11.諦観だよそれは
目が覚めると、昨晩の手傷が綺麗さっぱりに治っていた。自然治癒ではあり得ない回復速度だ。
おれの身にもついに呪いが!? と若干期待したものの、どうやらぬか喜びだったらしい。
ナナシの説明によると。
「裏公団では時が止まっている、これは厳密にいえば間違っています。『半日が終わると、半日前の自分に戻ってしまう』が正しい」
この世界では不思議なことに、昼と夜の十二時を境に肉体が半日前へリセットされるそうだ。
だからこそ傷は治るし、生物は成長することがない。
病気の心配もなく、ゆえに不眠不休などの無茶が効く。
言い換えれば半日は経過するため、腹も減るし喉も渇く。裏公団では娯楽品として飲食店もまばらに開かれていた。
「酒池肉林じゃん!!」
コンコさんは叫ぶと、テーブルに並べられた中華料理にがっつき始めた。チャーハンラーメン、ギョーザに小籠包。なかなかに豪華だ。こんな世界でどうやって食材を調達しているのだろう。厨房ではシェフ姿のスッポンがあくせく働いていた。
「喉詰めるわ。落ち着いて食え」
「ゴフッ、ゴフッ」
言わんこっちゃない。
「ここでの食費が六千エン。昨晩の死体は一万八千エンで売れたので、このペースでもあと3日は持ちそうですね」
「え〜、あんなに頑張ってそんだけ〜?」
「贅沢品の金額設定は高めなので……」
頑張ったのはおれとナナシであって、あんたはグースカ寝むっていただけだ。
「生石さまはあまり水分を摂らない方がよろしいかと。下手に尿意を覚えても辛いだけです」
「肝に銘じます」
ここ2日は激しい運動で発汗量が多く、問題にならなかっただけなのだろう。
何もない日はトレーニングで汗を流しておく必要があるのかもしれない。
「にしても半日経てば怪我が治るって相当イかれてるよね〜。私のおカブ奪われちゃった。それこそ自分の体を切り売りしても元通りなわけだもん」
「半日が経過するまでに食べられてしまった場合、事象が世界に確定されてしまい、欠損したまま次のサイクルを迎えます」
「じゃあ一日後なら? 例えば腕を切り落とし、半日後に蘇生する。ならもう生えてんだから、食べられても問題ない」
さすがだコンコさん。あんたはどんなゲームでも突飛な裏技をすぐに見つけ出す。悪知恵が効く。
「はい、問題ありません。そのようにして作られた肉は食しても成長することがなく、『忌み肉』と呼ばれ忌避されておりました」
「よく出来てんねぇ。まるで誰かがデザインしたみたいだ」
コンコさんのこういう何気ない発言が、意外に物事の本質をついていたりするんだよな。
「ですがダンビラ組の台頭により、『娯楽品』として見直された背景があります。裏公団では食料が調達しにくい。ですが忌み肉であればいくらでも生産がきくため、多くの料理に流用されています。ナナシたちが食しているラーメンのガラやチャーハンのベーコン、ギョーザの餡なども忌み肉でしょう」
聞きたくなかった……。
事実を受け入れるまで、しばらく料理は食べられそうにない。
「へぇー、あったまいい〜」
なおも美味しそうにほうばるコンコさん。あいかわらず倫理観壊れてんなぁ。
「食った食った〜。ねぇ生石くん、私たちこれからどうするよ?」
「さぁ。なんも考えてねぇ」
「はは。なんのために生きてんだか」
「知らね。クソして寝てたら思いつくやろ」
強いていうのならあんたと一緒にいるため、とは言わないでおく。恥ずかしいし。
「ナナシ君は?」
「死にたくないから生きております」
「人それぞれね〜」
いきなりのことで戸惑う。どうしてマジトーンで話し始めたのだろう。
こういうときのコンコさんは少し怖い。
何かしでかしそうな危うさがある。
