一章〜非望〜 七百六十二話 その小さな身体で思う事
──傍らで見守る妖精の独り言。
またやっていると、ルリは自身が主と見定めた者とその主が大切にしている存在の言い争いを見ながら思う。
ルリとしては、主に味方して彼女が何を思ってそんな事を口にしているのか教えてしまっても構わない。しかし、それでは主の為にはならないと思い、その肩に止まりながら静観を決め込んでいる。
昨夜眠ってから主に何があったのかは知らないが、一晩で主の中で何かが変わったのは瞬時に理解出来た。何故かは判らないが、それまでどこか不安定だった部分に芯が通り、僅かながらに前向きになった様にルリには感じられた。その変化は、主の事が第一のルリにとっては好ましい変化だった。
だというのに、彼女はルリと同様に主の変化を敏感に感じ取りながらも、あまつさえ置いていかれるかもという不安から主へ解りづらい訴え方をしてくるのだ。本当に、人という存在はよく解らないとルリは思う。
不安になったのならば、そのまま素直に伝えれば良いものを彼女は意地を張って素直には伝えない。だからといって、その不安の原因が主の方にのみあると思い込んだ上で、主の理解が及ばない部分まで知ろうとして拒絶されてしまっている。そういう所が、彼女の焦りから来ているのも理解は出来るが、もう少し主の立場に立てば解りそうなものなのにとルリは少し彼女に対して幻滅する。
ルリとしては、彼女の事は嫌いな人の中において割と好ましい存在だと感じている。何より、主が大切に想っている存在なので無下になんて出来ない。それでも、主にとって彼女の近くにいる事が良いのかと問われれば、ルリにはその判断が難しいとしか言えない。
良くも悪くも、彼女の存在は主にとってとても強い影響力を持っている。ルリが主と出会ってからここまで、主が何かしら変わっていく時にはいつも彼女の存在がその根底にあった。彼女の方にもその自覚は多少あるみたいで、主の無自覚に危うい部分をどうにかしようとしている様に感じる時もある。ただ、稀に彼女も自覚なしに主への願望を押し付けている様な節もあり、今回はそれを主に敏感に感じ取られてしまったというところだろうとルリは見立てている。
今回、主はやらねばならない事を優先して彼女との事を先送りにしたみたいだが、主の心には割り切れていない部分もあるのでルリとしては不安が残る状態となっている。そして、彼女の方も彼女の方で、大事の前に主の負担を増やしてしまったと気落ちしてしまっている。
きっかけは、主のほんの些細な気遣いからだった。主は、彼女の様子が少し変だと感じると、いつも励まそうと様々な手法を用いて彼女を笑顔にさせようとしている。ただ、それは彼女に対してだけでなく、関わる者のほとんどに対してそれを主は行ってしまうのだ。
主は人なのに、それが疑わしい程に他者の心の機微に敏感な所がある。そして、それをややこしくしているのが生来の優しさで、ルリとしてはそこが好きでもあるのだがその優しさ故に自身よりも他者を優先してしまいがちである。おそらく、そういう部分が彼女の不安を無駄に煽ってしまっているのだろうとルリは思う。
そして、彼女の不安を何とかしようとした主はルリの言葉を受け止めて彼女に向き合ったのだが、彼女には主の優しさが痛いと感じる時もあるみたいだった。何も返せていないと思い込み、そんな状態で主の捨て身の優しさになど触れてしまっているのだからそれも無理はない。彼女だって、主の優しさ自体は好意的に受け止めている。しかし、その自身を考慮していないみたいな部分に対して忌避感を感じている為に、それを素直に受け入れられないのだろう。
彼女は、主も感じている通り頑固で負けず嫌いな所がある。決して、施されるだけの関係になんて甘んじない人だ。そして、彼女も主程ではないにしろ人の心の機微に敏感な所がある。特に、それは主に対して顕著で、主のほんの少しの変化で焦ったり不安になったりしている。ただ、それも主の自身を考慮しない点に対して、それを続ける内に主自身が擦り減って消えてしまうのではという恐れがあり、そんな事にはさせたくなくないと強い想いがあるからでもあるのをルリは知っている。
