一章〜非望〜 六百十七話 何気ない時間の訪れ
教えるもの自体は、そこまで複雑な手順を必要としないので口頭でも問題はないとアレルは考える。しかし、相手は良く知りもしない相手なので実際にどうなるかは教えてみないと判らない。
なので、アレルは取り敢えずやるだけやってみるかと気合を入れ直す。
「まずは、必要な物から言うぞ。売れ残りのバゲット、それからバターに砂糖、それだけだ」
「へ? それだけ?」
「何か、文句でも?」
どこか、馬鹿にするかの様なパン屋の声に、アレルはギロリと鋭い目付きで睨みつける。すると、パン屋は無言で首を左右にブンブンと振る。
「じゃあ、次は手順な。まずは、バゲットを薄切りにしてそれを吸湿性のある紙、無けれは布で挟んで水気を抜く。続けて、低温の窯に入れてある程度乾燥を促す」
そこで、アレルは一旦説明するのを止めて、パン屋にメモを取る時間を与える。その際、軽くパン屋の手元を見るがアレルには何が書いてあるか判らず、それでも本人に判るなら良いかと口出しはせずに黙って手が止まるのを待つ。
「次、良いか?」
「はい、大丈夫です」
一応、メモを取る手が止まったのを目でも確認したアレルは次の手順を口にする。
「次は、その薄切りにしたバゲットの表面にバターを塗って、その上にふるいを使って満遍なく砂糖を振りかける」
「ふるいを······と」
パン屋は、アレルの言葉を反芻しながら、後から見直しても解る様なものを書いていく。何を書いているかは判らないが、それなりに時間が掛かっている事からアレルは絵でも描いているのだろうと思う。
「最後に、そうした薄切りのバゲットを一枚ずつ並べて窯に入れて、バゲットに残った水分を残らず飛ばす様に焼成すればそれで完成だ」
パン屋は、アレルの言葉を聞いてから手をそれまでよりも早く動かしメモを早々に書き終える。そして、ヨシッと気合を入れるとそのメモを手に店の奥へと足を向ける。
「早速作ってくる! 少し待っててくんな!」
ノッシノッシと、パン屋は売れ残りのバゲットを抱えられるだけ抱えて鼻息荒く試作へと向かっていく。しかし、お茶どころか椅子すらも出さずに待てとは、こういう気の利かない所が客足の少ない理由なのではないかとアレルは感じる。
そこへ、アリシアがクイクイとアレルの服の裾を引っ張って注意を引く。
「ん? どうかしたか?」
「ねえ、今アレルが教えたものって出来上がるのにどれくらい掛かるの?」
アリシアの疑問に、アレルは右手で顎に触れながら視線を上に向ける。
「そうだな······大体、三十分強ぐらいかな? なんだったら、店で待たないで街中を少し歩くか?」
アレルは、それなりの時間が掛かるからとアリシアが他に何かしたがっていたのを思い出し、待ち時間を利用して済ましに行くかと問い掛ける。
しかし、問い掛けられたアリシアは迷いすら見せずに、しっかりと首を左右に振ってみせる。
「ううん、ここで少し話でもしながら待ってよ」
「良いのか? 椅子すら出されてないのに······」
「うんっ! それでも、良いのっ」
ニコッと、微笑みながらアリシアは店に入ってから離していた手を再びスッと握ってくる。その微笑みが、あまりにも裏表がなさ過ぎる上に、握られた手からも一切の冷たさを感じなかった事でアレルは少しだけ戸惑ってしまう。
ただ、そこに変な気遣いなんかも感じられなかった為に、アレルは仕方ないなと苦笑しながらもアリシアに付き合う事にした。
「······まあ、アンネがそれで良いならそうしようか。でも、何か話す事なんてあるのか?」
「えっ······と、あっ! じゃあ、アレルがさっき教えていたやつってどんなのが出来上がるの?」
「それ、先に教えられてつまらなくなったりしないか?」
「ううん、全然大丈夫だよ」
何でそんな事を訊くのかと、アレルが見るアリシアは小首を傾げながらも本当に知りたいのか、その目を僅かながらにキラキラと輝かせる。そのアリシアの氷青の瞳に、アレルは気圧されながらもネタバレなんて概念はこっちの世界には無いんだなと思う。
「じゃあ、教えるけど······アイツに教えたのは、シュガーラスクってお菓子の作り方だよ。さっき、殊更水分について口にしていたけど、カリカリサクサクの食感にバターの風味と砂糖の甘さがほんのり感じられて結構美味いんだよ」
「へえ、そうなんだ······でも、あと三十分か······」
アリシアはそう呟くと、少しだけ下を向いて残念そうにする。その姿に、アレルはこういう所もどこかアリシアらしいなんて感じてしまう。
すると、クンッと瞬時に顔を上げたアリシアはアレルへ顔を向けながらも、どこか自分へ言い聞かせるみたいに言ってくる。
「でも、話していたら三十分なんてあっという間だよね!」
そんなアリシアの反応に、思わず笑みをこぼしてしまったアレルは、アリシアの不興を買わない様に取り繕う。
「ああ、そうだな。アンネとの話は楽しいから、あっという間に三十分なんて過ぎちまうな」
「む〜、なんか馬鹿にしてない?」
「してないよ。それより、甘いモノと言えばシープヒルで買った飴はまだ残っているのか?」
そうやって、アレルから話題を振るとアリシアは訝しげな表情を一変させ微笑みを浮かべてくれる。
「うん、あるよ! 私は、荷台で口寂しい時に食べてるけど、クリスはもう全部食べちゃって──」
クスクスと、アリシアは口元を隠して上品に思い出し笑いを挟む。
「──食べる時も、口に入れたら直ぐにガリリって噛んじゃうの。それを、イバレラにキッて睨まれるとなるべく音を立てない様にしながら、それでも噛み砕こうとするんだよ」
面白いよねと、アリシアはとても愉快そうに荷台での事を話してくれる。それを聞いて、自身が馬車を走らせている間に楽しげに過ごしてくれていて良かったとアレルは思う。
「そうか。でも、飴を直ぐに噛む人ってイライラしてるって話もあったな」
「そうなの?」
「まあ、そういう傾向が見られるってだけで、全部の人がそうとは限らないと思うけどな」
そこで、一旦話は途切れるものの、店の奥の方からバターの香りが漂い始めてくる。
「······ねえ、アレルが言っていたお菓子ってアレルの故郷では一般的なものなの?」
その香りに釣られてか、今度はアリシアがそんな問い掛けで話を振ってくる。
「そうだな······発祥は別の国なんだけど、かなり昔から作られていたものらしいから今では大分一般的になっているな。安いものなら、その辺のコンビニでも買えるし」
「こんびに?」
思わず、アレルが口にしてしまったコンビニという言葉は、聞き慣れないアリシアに首を傾げてさせてしまう。それに、アレルは慌ててしまうも奥にパン屋がいるので、説明するのにアリシアへ耳打ちをする。
「······俺の世界で、一日中営業していて色んな物が売っている雑貨屋みたいなものなんだ。因みに、国中に何万店舗もあるからそこら中にあるんだ」
「そんなにッ!? ······やっぱり、アレルの故郷って不思議な所なんだね」
「俺からしてみれば、この国もかなり不思議だけどな」
それに、アリシアはそんな事ないもんと頬を僅かに膨らませる。そんな話をしながら、アレルはアリシアと暇潰しに興じる。
何故、アリシアがこうした他愛のない話をしたがったのかは解らない。それでも、アレルは自身もどこかこの時間を楽しんでいる事を不思議に感じるのであった。