「そういうあんたはどうなんや」
「適度に忌み子狩りしてお金稼いで、毎日をダラダラとやり過ごす。楽しそうね。でもさ、私は少しナナシ君が羨ましいよ。人間になるっていう至上命題があるじゃん」
おれたちは違う。すでに人間だから。大人になりたいわけでもない。
言わんとしていることはおおむね理解できた。漠然とした理由で裏公団へやってきた。だから漠然としたモチベーションしか持たない。
「目的が欲しいということですか?」
「それも命をかけるに値するほどの」
とはいえ発言に違和感を覚えた。
おれの知るコンコさんは、飄々と生きていて、余裕があって、悪く言えば適当で。軽佻浮薄を絵に描いたような人なのに。反して今は鬼気迫る表情だ。
「なんや熱いなぁ。らしくないんとちゃう」
「生石くんの方こそぬるいんじゃない? 私は君との約束、忘れたつもりないよ。私はもう君のものだ」
髄に直接触れられたかのようなショックが走った。
「アソコがなくなって、男気も失せたんじゃない? なぜ君は何も求めてこない。自信無くすなぁ」
裏公団へやってきた動揺と、『まさか自分にそんな美味い話が』という疑念から深く考えないようにしていた。キスの続き……。あの約束はまだ有効だったのか。
「私はもう生石くんの所有物。主人が不甲斐ないと、私の肯定感も落ちる。私はね、君に劇的であって欲しいの」
ささやくように、呪うように——。
「父がそうであったように」
ゾッとした。薄々感じてはいた。
コンコさんの父が壊れてしまったのは、コンコさんのせいじゃないのかと。
「バケモンめ……」
真実はそれ以上だった。彼女は父がああなるよう、意図的にせよ無自覚にせよ、わざと唆したのだ。ひとえに己の人生を彩るために。
なんて悍ましいのだろう。
「嫌いになった?」
「惚れ直した」
端的に言って彼女は最悪だ。
闇中でひときわ輝く黒だ。
存在してはいけない生物。
だからこそ、魅惑的で強く惹かれてしまう。
俺もいつか、飽いて捨てられるのかもしれない。次の手籠に殺されるのかもしれない。
考えれば考えるほど、吐き気をもよおしてくる。
なのでおれは思考の窯口に蓋をして、恋で両目を焼いた。
何も考えたくなかった。
「ふふ。生石くんは『深く考えないこと』をモットーにしているもんね。いいと思うよ。私みたいに傷だらけにならずに済む」
腕に爪をつき立てて引っ掻く。真皮が剥き出しになって、すぐ治る。
呪い。言い得て妙だ。いくら自傷しても、誰も彼女の闇に気づいてやれない。
「だから私が代わりに考えてあげるの。君の劇的を。生石くん、私を使う覚悟はあるかい?」
「ええよ。好きにしい」
おれはすでに溺れている、コンコさんと言う魔性に。
波に漂う哀れなクラゲは、どこまでも流れて。
そして最期は海になって消えるだろう。
だが彼らは、誰一人として運命を悲観していない。
「諦観だよそれは」
「一つ、伝えたいことが」
話に割って入ってくるナナシ。
おれたちの注意が彼に注がれる。
「これは伝え聞く街談巷説にすぎませんが、裏公団へやってくる人間には、みなとある目的があるそうです」
おれたちのような成り行きでなく。明確な目的があってやってくる人たちがいる。
そんな人間を忌み子たちは『訪問者』と呼んだ。
「忌み子は人間になるために。そして人間は、『神』になるために」
「へぇ。面白そうじゃん」
運命が激しく流転し始めた。
生石たちは気づいていませんが、半日前に戻るのなら本来コンコのあざや傷も戻るはずです。
そうならないのは、『呪い』による影響です。
呪いは法則を書き換える力。つまり彼女は自身の呪いで『不変』を上書きしたのです。
作者都合? それもある種の呪いです。