一章〜拠り所〜 九話 イド
「要求は受け入れてもいい。でも、一つだけ良いか?」
「はい、なんですか?」
要求を受け入れるという言葉に、メリルはどこか余裕を見せてくる。
それに、アレルは目を伏せる。
「今回は上手くいったが、正直俺は自分にアリシア達を護れるような実力は無いと感じている。それでもか?」
自分には、護衛として引き入れる様な価値はないと、アレルは暗に示唆する。
それを、咄嗟に否定でもしようとしたのか、アリシアがアレルに詰め寄ろうとする。
しかし、それは任せてとアリシアの肩に手を置くメリルによって制止させられる。
「それでもと言えば、あなたはアタシ達を護衛してくれますか?」
「······まあ、そこまで言うならな」
「では、決まりですね」
そうして、アレルに渋々ながらも承諾させたメリルは、不安そうに二人のやり取りを眺めていたアリシアに、笑顔でVサインをむける。
だが、実力不足以上にアレルには注意するべき事があった。
「なあ、もう一つだけいいか?」
「はい」
「護衛中は、あくまで雇用者と雇用主だ。互いに、互いの事情には踏み込まないようにしてくれ」
追手の騎士への対処といい、今の場の雰囲気に流されてしまっている事といい、アレルは自身の甘さを自覚しつつある。
このままアリシア達となあなあの関係を築いてしまえば、きっと自分はアリシア達の抱える問題に深く関わってしまうだろう事も予期できる。
もし、元の世界への帰還を考えるなら、それらの事は足枷にしかならない。
それに加え、自身の記憶が戻った時に、何らかの形でアリシア達を傷付けてしまう可能性に、僅かな恐れも抱いている。
人格は記憶に宿るという話もあるだけに、自身の人格が変貌してしまい、アリシア達に不利益をもたらす事だってないとは言い切れない。
故にアレルは、自身も踏み込まない代わりに、自身にも踏み込ませないと言い放つ。
「あと、ついでに言っておくが、俺は剣術に関して素人だから期待はしないでくれ」
すると、いつの間にかアレルの隣に来ていたアリシアが、アレルの服の裾を掴む。
「大丈夫ですよ。アレルは、影獣にも勝ったのですから」
踏み込むなと、アレルはそう言ったにも関わらず、聞かなかった事にしたのか素知らぬ顔でアリシアは微笑む。
その事を、アリシアに指摘しようとしたところ、それよりも早くメリルが驚きの声を上げる。
「影獣を!? 本当ですか?」
それに答えれば、自身の言葉が全て有耶無耶にされてしまう様な感覚があったものの、アレルは自分が気を付けていれば良いかと諦める。
「······ああ、紙一重だったけどな」
話をすり替えられた事で、気分を害したアレルは、ぶっきらぼうに答える。
すると、そこへアレルを鼻で笑うミリアが割り込む。
「どうせ、嘘ですよ。こんな奴に、影獣を倒せる訳がありません」
「馬鹿か、お前? 倒したって、最初に口にしたのはお前の大事な『アリシア様』だろうが。お前の言い方だと、アリシアが嘘つきって事になるな」
売り言葉に買い言葉、ささくれだっているアレルは、真正面からミリアを言い負かす。
そして、アリシアを引き合いに出されたミリアには白旗を揚げるぐらいしか出来なかった。
「グッ······アリシア様の事は信じるが、いくらなんでも──」
「本当なのッ! 林道の方へ行けば、影獣の骨がそのまま置いてあるんだからッ」
ミリアに対して、証拠が残っている事を憤慨しながら主張するアリシアは、何故かアレルの服の端を引っ張り続ける。
(······身内······みたいな感覚なんだろう二人に対して、口調が変わるのはまだ理解は出来る。だが、それを差し引いてもアリシアの言動は、どこか幼く感じる。······何かを偽ろうとしている気配はないし、やっぱり温室育ち的な部分が影響しているのか?)
