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一人になった部屋は何処か先程よりも寒く感じてベッドの中に潜り込んだ。
布団の中は柔からくて気持ちいいが、自分の部屋ではないのであまり荒らしては駄目だと思うと気を使いゆっくりは休めない。
冬香は目眩もだいぶ良くなり霧も晴れた頭でアランのことを考え始めた。
アランは終始、冬香の事を気にかけてくれ優しくしてくれる。こんなふうに優しい人の番にに選ばれたら良かったのに…そう思うぐらい冬香は会ったばかりのアランのことが気になっていた。
アランは冬香のことを番だとは言わないので、きっと誰にでもこうして優しい人なのだろう。素敵な性格だと思うのに何故か、胸の奥がモヤモヤとして掻きむしりたくなるような感じがする。 冬香は自分に、こうして勝手に嫉妬しているような嫌な性格だから誰にも選ばれずにいるのだと自分に言い聞かせた。
もしかしたらこんな嫌な性格で暗い女の所に、アランはもう戻ってこないのかもしれない。あんなに優しい人に限って無いとは思うのに、さっき会ったばかりの人が戻って来る確証はないとも同時に思う。
そんなふうに考えていると途端に一人残されたことに不安が襲ってきた。 部屋の中は寒くは無いのに、全身に寒気がして鳥肌がたつ。急に世界に一人ぼっちで取り残されたような感覚になり、怖くて布団を被り蹲った。
そもそも少し話しただけの相手なのに何故こんなにも心が乱されるのかわからなかった。ただアランにもう会えないかもしれないと考えていると目の前が真っ暗になるような怖さが襲ってくる。
もしかしたら。冬香と一緒に居るのが嫌で部屋を出たのかもしれない。もし戻って来てくれたとしても義務感によるもので、しょうがなく戻ってくるのかもしれない。
ここに戻って来たとしても、既にアランに嫌われている場合にはどうしたらいいのか。嫌われるきっかけが些細なことなら謝れるが、性格が原因なら今すぐにはどうにもできない。そうなったら、もう会えないのかもしれない―――――
冬香の思考は考えれば考えるほど嫌な方向にに転がり落ちていく。嫌な想像ばかりしてしまい怖くて不安で涙が勝手に流れてくる。
冬香には、もう冷静な考えができていなかった。
冬香は自分の首の周りを震える手でガリッと掻いた。幼い頃からの癖で、抱えきれない感情で混乱すると、自分の身体を掻きむしってしまう。
ガリ、ガリ…首元が赤くなってくるのも構わず自身に爪を立てながら冬香は布団の中で涙を流し続けた。
アランは部屋を出てから5分も経たないうちに戻ってきた。部屋に入ると、出て行ったときとは違って冬香の姿はなく、代わりに布団に山ができていた。
「フユカさん?」
アランが持っていたドリンクと軽食をテーブルに置き、ベッドに近づいて声を掛けると布団にできた山は息をするように動いた。アランがそっと手を伸ばし毛布に触れるた。
「すみません、少しの間一人にしてください」
返ってきた冬香の声は、隠しきれない涙声だった。
それに気が付いたアランは険しい顔になると、布団をゆっくり剥いだ。 アランが言葉を無視して布団を取り上げると思っていなかった冬香は抵抗することもできず外に出されたが、顔はベッドに伏せて隠した。
顔は涙でボロボロ、首元は掻き過ぎで恐らく真っ赤になっている。そんなところを見せたくなくて一人にして欲しいと頼んだ。それを許され無かったいまどうしたら良いのかわからなかった。
「フユカさん…何があったんですか?もしかして誰かが入ってきて―――」
「違います!…誰も来ていません。すみません、私のことは気にせず放おっておいてください」
「ひとりにはできません。僕になにかできることはありますか」
冬香がこのまま本当の気持ちを伝えたら、少し優しくされたぐらいで好きになってしまうおかしな女だと思われて確実に嫌われるだろう。でも泣いている理由を上手く誤魔化すことも噓を吐くことも出来そうになかった。
冬香は唇を噛み締めて決意した。 言ってしまおう。全部。
隠した所でもう会えないのかもしれないなら言ってしまいたい。気持ち悪い女だときっと軽蔑されるが、その方が納得して諦められる。胸が裂かれる様に痛いがさっき会ったばかりの人だ、きっとすぐにただの思い出になる。
冬香は泣きすぎて荒い息の合間に言葉を零していく。
