投稿されている作品は自由に閲覧できるが、その作品はあなたのために書かれたものじゃない
タイトルの意味は読者に「この作品は自分のためにある」といった勘違いをしないように、といった意味。
どうも自分にはなんでも目を通し批評できる、と思い込んでいる人がいるようで。
ただでさえ小説家になろうのシステムは、読者に対して優位性が保たれていて公平性が担保できないのに。
だからすこしは作者のことを考えた感想や、評価をすべきなんだと思う。
けれどそれを強制するなんてできるわけがない。
読者には低い評価を付ける理由があれば遠慮なく付けてもいいし、評価自体を(気が引けるなどの理由で)避けている人は、頼まれても付けないでしょう。──そういう人こそ作者を応援してあげてほしい──
それこそ人の意志次第。
もちろん作品の内容以外の理由での評価付けは、結局それを付けた人自身の品格に関わる問題(気に入らない部分にばかり目を向けるか、それとも良い部分に注目するか)。
特定のジャンルや個人を狙って評価を付けるような荒らしも出る始末。
そうした荒らしの付けていく評価と、完全に独立した意思を持つ個人。それもさまざまな読書経験を積んだ人の、真剣な評価を一緒にするなんてできない。ふつうに考えれば。
しかしここはネット上。ネット環境では残念ながら、その読者の評価が正しいかなんてわからない。
だから、そうした優れた読者の評価も、荒らしのする評価も、どちらも区別なんかつけられない。
☆1ならただ2点という数字でしか作者は受け取れないわけ(だからこそ感想を書くのは大事)。評価を付けるときは、そうしたことについても考えてほしい。
* * * * *
ネットに投稿されている小説は「システム上」誰でも閲覧可能になっているだけで、それぞれの小説は万人に向けて書かれているわけではありません。
(なろうの流行に乗らない作品を書く)作者は特定の読者に向けて書いているので、それ以外の読者には刺さらないようなことだってありえる。
つまりネット上に上げられている作品を選び、その中のどれを読むかはそれを使う人(読者)
次第ってこと。
だからこそ、書き手と読み手のマッチングが大切だよね、って話(タイトル回収)。
本屋に行ってわざわざ好みじゃない作品を手に取って購入する人がいないように、投稿サイトの小説だって、気軽に読めるとは限らないのを理解して、好みの作品に目を通すべきでしょう。
ましてやなろうの流行に乗ってない作品の数なんてそんなに多くはない。
なぜ流行物ばかり書かれるのか、その原因について考えてほしい。
その投稿作品はあなたのために書かれたものじゃないんだよ。
楽しんで読んでくれる人に向けて書かれているんです。
作者の中には低い評価でも付けてもらえるだけマシ、と思う人もいれば、付けられた評価に傷つく人だっている。──それは事実でしょう。それを無視して「評価にケチをつけるな」と言うのはどうなのでしょうか。
大ざっぱに調べてみると、評価を付けられないまま更新停止する作品も多いが、低い評価を1つ2つ付けられて止まった作品もある。
簡単な問題じゃないけど読者には、作者を応援する気持ちを忘れないでほしい。
「評価をする」ではなく、「応援する」という心持ちで。
流行り物ばかりが求められるのではなく、多様な作風を受け入れられる場所であってほしいですね。
古き良き古典的ファンタジーやミステリでもなんでも。
そうした作品にも評価やブクマが付くとわかればそのほかの作者や、新しく投稿しようと考える作者も増えると信じてます。──読み専の方は、読んでいる作品から広がる世界もある、という部分もあると思って行動してほしい。