一章〜非望〜 五百九十六話 手に負えない程に複雑で
どうして、こんな話に正面から付き合っているのだろうとアレルは思う。面倒だと感じているなら、そんなの知った事かと突き放せばそれで終わる話だった。
それにも関わらず、まともに付き合ってしまっているのは、やはりミゲル自身がどこか変わろうとしてる姿勢を見せているからではないかとアレルは自己分析する。
「······あの、私から話しておいてなんだとは思いますが、何故こんな話にお付き合い下さるのでしょうか?」
そこへ、間が良いのかミゲルがそんな質問を投げ掛けてくる。ただ、素直に話すのがどこか照れくさいアレルは、自身の心も未だ未成熟だなと思いつつ適当に誤魔化す。
「そんなの、服が乾くまでの暇潰しだよ」
「そう······ですか」
何を期待していたのか、ミゲルはどこか落胆したかの様な声を漏らす。しかし、それだけでは終わらずにミゲルは再びアレルへ訊ねてくる。
「あの、もう一つだけ訊かせてもらっても良いですか?」
「ああ」
答えながら、アレルはまたもスープをズズッとわざと音を立てて啜る。
「では、先程差別や偏見を無くす為にはまず認知をしてもらう事が必要と言われてましたが、既に帝国が犯した数々の悪行は知れ渡ってます。それで差別されていると言っても誰も耳を傾けてはくれないのでは? これにも、心の成熟というものが必要なんですか?」
「いや、それとこれとは別問題だから一緒にするなよ。これも例え話をするけど、今は普通の関係になっているけれど昔は近所の人達に祖父が疎遠にさせられていたとする。それを聞かされたら、祖父の事が好きな孫はどう思うのが普通だと思う?」
「······その近所の人達の事が嫌いになると思います」
「それと一緒だよ。まあ、帝国の場合同じ国の人間が原因で差別対象でもあるからややこしいけど。何故差別されているかを話すなら、その背景までも話すしかなくなる。そうなると、経緯は異なっていても差別されてる人達へ同情する人達は、差別されるに至った原因を作った者や実際にそういった行いをしてきた者に僅かにでも怒りを感じる事もあるだろう。そうなれば、今度は第三者から差別の原因を作った者達への責任追及みたくなって、やり方を間違えれば憎しみの堂々巡りになっちまう。······そういう、怒りや憎しみなんて感じさせずに伝えるのが理想なんだろうけど、そんな話を聞かされても義憤に駆られる奴がいないってのも気持ちが悪い」
そう、別に怒りや憎しみといった感情までもを否定したい訳ではない。ただ、それを言葉や行動と結びつけてはいけないだけだとアレルは考える。心の成熟とは言っても、それは決して感情を手放す事と同義ではない。
寧ろ、アレルが考える心の成熟とは感情豊かながらも常に穏やかでいられる事で、自我を失くしてしまう程に達観する事ではない。心が動かなくなった先に得られるものなんて、自己満足や自己犠牲の果ての自己完結に似た何かしか無いのだから。
(虚心坦懐の境地でなんて言うのかもしれないけど、協調性や共感なんてものに重きを置いていればそれが難しいのは誰でも同じだ。ましてや、虐げられてきた連中にそうしろとも言えないしな)
そこへ、困惑を表情に描いたミゲルが再びアレルへ問い掛けてくる。
「あの······今の話で、原因を作った者達、差別を受けてきた者達は解ります。でも、帝国がしてきた事を言うのであれば、そこに帝国の悪行の被害者······亜人種族はどうなるんですか?」
「それに関しては、今の話には入ってないな。亜人種族の住む大陸は海の向こうで、今はどちらからも海を渡れない事情がある。それが解消されるのがいつになるか知らないが、実際に考えるのは向こうがどう思っていて何をしたいと思っているかが判ってからでないと意味がないだろ」
