一章〜拠り所〜 九十五話 夢
まあいいか、とアレルはやり残している事を済ます為に、再び馬車の荷台へと上がる。
それから、アレルは木箱の一つを開けて中から種実が入った麻袋を三つ取り出す。それらは、注文時にアレルが木の実と間違えて口にしていたが、意図を察したパメラが種実類にしていてくれた様だった。
中身は、胡桃、ヘーゼルナッツ、アーモンドの三種で、アレルはそれを細工樽の上部にそれぞれ底が見えなくなるまで敷き詰める。
(こんなもんで良いか······まあ、気休めにしかならないかもしれないけどな)
ここまでしたところで、バレる時はバレてしまうだろうと、アレルは警戒を疎かにしない為に不安を残す。
それから、種実類を敷き詰めた細工樽の上部を一度外してから、重さがアリシア達に持ち上げられるものか、中身が入った状態で接合部の溝がスムーズに回せるか、アレルはそれらの問題が無いか一つずつチェックする。
幸い、種実類は形が不揃いのせいか敷き詰めても隙間が多く見た目程重くはなく、樽の方もダニーが精巧に仕上げてくれたおかげで問題は無かった。
(後は、俺の覚悟だけだな)
と、アレルは静かに覚悟を改めると一呼吸つく。
そして、幌を閉めてから置いていた紙包みを持って荷台を降りたアレルは、壁際まで歩いてそこにあるレバーを回して馬車を半回転させる。そうして、馬車の前方を車庫の出入口に向けたアレルは、御者台に取り付けられたクロスボウの位置だけ確認してから車庫を出て鍵で施錠する。
最後に、中庭の馬房に立ち寄ったアレルは、馬が休んでいるのを確認すると独り言の様に小さく呟く。
「······二人共、明日からよろしくな」
その言葉に、二頭の馬の耳がピクピクと僅かに反応する。届いたのかなと感じたアレルは、軽く手を振ってその場を離れ宿の中へと戻った。
そうして、一度部屋に戻ったアレルは護身用にソードクラッシャーだけを残し、外套と長剣とダガーを外しながら、ダニーに貰った手入れ道具を馬車に忘れてきた事を思い出す。ただ、どの武器も未使用なので、わざわざ取りに戻るまででもないかと、アレルはそのまま食堂へ向かう事にした。
しかし、ふと視線を向けたテーブルの上に何かが乗っているのにアレルは気が付く。
(何だ、これ? え〜と、『部屋着みたいのが無いって、ロナちゃんから聞いたから良ければ使ってね』か)
アレルは、『あなたの愛人、パメラより』と入った最後の一文にイラつき、メモをそのままグシャッと握り潰す。
おそらく、服が包まれた紙包みが置かれたのはパメラが宿に来て直ぐなのだろうと、アレルは思う。ただ、その上に置かれていたメモが、アレルにも読めるルクスタニア文字で書かれていた事からメモは帰る前にでも置いたのだろうと考える。
それには、ちゃんと考えればおかしな部分もあるが、どうせパメラだしと、アレルは考える事を放棄して食堂へ向かう。
食堂へ着くと、既に夕食の準備が整えられており、アレルは自身の席に座って給仕されるのを待った。今夜は、他に宿泊客もおらず、今朝の様な客もいない中でゆったりとした食事になった。
コース料理──とまではいかないものの、手の込んだ品の数々にアレルは満足し、カーペンターとは別の満腹感に満たされる。食後、ラジーニと食堂スタッフに感謝を伝え、最後にアレルはラジーニに夜明け前に宿を出立する事を話した。
再び部屋に戻ったアレルは、左手の包帯を解き装備を全て外して、浴室で汗を流す。
汗を流しながらアレルは、元の世界ではキリスト教の普及や伝染病影響下の間違った知識などで、一時入浴の習慣が廃れた歴史があった事を思い出す。だが、この世界ではそういった歴史を辿る事なく、いつの時代からかの習慣が今日にまで続いたのだろうと考える。
