一章〜拠り所〜 六話 林を行く
「······」
「どうか、なさいましたか?」
声を掛けられ、アレルはようやく我に返る。
そして、心を奪われていた事を悟られない為に、慌てて体裁を取り繕う。
「あっ、いや······追われている人間は、そうやすやすと素顔を晒さない方がいいんじゃないか?」
「あっ、はい。そうですね」
アレルに言われ、アリシアはいそいそと再び長い髪をローブの中にいれてから、頭にフードを被る。
(記憶喪失で言うのもおかしいけど、芸能人とか海外のモデルなんかとでも比べるまでもない程、他の追随を許さないレベルの美少女だった。······まあ、どんな理由で追われているか知らないが、顔を隠してなかったら関係無い連中からも、別の理由で追い回されるんじゃないか? 王侯貴族は、美男美女と結婚しがちだから、必然的に容姿が整うなんて話もあるけれど、度が過ぎてる)
アレルは、そう思いながらも、身体の動きやローブの膨らみから、アリシアが無駄な肉のついていない均整の取れた美しいプロポーションである事も見抜く。
だがしかし、そんな見る人全ての目を引く容姿よりも、アリシアが見せた輝くような笑顔こそが、アレルの脳裏に焼き付いて離れてくれない。
そんな、味わった事の無い感覚に、アレルは激しく動揺する。
「······じゃあ、俺が前を歩くから、案内の指示を頼む」
それ故か、アレルはアリシアが整え終わったタイミングで即座に背を向け、自身の動揺を隠そうとする。
ただ、そんなアレルの心情を知らないアリシアは、トコトコとはぐれないようにアレルの真後ろにつく。
「あっ······はい、分かりました。それでは、私が出てきた茂みから林の中に向かってください」
そうして、背中にアリシアの気配を感じながらも、どうにか平静を取り戻したアレルは、茂みを分け入って林へと歩を進めた。その中は、鬱蒼という程ではない、程よい間隔で樹木が乱立していた。
そこを歩きながら、アレルは振り向くことなく、アリシアに問い掛ける。
「なあ、なんでこんな林の中を歩いていたんだ?」
例えば、追手を撒くつもりだったなら、街へと続く林道の近くではなく、もっと街から離れた場所の道なき道を行った方が見つかりづらかっただろう。
何故そうしなかったのか、アレルはアリシアに訊いておきたかった。
「そ、それは、馬に追われている事にミリアが気付いたので、やむ無く林道から馬を走らせづらい林の中に······」
そもそも、何で林道なんかを歩いていたのかが訊きたかったアレルではあったが、その興味は別のものに移る。
「馬······か」
「アレル? どうかしたのですか?」
アレルの呟きに、自身の話に何か問題があったのかと、不安を感じたアリシアは声を震わせる。
しかし、別の事を考えるアレルの耳に、アリシアの不安は届かない。
「乗って良し、売って良し、更には万が一の非常食にもなる。どこかに繋いでいるなら、二人を助けた後で貰っていくのも──痛ッ」
アレルの呟きを遮る形で、不満気な表情をしたアリシアが、後ろからアレルの脇腹を抓る。
「アレル······仮にも、勇者の名前を名乗るのですから、もう少し品位というものも考えてください」
言葉ではそう言うものの、どちらかといえば自身が無視された事の方に、アリシアは憤りを感じている。
しかし、前を向くアレルにそれを知る術はなく、アリシアを宥める為に肩を竦めて冗談めかす。
「品位ねぇ······もしかしたら、記憶喪失前の俺は、盗賊かその辺の荒くれ者だったのかもなぁ」
「それだけは、ないと思います」
だが、アレルの冗談は、確信めいたアリシアによって否定される。
そう、断言した速さと迷いのなさに、思わずアレルは歩きながら首だけで後ろを振り向かされる。
「何で?」
「それは······アレルは、自分が傷付く事になっても、逃げる事なく会ったばかりの他人を助けた人です。そんな人が、略奪を生業としていたはずがありません」
アレルは、その言葉を聞いて、再び前を向く。
「随分と、信頼されたものだな」
「えっ? 何か、言いましたか?」
ボソリと、吐き捨てる様に呟いたアレルに、アリシアは小首を傾げる。
ただ、アリシアが言ったように、見ず知らずの他人を助けた自分もだが、それだけで信用するアリシアの方も大概だなと、アレルは感じる。
そんなアリシアと自身に、どこか近しい部分でもあるのかもしれないと思ったアレルは、その口元に薄い笑みを浮かべる。
「道······は無いから、このまま真っ直ぐでいいのか?」
しかし、そんな内心を悟られたくないアレルは、アリシアの言葉を無視して、進む方向を訊く事で誤魔化す。
そして、アリシアもそれには答えねばと、自身の疑問を飲み込む。
「あっ······はい、多分それで大丈夫です」
「多分?」
「ええ、無心で逃げていたので、正確には分からないのです。すみません」
そこで、アレルは立ち止まりアリシアに向き直る。
「どれくらい走ったか、判るか?」
「いえ······ただ、それ程長くはなかったと思います」
アリシアの言葉を受け、アレルは少し考え込み、周囲を見渡す。
(アリシアが、そこまで速く走られるとは思えない。だとすれば、そこまで奥には行ってなかったはずだな。······少し、確かめてみるか)
すると、アレルはアリシアに対して、自身の口の前に人差し指を立てる。
「アリシア、ちょっと静かにしていてくれ」
「はい······」
アレルは、アリシアの返事を聞き流し、両手を耳に添えてから、その場でゆっくりと回り始める。
「────」
「──、────!!」
そんな中、やや北西の方角を向いた時、アレルの耳に人の話し声のようなものが届く。
アレルは、その方向でピタリと止まると、再度耳を澄まして確認をする。
「······。よし、この先で間違いなさそうだ」
「判ったのですか?」
「ああ、どうやら耳が良いみたいでな······話し声が聞こえないか?」
そう言われ、アリシアは見様見真似で、アレルと同様にフードの隙間から両手を耳に添える。
そして、指示された方向に耳を澄ませるが、要領を得ない表情を浮かべる。
「······。いえ、私には聞こえません」
「そうか、それならそれで構わない。とりあえず、ここから先は喋らずに、足下の枝なんかを踏まない様にな」
「はい」
アリシアは、そう返事をすると共に、アレルのシャツの裾を摘む。
(えっ······と、何だこれ? 反射的に掴んだのか······まあ、普通に不安だから無意識に掴んだんだろうな。仕方ないから、黙って『安心毛布』役をやってやるか)
そうして、アレルはアリシアを引き連れ、決して急がず、それでも遅くなりすぎず、慎重に話し声がした方向へと近づいていく。
すると、徐々にアレルの耳に、はっきりとした言葉が聞こえ始めた。