついていく。
地獄までお供しましょうとも。
「んじゃ、ひとまずの目標はレッツ別世界ということで〜」
「一つ疑問なんやけど、なんでダンビラ組の奴らは神目指さへんの?」
「組長ふくむ幹部の何人かは、現状に満足していると言われています」
弱者である忌み子を支配し、お山の大将気取っているわけか。ヌルい現状に甘んじて、お幸せな連中だ。
「下っ端の構成員たちは単純に技量不足で、門番さまの儀式を突破できないのかと」
今でも印象深い、袈裟姿の忌み子以外にも、門番はどうやらいるみたいだ。
「どの世界にも基本、門番さまがいます。なので裏公団から下の異界へ向かうさいにも、門番さまの儀式を行う必要があるのです。当然、生半に突破できるものでない」
ゲームで言うところの階層ボスのようなイメージが近いのかもしれない。ミッションをクリアすると次のエリアへ進める。
ゲームはコンコさんチに遊びに行ったときの定番だった。
「百聞は一見にしかずです。早速午後にでも見に行きましょう」
「異議なし〜」
腹ごしらえも終えたため、店を出て商店街を後にする。
アーチを抜けると静けさが増した。虫の羽音すら聞こえてこない、鯖色のしじま。
昨晩の騒動があったからだろう、今のところつけられているような気配はない。
「んー。ちょいまち。私らは別世界へ向かうとして、ナナシ君はどうするのさ。お別れ?」
「ついていきますよ。裏公団にさほど未練はありませんので」
「ここでならお金さえあれば戦わずして肉が買える。安全に人間を目指せる。その環境を捨てちゃうわけ?」
「人間になることは忌み子の悲願でこそありますが、ナナシ個人でいえばさほど重要でないのです。正直言うと、人間がそれほど素晴らしいものに見えなくて」
コンコさんと顔を見合わせて笑う。
「傑作だ。私も同感だよナナシ君」
「ナナシはお二人についていきたい。お二人は人間なのに、ナナシを対等に扱ってくれる」
わりかし差別していたほうだろ。今でこそ友達になれたらいいなとは思っています。
「人間として接するわけでも、忌み子として接するわけでもない。ナナシ個人を見てくれている。なんだか、宿願が陳腐な妄執に思えてきます」
「私は宇宙人とも仲良くなりたいと思っているよん」
「お二人と一緒にいれば、もう明日に怯えなくてすむかもしれない」
重い言葉だ。ひ弱な彼はどれほどの経験を積んできたのだろう。およそ小さな身体にどれだけを秘めているのだろう。
推し量ることはできない。せめて同じ歩幅で歩くことしか。
駄弁っていると、路肩であるものを見つけた。それが何か公団民なら一目でわかった。
「げ! バキュームカーや」
公団ではいまだにぼっとんトイレが主流なため、糞尿を汲み取るためのバキュームカーが現役で走っている。
令和時代には似つかわしくないオンボロの三輪が、道端に乗り捨てられていた。
「裏公団では排泄量がすくないから、この子の出番もないんだろうね〜。お、鍵つけっぱじゃん」
コンコさんが物色していると、鈍いエンジン音が響いた。
「まだ使えるっぽいよ」
「コンコさん、もう行こうぜ。こいつにいい思い出ないねん」
むかし、ひょんな事件に巻き込まれたことがある、下校中のことだ。金銭面でトラブルがあった男の部屋に向け、ヤクザが嫌がらせでバキュームカーを逆噴射しやがったのだ。
糞尿が男の部屋だけでなく、あたり一面に爆散した。近くにいたおれにも飛び火して、3日は臭いが落ちなかった。
あれは酷い出来事だった。家からも追い出された。さすがのコンコさんも泊めさせてくれなかった。
「むかし父の手伝いで、標的の部屋に逆噴射かましてやったことがあるよ。あれは小気味よかったなぁ」
「もしや怨敵に出くわしてしまった……?」
深く考えないでおこう、ろくなことにならない気がする。
「この場所は覚えておこうぜ。何かの役に立つかも」
三時間ほど歩いただろうか、どうやら目的の場所に辿り着いたようだ。
そこはかなり大きめの広間になっていて、中央に貞子もあんぐりの典型的な古井戸があった。
おそらくあの井戸が下の世界へ続く大穴なのだろう。つまり——。
「アレが門番か」
井戸の前に佇む少女が一人。両腕がなく、両目も欠損している。顎から下が欠落し、骨が浮き彫りになるほど痩せ細っている。なぜ生きていられるのか不思議なくらいにズタボロな有様だ。
だが奴から発せられるオーラは凄まじく、容易に他者を近づけさせない。より目を引くのは、むせ返すほどに濃い血の惨状だ。
「えげつ」
少女を中心に広がる、半径十メートルほどの血溜まり。数トン分はありそうだ。
およそこの世のものとは思えぬ圧巻の光景に息を呑んだ。血は少女のもので間違いない。今もダラダラと口から垂れ流し続けている。
衣服は着ていない、だが鮮血がドレスのように全身を赤くめかしつけていた。なぜ出血死しないのだろう? あれははたして生きていると言えるのか?
「裏公団の門番、今は遠き神の枯れ果て。『キナ』様でございます」
返す言葉はなかった。
おれたちはただ目の前の光景に圧倒されていた。
呪い。
二文字が頭をよぎる。そうだ、アレは呪いなのだ。
人間性を損ない、必要不可欠を削いだあとに残る、禍つ憎悪の泥。でなけりゃあんな表情はできない。あんな——。
「この世の全てが憎いってツラだね」
少女の相貌は空虚を強く睨みつけ、黒く変色するまでに鬱血していた。もしも様を表すに一番近い言葉があるとすれば。
「鬼や」