「わっ私、アランさんがもし帰って来なかったらとか…嫌われているかも、とか考えて勝手に悲しくなって、それで…それで…ごめんなさい、気持ち悪くて…ごめんなさい、でもっ、自分でも何でか分からなくて…」
冬香は気持ちの整理がつかないができる限り伝えようとして涙が溢れるのも気にせず必死に言葉を探した。
嫌われる覚悟は出来ていた筈だったのにアランに拒絶される言葉を聞くのが怖くて、手で耳を隠して目を瞑った。
「フユカさん、ごめんなさい」
アランは蹲り途切れながらも必死に話そうとする冬香の背後から覆い被さり、隠された耳元でこぼした。
冬香は心地よい重さと、手をすり抜け僅かに耳へと届いた声に後ろを小さく振り向いた。
その瞬間アランの顔が近づいてきて唇に柔らかい感触がした。キスをされたのだと目の前にある伏せられた瞼と長いまつげをみながらゆっくりと理解した。
決して長い時間ではなかったが二人が唇を合わせていた。その間冬香は、心を埋め尽くしていた不安や悲しみの感情を忘れられた。
ゆっくりとアランは顔を離すと、冬香の体を繊細な割れ物を扱うかのように抱き上げた。アランはベッドの上に座る自分の足の間に冬香の体を横向きで収めて強く抱き寄せた。
冬香が予想外の展開に驚いて固まっていると、髪の乱れた頭を撫でられた。 先程の口づけと無言で頭を撫でる大きな手によって、冬香は荒ぶっていた感情が引いてきた。無言の優しさに抱かれ強張っていた体からは力が抜けていった。
「落ち着きましたか?」
アランは頭を撫でていた手を止めて冬香の顔を確認しながら聞いた。 冬香は閉じていた目をゆっくり開けてアランの顔を見ながら小さく頷いた。
「先程は勝手に、その…すみませんでした」
「いえ、私こそ取り乱してしまって…すみません」
冬香は首を小さく振りながら、この距離でしか聞こえないぐらいか細い声で謝った。
「いえ、もとはといえば僕が悪いんです。番と出会った直後は感情が不安定になりやすい事は知ってはいたのに…。浮かれ過ぎて、嫌われない様にどうしたら良いのか分からなくなって、逃げるようにここを離れてしまった僕に落ち度があります」
その言葉を聞いて冬香は驚いた。自分はアランの番ではないと思って諦めていたのに、今の話ではまるで二人が番かのようだ。
「私はあなたの番なのですか?」
冬香が恐る恐る聞くとアランは無表情で固まった。冬香はアランの反応を見て間違えたと思い慌てた。
「あっ、違いますよね。勘違いしてすみません」
「いえ、そうです。僕の番は冬香さんです。僕はあの時、しゃがみこんでる貴女が何故か凄く気になって近づいて、それで目があった瞬間にわかりました。この人が僕の番なんだって。冬香さんは感じませんでしたか?」
アランは不安そうに冬香の目を見た。
「私は…アランさんが番なのかわからなくて、でもこんな人が番になってくれたら良いなって思って。…なのに番じゃ無いと思ったら急に混乱してしまってそれで…ごめんなさい」
「いえ、僕が冬香さんも分かっていると思い込んで言葉にしなくて不安な気持ちにさせてしまったせいです。こちらこそごめんなさい」
アランは目を伏せて謝った後、冬香の頬に手を添えて撫でた。
「今からもう一度やり直して良いですか?」
冬香は目の前の青みがかったグレーの瞳に惹きつけられた。
「冬香さん、僕の番になってください。」
「はいっ」
冬香はしっかり返事をした。 その返事を聞きアランは顔を緩めると冬香を強く抱きしめた。
冬香ももっとアランの存在を実感したくて手を大きな背中に回した。
「僕が出来ることの全てを使って冬香さんを幸せにするのでずっと傍にいてください」
冬香はアランの首筋に顔を埋めて頷いた。
出会ったばかりなのにアランの事が好きで、これからもずっと一緒にいられる事が幸せ過ぎて、体から溢れた喜びが涙となって流れていく。 アランは髪にくちづけを落とし、柔らかい髪と華奢な背中を撫で、時折強く抱きしめ直して冬香の存在を自分の身に強く刻み込んだ。
どのぐらい抱きしめ合っていたのか分からないが、アランは背中にあった小さい手が徐々に下って行くのを感じた。寝てしまった冬香を起こさないようにそっとベッドに寝かせると、自身も横になりその寝顔を飽きることなく見守り続けた。
愛おしい人がずっと隣にいることを約束された冬香の寝顔は、安心しきった様に安らいでいた。