一章〜拠り所〜 六十三話 初めての朝
アレルは、一応屋根の上からアリシア達の部屋を窺って、窓が閉められ、漏れる明かりが薄くなるのを確認してからその場を離れる。
そして、来る時とは違い目的地がある訳でもないので、アレルは下に人がいない適当な所で、潜入道具を使って地上に下りる。それから、周囲に人がいないのを確認して直ぐに、フードを脱いで宿への帰路についた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
宿に着くと、出入り口は施錠されており、アレルは扉を叩いて中の者に自身の存在を伝える。
すると程なくして、のぞき窓から鋭い眼光を放つ両の目が外の様子を窺ってきたので、アレルは持っていた部屋の鍵を示して客である事を伝える。
──ガチャリ
数秒後、鍵が開けられる音と共に、店主のラジーニではなく屈強で強面な男性がアレルを出迎える。男性は、アレルを中に入れると直ぐに鍵を施錠し、そのまま無言でカウンターへと戻っていった。
それをアレルは、夜の防犯対策の一環なのだろうと、男性の態度を気にする事なく部屋へと向かった。
部屋に入ったアレルは、施錠すると鍵をテーブルの上に置き、それから外套、肩掛け鞄、サイドポシェット、騎士剣、ソードクラッシャー、帯剣ベルト、レザージャケットと、身に付けていた物を身体から外していく。
そして、それらを適宜掛けたり置いたりしてから、アレルは浴室で一日の汗を流す。それから、浴室から出たアレルは替えのインナーを着て、それまで着ていた方は洗濯して干しておく。
そうして、やる事を終えたと思ったアレルは、その身をベッドへと横たえた。
(······長い一日だったな。本当に疲れた。それにしても、一日で随分色々な話を聞いたよな。予言······か。メリルは、それが俺の事を指していると思っていたみたいだけど、やっぱり俺では無いだろう。まあ、メリルがそういうものを引き合いに、俺を引き入れたかったって気持ちも解らなくはないけど)
アレルは、ゴロリとうつ伏せから寝返り、仰向けになって天井を見上げる。
(ただでさえ、アリシアみたいに神経使う存在を守りながらなのに、ミリアみたいなお荷物を一人で抱えていたんだもんな。そりゃ、予言なんて怪しげなものにも縋りたくなるよな。まあ、アリシアの方も他人を信じられなくなってるとは聞いたが、これからは色んな奴の手を借りなきゃいけなくなる。今のままではツラいだけだから、出来るだけ何とかしてやらないとな)
そう思い、思考の切り替え代わりにアレルは寝返りをうつ。
(あとは、気になるといえばパメラから預かったバッジか。······一応ではあるが、パメラの奴は信用出来るんだ。ただ、このバッジで接触する商会の人間までがどうかは判らない。土壇場の差し迫った状況で、始めて使うなんてのも怖いからな。明日一度試して、どの程度信用出来るのか、どの程度の情報が得られるのか、今後も使えるのかって事も判断しないと······パメラの言った通り、アリシア達を無事に公国まで送り届けるには情報収集も重要だからな。無条件で、信頼性の高い情報が得られるなら、それ程助かるものもない)
そう考えながら、アレルは壁に掛けた外套を見る。それから、アレルはもう一度仰向けになって目を閉じる。
(状況の整理もしておくか。まず、ここは魔法や魔物が存在する異世界で、俺がいるのはクーデターが起きて少し経ったルクスタニア王国。同行者に、クーデターの首謀者である兄に命を狙われている王女のアリシア、医術師のメリル、近衛騎士のミリアの三人で、その依頼を受けてヴァンハート公国までの護衛をしている。そして、俺の元々の目的······日本への帰還だが、この世界の人間は異世界人だとか迷い人なんて言葉を発した事は無かった。加えて、文明の発展に関しても、その過程にミッシングリンクの様なものが見られない事から、他所から持ち込まれた技術なんかも無さそうだ。その事から、滅多な事では異世界から異邦人がやってくるなんて事がない世界なんだろう。······帰還方法なんて見つからないかもしれないな)
「······ハァ」
思わず、アレルは深いため息を吐いてしまう。
(あとは、クーデターを起こした連中が馬と傭兵を集めている事。隣国のティエルナで、次期教皇を争って国が三つに割れている事。どちらに関しても、差し迫ってアリシア達に影響を与えるものではないように感じる。もし、馬と傭兵がアリシア達に向けてのものだったとしても、あまりに効率が悪いしコストだってかかり過ぎている。だから、クーデター派が余程の馬鹿でない限り、アリシア達に関係ない別の目的で馬と傭兵を集めているって考える方が自然だ。まあ、注意だけはしておこう)
そして、目を瞑りながらアレルは組んだ両手を頭の下に入れる。
(最後は、魔法に関してか。現状、俺が使えるのは身体強化のみだが、どうやら発動方法が通常とは異なるらしい。知った時は、少しショックを受けたが今となっては何ともない。ただ、その異常性を隠す為に何か対策をした方がいいかもしれない。······今考えられるのは、これぐらいか。公国へは、五日から七日って言ってたけど道中何があるか分からないし、ゆっくり眠れるのは今日だけかもしれない······もう寝るか)
アレルは、そう思う前から開けられなくなる程の瞼の重みに耐えかねていた。
それ故に、考えるべき事もなくなったアレルは、自身の意識を手放した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
部屋に差し込む陽光に目が眩むアレルは、手探りで枕元にあるはずのスマホを手に取ろうとする。しかし、いくら探しても手にスマホの無機質な感触がない事で、アレルは急速に思い出す。
(そうだ、ここは日本じゃなかったんだ。駄目だ、ちゃんと頭を切り替えよう)
記憶が無くとも、身体の方には習慣は染み付いているものなんだなと、アレルは染み染み思う。
それから、アレルはベッドから飛び起きると、浴室で顔を洗ってから身支度を済ます。
──コン、コン
すると、程なくして部屋の扉をノックする音が聞こえる。
「お客様、朝食のご用意が出来ておりますので、お好きな時に食堂までお越し下さい」
「ああ、ありがとう」
アレルは、ドア越しに聞こえる宿の人間の声に礼を言う。
それから、アレルはレザージャケットとサイドポシェット、帯剣ベルトに用心のソードクラッシャーだけを付けてから部屋を出る。一階に向かうアレルは、階段を下りながら今日も色々とやる事があるなと、欠伸を噛み殺す。
そうして、食堂までやって来ると、他の客が朝食をとる音がアレルの耳に届く。見れば、ガヤガヤと少なくない人数の商人風の人達が、世間話や情報交換をしている様だった。
(ここで良いのかな?)