濡れた体を拭き、パメラに用意された服に着替えたアレルは、どこか心地良い疲労感に包まれる。思えばそれは当然の事で、緊張や警戒を維持しながら一日中動き回っていたのだから、アレルの身体には自身で思っている以上の疲労が蓄積されている。
しかし、アレルはそのまま横になる事はせずに、商会の女性に言われた通り左手に薬を塗り直してから包帯を巻き直す。
これでようやく横になれると、アレルは倒れる様にしてベッドに横になる。
(あ〜、疲れた。でも、二人の傭兵が殺された理由とか、『蜃気楼』の事とか、モーガンとセドリックの事とか、今日も追加で考えなきゃいけないのに······頭が働かない)
アレルは、横になる前に右手で持っていたロケットペンダントを、ベッドサイドに静かに置く。
それから、アレルは上掛けに潜り込むと、自然と瞼が閉じていく事に逆らえなくなる。
(駄目だ······考えなきゃって思う程に、眠気に逆らえなくなってくる。アリシア達の事も考えなきゃだし、目の前の事だけでなく王都や周辺国の動きも気に掛けておかないと······クーデター派の······動き、が······予想······ら──)
思考の途中、アレル本人でも気付かぬ内に深い眠りへと誘われてしまう。
そんな眠りの中で、アレルは本来見るはずのない夢を見る。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──鋼を鍛える音が響く。
そこには、男がいた。筋骨隆々の偉丈夫で、強敵や大きな壁を前にしてこそ笑みを浮かべる様な男だった。
男の戦いは、華麗などとはほど遠い泥臭い戦いだった。己が肉体一つで、多くの敵と戦い続ける。一度に多くは倒せない。だが、対峙したものは確実に屠っていく。
男は、叫ぶ様に、または吠える様に高笑いする。
この鋼の肉体を傷つけてみよと、この超常たる膂力に耐えてみせよと。
事実、男の身体を傷つけられる者はなく、男の一撃に耐えられない者達は爆ぜて肉塊と化す。
その比類なき強さに、今自分にその強さがあればと、アレルは手を伸ばす。だが、夢の中のアレルに腕はなく、声を出す事も出来ない。
そのもどかしさを噛み締めていると、男はアレルの方へ振り返る。
『オレの名は────だ。覚えておけよ』
肝心の名前が聞こえず、悔しさに打ち震えるアレルは、その言葉を最後に男の姿が見えなくなる。
──鋼を鍛える音が遠ざかる。
すると、暗転した視界は別のものに切り替わる。
何故だろうか、隣に大切な人が共にいて、それでも胸の内には悲しさと虚しさが居座っていて、どうにもならない事に心を痛めていた。
何か、重大な秘密を知った後の気がする。だから、二人共何も話す事が出来ずに、ただその場に立ち尽くす。
アレルは、そんな中で声を発しようと試みるが、やはり声は出ないし、身体も自由がきかない。せめて隣の人が誰なのか、それが知りたくて必死の抵抗をするが、それすら叶わず夢の中では何も出来ない。
すると、その人がアレルの正面に回る。
『──れない。──から──ねえ、──しょ? ──よ』
顔も姿も、良く見えない。声すらも、全ては聞き取れない。
だが、アレルはこの後の展開を知っている。それだけは止めさせないと、どうにかして考え直させないとと、アレルのものとは違う意思が必死に叫んでくる。
しかし、その人の言葉と共に避けたい時が訪れる。
『──死んで』
瞬間、アレルの胸に火がついた様な熱さが広がる。直後に、その人がアレルの胸を貫いた腕を引き抜いたのと同時に、アレルはその場に倒れ伏す。
ただ、そんな自分の事はどうでもいい。その人が泣いているなら、その涙を拭いてやると約束したんだ。そんな想いから、アレルは立ち上がろうとするが、身体は一切動かない。
その人が泣いている。
それでも、何も出来ない悔しさが穴の空いた胸いっぱいに広がるのを感じたところで、アレルの夢は終わりを告げた。




