一章〜非望〜 六百六話 女心は魔物よりも手強い
笑みを向け合う二人の間を、アレルの肩から飛び立った瑠璃がクルクルと周回する。それは、見た目には瑠璃も嬉しそうにしているみたいに見えて、アリシアは更に笑みを深くする。
そんな二人を見るアレルは、部屋へ来る前まで感じていたそこはかとない不安がすっかり消えている事に気が付く。その事実に、これが一人ではないって事なんだなと改めてアレルは実感する。
「アンネーッ! いるのー?」
そこへ、割と強めのノックと共にメリルの声が部屋の中まで響いてくる。その声には、どこか苛立ちの様な焦りが感じられ、アレルの正面にいるアリシアはビクッと肩を震わせる。
そんなアリシアの反応を見て、アレルはアリシアがメリル達の部屋へ顔を出さなければいけないと口にしていた事を思い出す。ただ、アリシアがこちらに留まった理由に自身が引き留めた事があるので、アレルは速やかに椅子から立ち上がり扉へと足を向ける。
「心配させてすまない。少し話したい事があったから、俺が引き留めていたんだ」
ガチャリと、そう言ってアレルは内開きの扉を開けて、メリルを迎える。すると、アレルがいるとは思ってなかったのか、メリルは目を見開いてあからさまに驚く。
「アッ、アレルさん!? あっ、えっ······その、戻っていたんですか?」
その言葉に、メリルも先程自身が宿から出ていった事を知っていると察したアレルは、また一から説明するのも面倒だと適当に誤魔化す。
「ああ、ちょっと落とし物を探しに行っただけだからな。それより、話し込む前に一言断りを入れに行くべきだったよな? ごめんな」
「いえ······それは、別に······あっ、でもアレルさんの身体の方は大丈夫ですか? どこか寒気を感じていたりはしませんか?」
と、少しは落ち着きを取り戻したのか、メリルは実にらしい心配をアレルに向けてくる。それに、フワッとした妙な感覚を覚えたアレルは薄い笑みを返す。
「平気だよ、下の暖炉で暖まらせてもらったし、温かい飲み物も飲んだから。それで、中に入るか?」
「あっ、いえ······アンネっ、あなたはこのままこっちにいるのぉ?」
「う、うんっ! ほ、ほら、もうすぐ夕食だろうし、私がこっちにいた方が宿の人も楽······? なんじゃないかな?」
アハハと、アリシアはまるで言い訳をしているみたいに苦笑いを浮かべながらメリルに答える。そんなアリシアから、アレルがふとメリルへ視線を移すと、今まで見た事のない厳しい顔付きでアリシアを見ていた。
しかし、直ぐにアレルの視線に気付いたメリルは、即座にその珍しい表情をいつもの表情に戻してアリシアに答える。
「······ハァ、そういう事なら別に良いですけど、一言断るぐらいしに来なさい」
「は、はぁ〜い······」
何故なのだろうか、アレルは目の前で行われているやり取りにいつもの様な姉妹感を感じられず、アリシアからはメリルに対してまるで腫れ物に触れるみたいな余所余所しさを感じる。ただ、そうしてアレルが首を傾げていると、メリルはその視線をアレルへと向けてくる。
「それでは、アレルさんにこれだけは言っておきますけど、今夜はちゃんと暖かくして寝ないと駄目ですからね」
めっ、と人差し指を立ててまで注意してくるメリルは、いつも通りの様に感じられる。そのせいなのか、アレルは先程のは自分の気の所為だったのかもしれないと思い込む。
「ああ、解ってる。風邪なんて引いて、これ以上足止めさせる訳にはいかないからな」
「そういう意味ではないんですけどぉ······」
ジト〜っと、訝しげな目を向けてくるメリルはやはりいつものメリルで、それに今度はアレルが苦笑いを浮かべる。
しかし、いつまでも扉を開けたまま話してるのもなんだと思ったのか、メリルは盛大なため息を吐いて諦めたかの様な雰囲気を醸し出す。
「······まあ、良いですけど。その代わり、風邪を引いてもアレルさんはどうせ無理をするでしょうから、その時はむせ返る程に苦い薬を用意してあげますからね」
「······お、お手柔らかに頼みます」
怖気づくアレルに、メリルはニコッと笑みを返してくる。
「駄目です、容赦なんてしてあげませんから。······それでは、アタシはこれで部屋に戻りますね。そ・れ・か・ら、アンネはこういう事が今後はない様にしなさいねっ!」
「う、うん······気を付けるね」
妙に緊張した様子でアリシアが答えると、刹那の瞬きだけメリルはギロリとアリシアを睨みつけてからアレルに軽く会釈して自分の部屋へと戻っていった。
その後で、アレルが部屋の扉を閉めると、アリシアがあからさまにホッとした表情を浮かべる。
「どうしたんだ? そんなに、気の抜けた感じで」
アレルがそう言うと、アリシアはどこか恨みがましい表情でアレルに文句を漏らす。
「アレルは、知らないからだよ······メリルって、本気で怒ると凄く怖いんだからっ」
もうっと、アリシアは頬を僅かに膨らませて不満を露わにしてくる。しかし、メリルのそんな所を見た事のないアレルは半信半疑で、アリシアが怒られた記憶をその恐怖からそんな風に思い込んでいるのではないかと考える。
「信じてないでしょ?」
「あっ、まあ······な」
アレルは、図星だった事を誤魔化すみたいに片手を首筋に当てる。そこへ、部屋の中を飛んでいた瑠璃がアレルの肩へ止まりに来る。
──ルリの感じでは、心配四割憤り六割ぐらいでしたよ。ただ、主様が声を掛けたら全部霧散したみたいでしたけど。
(その割には、アリシアへの釘刺しがえげつなかった様な気もするけど?)
瑠璃の見立てに、アレルが精神感知で疑問を返していると、そこへアリシアが拗ねたみたいな一言を漏らしてくる。
「······メリルは、アレルの前だとそういう所を見せない様にしてるからだよ」
「えっ? 何で?」
「知らないッ!」
反射で返すアレルに、アリシアはどこか拒絶でもするみたいにバッとテーブルに突っ伏して黙り込んでしまう。
──ルリにも、どうしてかは訊かないで下さいね。
と、先んじて瑠璃に次善策を封じられてしまったアレルは、何も解らないままに万策が尽きてしまう。なので、仕方ないとアレルは再びアリシアの向かいに座るのも良くないと感じ、アリシアを刺激しない様にベッドの方へと腰掛ける。
それから、夕食までは何もする事がないなと思うも、そこでアレルは明日の昼に食べる主食が足りない事を思い出す。なので、外へ買いに行こうと考えるが先程出て行ったばかりなのを踏まえて、買いに行くにしても夕食の後にするかと考える。
──主様。
と、不意に瑠璃から注意を引く様な声掛けをされアレルは顔を上げると、突っ伏したままではあるもののこちらをジーッと見詰めているアリシアに気が付く。その目は、まるでどうしてベッドなんかに腰掛けているのと言ってるみたいで、アレルは仕方ないなと立ち上がり再びアリシアの向かいの椅子に座る。
しかし、その直後にアリシアは何故かもう一度顔まで伏せて黙りを決め込む。そんな反応に、これも自分が悪いのかなと思いつつ、アレルはアリシアが機嫌を直してくれるのを静かに待つのであった。