食堂を見渡したアレルは、テーブルの上に自身の部屋の鍵と同様のモチーフが描かれた木札が置かれた所に腰を下ろす。
確認しやすい様に、アレルが部屋の鍵を木札の隣に置くと、少しして食堂の者の手で朝食が運ばれてくる。
「お待たせ致しました」
「いや、ありがとう」
ほとんど待たずに運ばれたにも関わらず、丁寧に頭を下げた配膳スタッフにアレルは感謝を口にする。
しかし、それでもアレルの礼に対して、配膳スタッフは再度頭を下げてから厨房と思わしき部屋へと戻っていった。
(さてと······)
それから、アレルは運ばれてきた朝食に視線を向ける。
籠に重ねられたパンに、香ばしい香りが漂うスープ、加えて厚めに焼かれた燻製肉に炒り卵とサラダが添えられた皿と、まるで絵に描いた様な朝食がアレルの目には映っていた。
案外、普通の朝食が出てきて安心したアレルは、スプーンを手にスープを一口啜る。
(普通に美味いな。野菜の旨味が溶けていて、身体が目覚めるってこういう味だよな。さて、次はスープの余韻が残っている内に、パンを食べるかな)
そう思い、アレルがパンに右手を伸ばした瞬間だった。
「そこの宿泊客の方、少しよろしいかな?」
と、恰幅のいい中年の男がアレルに話し掛けてきた。
その中年は、商人の様で身なりだけは整っているが、パメラやラジーニの様な隙のなさは皆無な上、どこか凡庸で頼りない感じが滲み出ている。
そして、隠しきれていない他者を値踏みする様な目付きが、食事中に話し掛ける不躾な部分と相まって、早々にアレルをイラつかせ始める。
「······食べながらで良いなら、構いませんが?」
「ホッホッ、構わないよ」
一応、手を止めてから敬語で対応するアレルに、中年の男は朗らかに笑う。
その余裕ぶった態度から、アレルは中年の男が自分を下に見ている事を察する。
「それで、話とは何ですか?」
許可を問うたアレルではあったが、年上に対する礼儀として手にしたパンを一旦籠へ戻す。
それに気を良くしたのか、中年の男はその笑みを下卑たものへと変えていく。
「いや〜、ただの世間話だよ。見たところ、君は冒険者の様に見えるし若いだろ? この宿に、宿泊するにしては少し······なぁ」
ニタニタ、と人をイラつかせる笑みを浮かべる中年の男を無視し、アレルは周囲へ気を配る。
(なる程、要するにこのオッサンは、鞘当て役の貧乏くじを引いたって訳か)
周囲には、きっとアレルが宿泊しているのが気に食わないのだろう人間が、それぞれにアレルと中年の男に注意を向けている。
あからさまに視線を向ける者、聞き耳だけをたてる者、浅ましさを隠す為に気配だけを向ける者、それらを敏感に感じ取ったアレルは不快感を増していく。
「へぇ、この宿って冒険者なんかが泊まったら駄目な宿だったのか? 宿の主人は、快く迎えてくれたから知らなかった」
最早、下手に出る必要を感じなくなったアレルは、声に怒気を、周囲に殺気を漂わせながら、中年の男だけでなく周囲の人間に対しても鋭い視線を向ける。
その気に当てられたのか、周囲では食器を取り落としたり、身震いをして顔を背ける者も出始める。アレルの前にいる中年の男なんかは、顔を青くさせて後退りまでしている。
「い、いや······いえ、そんな事はありませんよ。ただ、本当に珍しいので──」
「食事の邪魔です。そろそろ、ご自分の席にお戻りください」
もう言い訳すら聞きたくなかったアレルは、鋭さを増した殺気を乗せて、殊更丁寧にお引取りを願う。
「ひぃっ!? も、申し訳ありませんでしたぁ!?」
すると、尻もちをついた中年の男は、アレルから逃げるみたいに慌てて離れていく。そうして、小物感が露呈した中年の男 は、そのまま初老の男性の元に泣きつきに行った。
それが、この面倒な事をやらせた人物かと、アレルはその初老の男性の顔をしっかりと覚えたのだった。