そう、亜人種族が帝国憎しからヒト族全体を憎み報復なんて考えていれば、このまま海で分断されている方が良いかもしれない。逆に、過去を水に流して友好的でありたいと願っているのなら、海を隔てる海魔なる魔物を討伐しなければ話し合いの場を設ける事すら出来ない。
しかし、現状はシュレディンガーの猫よろしく箱を開けてみなければどちらの状態も考えられるのが実情だ。もしかしたら、そんな二極化なんて出来ない程に混沌としている可能性だってある。それ故に、アレルは危険な海戦で魔物の討伐に人員を割いてまで、そんなパンドラの箱を開きたがる奴なんていないだろうと思う。
「成る程······だからこその、難しい問題なんですね」
「まあ、今話したのなんてほんの氷山の一角に過ぎないだろうけどな」
そうして、どこか落ち着きを得た様な表情のミゲルに、アレルはスープを啜ってから訊ねたかった事を訊ねる。
「なあ、そっちの話が終わったなら俺からも少し良いか?」
「はい、何でしょうか?」
アレルの言葉に、ミゲルは何故かピシッと姿勢を正してから応える。
「じゃあ、まずはミゲルの羽根の色って何色なんだ?」
「私は、黄色でマスターが緑です。なので、何か訊きたい事があるなら私へお願いします」
「······黒羽根、ではないのか?」
瞬間、スッとミゲルの目が細く鋭いものへと変化する。その空気までもが、ピリッと張り詰めるみたいな気配から、アレルはミゲルの嫌悪を感じ取る。
「ええ、能力的には適性があると言われはしたんですが······色々とありまして」
何か訳あり、そんな雰囲気と共にどこかミゲル個人の好悪感情も混じっている様な気がしたが、アレルはそこには踏み入らないように気を遣う。
「そうか······なら、この街の黒羽根ってどこにいるんだ?」
「今はいませんね。私は知りませんが、何やら優先すべき任務があるとかで付近の黒羽根はほとんど出払っています」
優先任務、それには心当たりがあるアレルはこの街の黒羽根がハインリヒの教え子か諜報班へ駆り出された人物だろうと考える。ただ、最新の情報を持っていそうな黒羽根がいない事で、訊ける事が限られてくるなと感じたアレルは落胆を隠す為にスープを啜る。
「何か、問題でも?」
「いや、最近黒羽根の連中とばかり縁があったから、情報の共有的な側面で話しやすさを感じていたってだけの話なんだ」
「まあ、彼等は羽根の中でも特殊な立ち位置にいますからね。情報網の方も、私達とは別のものも持っているらしいですから」
ミゲルはそう話すも、確か黄羽根は訊かれた事にしか答えられない的な制限があるという話をアレルは思い出す。それ故に、ミゲルへの質問はこちらからの投げ掛けが重要になると、アレルはこれから何を訊けば欲しい答えが返ってくるかを考える。
「······なあ、朱羽根の権限でどこまでミゲルの制限を無くす事が出来るんだ?」
その質問に、ミゲルは難しい表情を浮かべながら何かを思い出すみたいに視線を泳がせる。
「申し訳ありませんが、それについては私に答える権限がありません」
やっぱりそれかと、アレルはミゲルの返事に肩を落とす。ただ、同時に商会長と同等の権限を持つはずの朱羽根があまりにも融通を利かせられない事に、アレルは自身に預けられている朱羽根にも何らかの制限が掛けられている可能性を考える。
そして、それも使っている感覚ではクーデター関連の情報やアリシア達の身の安全を確保する方向に使用が限定されている感じがする。そう思ったアレルは、ならば直近の事で気になっている事を訊こうとミゲルへ再度投げ掛ける。
「じゃあ、ハウザー家について何か知っている事を話してくれないか?」
街に入る際、暖簾に腕押しという程ではないがクライドとの腹の探り合いはどこか腑に落ちない部分が多過ぎた。特に、最後に与えられた助言めいた言葉には、鵜呑みに出来ない怖さが付き纏う。
だからこそ、アレルはこの場で可能な限りクライドの言葉の裏を取ろうと画策する。