ルリは、どうして人という存在は互いに想い合っていても、こうもすれ違ってしまうのだろうと不思議に感じる。ルリ達妖精の様に、互いの心が通じ合える様に生まれていれば今の様になんてならないのにと思う反面、これまでに何度か心を感じ取れるルリよりも彼女の方が主を理解しているみたいな瞬間もあった。
それには、流石のルリも理解が出来ず彼女に嫉妬もした。ただ、そこは主に倣って考えてみると、それは普段から解り合えないからこそ通じ合えた時には気分が高揚し、より身近にその存在を感じられる様になるのではないかという考えにルリは辿り着く。
心と心での交流が出来ない人は、心で感じたものを言葉に変換しその言葉を介して心の交流を図っている。ただ、一度心と心の前に言葉を挟む事によって、真の理解とは遠ざかってしまっているのも事実だ。それに、言葉という明確なものでは心の曖昧さや多種多様な揺れ動きは表現しきれていない。それ故に、人には他者の心を完全に理解する事が難しく、その難しさを知るからこそ孤独に耐えかね他者を求める事も止められない。だからこそ、互いを理解する為に多くの言葉を尽くして何度すれ違おうとも諦められないのだろうとルリは考える。
それは、妖精であるルリには何とも面倒で非効率な意思疎通の手段なのだろうと感じる。しかし、そんな酷く愚かにも思える方法がルリにはどこか愛おしくも感じる所がない訳でもない。
それも、主と接しているからこその感情なのだろうか。しかし、それ故にルリは思うのだ。主と彼女が、互いを想い合う限りは何度すれ違い互いに傷つけ合おうとも、二人を見守りその心が離れない様に手助けをしようと。
本当に面倒ではあるのだが、これは主を不幸にしない為でもあるので、ルリはヨシッと改めて気合を入れ直す。そして、例えどうしようもなく些細な原因ですれ違おうとも、主と彼女を信じてルリの手助けは必要最低限にするんだと、主の肩の上で敬愛する主の成長を願うのであった。
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──アリシアとの会話に見切りを付けてから少し経った部屋の中。
アリシアとの会話は無く、そのアリシアは黙々と自身の荷物を纏める作業に勤しんでいる。その一方で、アレルはというとアリシアへ分岐路を越えてからにと口にした手前、何もする事のないアレルの意識はそちらへと向かう。
セドリック・ハウザー、ハウザー家の分家筋の入り婿で、領地の返還を望む嫡流であるクライドへの対抗馬として分家が用意した存在。確か、ミッテドゥルムでクライドから聞いた話では、家中で揉め事が起きた場合は両者の誇りを賭けた決闘にて話をつけるとの事だった。もし、これをセドリックも知っているとしたなら──否、領地返還の揉め事を決する為に迎え入れられたセドリックが、それを知らない筈がない。ならば、最悪この辺をつつく事が出来れば、都合の悪い状況になったとしても問題はないかもしれないとアレルは考える。
ただ、本当の問題は別の所にもあって、アレルはセドリックの使うパウリー流という剣術を知らない。方方で聞いた話を総合すると、主武器を利き手に持ち、逆の手で副武器を扱う剣術で、攻撃に主眼を置いた剣術では少々分が悪いものとの話だった。アレル自身、騎士剣とソードクラッシャーを手にして戦う事もあるが、おそらくはそんな付け焼き刃的なものではないのだろうという事だけは判る。しかし、クライドの話では片手ごとに武器を振るう為その一撃一撃は比較的軽く、例え攻撃を受けたとしても深い傷にはならないとの事だった。
昨夜、あの不思議な夢の中でアレルは光の刃のアマデウスから剣の手解きを受けた。世話になったのはそれだけに限らないのだが、そのお陰もあり自身の悪い所はある程度把握が出来ている。
ただ、、その辺に対して分岐路へ向かう前に実際の身体を動かして確認出来ないのが不安ではあるが、まだ戦闘になると決まった訳でもなければセドリックがいるとも限らない。そう思うアレルが気になるのは、先程のアリシアとの事で更にはミリアやメリルからの苦言もある。
この先、まだ自分の事が必要なんだと言われた以上、自身を足止めにするみたいな捨て身の手段を用いる事は出来ない。下手を打てばあのミリアの事だ。勝手に馬車から出て来て、自らを囮にアリシア達を連れて逃げろと言ってきかねない。
そう思うアレルは、今日向かう分岐路に対してこれまでとは別種の気の重さを感じるのであった。