アレルは、そんな事を思いながらも、素朴な疑問を口にする。
「というか、そもそも影獣ってそんなに危険なのか?」
「「「······」」」
その呑気な言葉に、アリシア達三人は言葉を失う。
例え記憶喪失であろうと、影獣と遭遇したならばその恐ろしさは肌で感じるもののはず。
それを感じていない事が、アリシア達には信じられなかった。
「えっと······俺、そんなに変な事言っ──」
「バカか貴様は!? 影獣の脅威度は中程度、魔法が使えない者が戦う場合、最低でも三人で囲んで討伐するものだ!」
アレルの言葉を遮り、近衛という立場から常識的な対処をミリアは口にする。
ただ、自身の異常さを誤魔化したいアレルは抵抗する。
「いや、でも······そこまでの恐ろしさなんて感じなかったし、魔法使った後なんてヘバッてやがったし、特別に弱い個体だったんじゃ──」
「えっと······影刃を四本出していましたから、どちらかと言えば強い方かと思います。それに、影狼からの進化個体のようでしたし······」
自分がおかしい訳ではなく、相手の方がおかしかったと話をすり替えようとした矢先、戦いを見ていたアリシアにそれを否定されてしまう。
それでも、まだ諦めずにアレルは抵抗を試みる。
「ならビギナーズラックって······あ〜、初心者がたまたま一撃で急所を突いたみたいな──」
「初心者では戦いにすらならん!! 奴等は、自分よりも弱い人間を餌としてしか見ない! ······お前、記憶を失う前は誰かに師事していたのではないか?」
ここでようやく、ミリアは疑いの目を討伐した事ではなく、アレルの失った記憶へと向ける。
それには、流石のアレルも首を傾げる事しか出来ない。
「······それを言われると、何一つ確かな事は言えないな」
ここで、アレルは少し戦っていた時の事を振り返る。
あの時、こう動きたいというイメージに身体が付いてこないという事はなかった。
その事から、何かしら身体を鍛えていた可能性はある。
ただ、それとは別に不思議な感覚もあった。
それは、先程アレル自身も口にした、恐れを感じなかったという感覚だ。
本来、害獣にすら遭遇しづらい生活をしていたアレルに、魔物を前に恐怖心を抱かない事は不可能のはずだった。
それが、何故か自身の奥底、それも深いの無意識の更に深くから、湧き上がったものがあった。
──こんなのは、ただの雑魚だ──
その、言葉とは違う、意識とも違う、ただ感覚としか言えないものが、戦闘中のアレルを支えていた。
「そもそも、お前は本当に記憶が無いのか?」
そこへ、アレルの意識を引き戻すみたいに、ミリアが問い掛ける。
「ああ······それは確かだ。ある程度、一般教養みたいなのは残っているが、自身に関する記憶が全く無い。その残っているものにしても、混濁しているせいか、虫食い状態で所々常識やら何やらが抜け落ちている状態だ」
アレルは、速やかにかつ淡々と流れるように、ミリアに対して答える。
(こういう答え方ならば、多少この世界に疎くても変には感じさせないだろう。······自分の事が分からないのは事実だしな)
そんなアレルの返答を聞き、ミリアは暫しの瞑目の後に、諦めた様に肩を落とす。
「······ハァ、仕方ない。剣の扱いに関してなら、私が教えてやる」
「ミリア!? ミリアが、自分から誰かに剣を教えるなんて······」
ミリアの申し出に、姉であるメリルがアレルに代わり絶句する。それ程、ミリアが人に剣を教える事が珍しいのだろう。
それには、フンッとミリアはそっぽを向く。
「い、一応言っておきますが、私はその男が同行するのには反対です。······ただ、今回私は姉さんを人質にされただけで、何一つ抵抗する事が出来ませんでした。正面からならば、あんな二人に負ける事は無いと慢心があったのも原因だと自覚しています」
「でも、それはアタシが勝手に動いたせいで──」
「それでもッ!! ······私は、アリシア様と姉さんを守らなければいけなかったんです。それなのに······」
ミリアは、歯噛みすると共に拳を握り締める。そして、ミリアはそのまま続ける。
「昔から、私には戦いに集中すると、周囲の警戒が疎かになる悪癖があります。だから──」
と、ミリアは無言でアレルを睨む。
それだけで、アレルにはミリアの言いたい事が伝わったが、一応の確認をする。
「その警戒を、俺がやれと?」
それに、ミリアは握り締めた両手をプルプルと震わせて、耐え難きを耐えている様な仕草をする。
「クッ······そうだ。それが、私がお前の同行を許す条件だ。剣の手解きは、貴様が戦力にならないと私の負担が増えるからだ。勘違いするなよッ!」
「はいはい」
指差しで、念押しをされたアレルは、やれやれといった感じで肩を竦める。
「これで、アレルも一緒ですね」
そう言って、アレルに向けて話すアリシアの笑顔が決定打となり、アレルの同行が完全な形で決まってしまった。