一章〜非望〜 五百九十五話 迷いを打ち明けられては
暖炉の前で、アリシアと指切りを交わしたアレルは、まだ乾ききらない服を理由にアリシアを先に部屋へ帰そうとする。それに、乾くまで一緒にいると口にするアリシアだったが、そろそろ戻らないとメリルが心配するからとアレルが言うと大人しく部屋へ帰るとアリシアは言ってくれた。
「じゃあ、また後でね」
「ああ、俺もその内部屋に行くから」
アリシアにそう言うと、アレルは即座に精神感知で瑠璃へ話し掛ける。
(瑠璃、アリシアの事よろしく頼むな)
──はい、任せて下さい!
そんな、先程まで空気を読んで黙っていた事に関して恩に着せる気も無い様な返事に、アレルは申し訳なく感じて一言付け加える。
(さっきは、ありがとな。後で、何かしらの埋め合わせはするから)
──いえ、ルリはいつも主様と内緒話をしていますから、少しぐらいアリシア様にお讓りしないと逆に申し訳ないです。なので、主様の心配は無用です。
本当に、瑠璃は変な所で謙虚だなとアレルは思う。そんな瑠璃に、最後にもう一言ぐらい伝えようとすると、背中を向けていたアリシアが急にくるりと振り返る。
「そうだ! アレル、言い忘れていたけど、さっきは私の為に怒ってくれてありがとっ。嬉しかったよっ」
両手を後ろ手に組んで、ニコッとアリシアは朗らかな笑顔をアレルへ向けてくる。その笑顔は、フードを被っているのが勿体ないぐらいの煌めきを宿していて、その事が出来るだけ早くアリシアがフード無しで過ごせる様にしたいというアレルの願いを強めてくる。
しかし、そんな想いはやはり悟らせる訳にはいかないと感じるアレルは、ぶっきらぼうに返事を返す。
「礼なんかいらねえよ。俺は、ただムカついた事に怒っただけだから」
「うん、アレルがそう言うならそういう事にしといてあげる。それじゃ、今度こそまた後でね」
アリシアはそれだけ口にすると、そのまま言い逃げみたいにスタスタと部屋のある二階への階段の方へ駆けて行ってしまう。
それに、反論したかったアレルはやられたと思うが、不思議と悪くない気持ちで満たされているという妙な気分を味わう。そんな希有な体験に、アレルはアリシアからは滅多に味わえない経験ばかりさせられると感じる。
(それはそれとして、服の乾き具合はどうだろうか?)
少し気になったアレルは、座ったままで着ている装備の乾き具合を手で触って確かめる。すると、まだ少し冷たさが触れた手に返ってくるが、もう少し火にあたっていれば乾きそうではあった。
それならば、外套の方はどうだとアレルが椅子から立ち上がろうとした所で声が掛けられる。
「遅くなりましたが、温かい物を持ってきました」
その声の主はミゲルで、アレルがそちらへ顔を向けると先程下げたマグカップの様な物を差し出してくる。中を覗くと、具材の無い澄んだスープで所謂コンソメスープの様だった。
「悪いな、わざわざ」
「いえ、こちらこそ先程は──」
「謝罪なら要らない。謝るなら相手が違うし、何より彼女も俺もそれを望んでいない」
アレルは、ミゲルが何を口にしようとしたのかを悟り、先んじてそれを不要だとして言葉を遮る。それからスープを受け取るも、口をつけたら思いの外熱かったのでフゥフゥとアレルは息を吹き掛ける。
ただ、そんなアレルに対してそのまま黙っている事が出来なかったのか、ミゲルは何やら口にし始める。
「あの、言い訳をする訳ではないんですが、私の話を聞いてもらえますか?」
「まあ、スープを飲んでる間なら」
ミゲルの表情から、悲壮とも憎悪とも違う何か強い感情が感じられたアレルは、そう言って場の空気を濁しながらもミゲルに話を促す。
「······本当に、酷いものだったんです。父の話では、私も帝国内でそれなりの血筋だったらしいのですが、生活は貧しくそんな父の言葉なんてただの妄言にしか思えませんでした。まるで人扱いなんてされない、どこへ行っても苦しいだけで······そんな生活が嫌で私はあの国を逃げ出したんです」
父がいたなら、その父はどうしたのかという野暮な事は訊かない。話さないという事は、そういう事なのだとしてアレルは相槌代わりにスープを啜る。
「こんなでも、これまで帝国が他国や亜人に対して行ってきた事は知っているつもりでした。なので、他国へ渡れば自分がどんな目を向けられるかも理解していたはずでした。それに、帝国人に対する差別が少ないと聞くルクスタニアまで来たんです。だから、どうにかなると思ってました。······それでも、少ないとはあくまで国家規模での話で、個々人の間では差別などは普通に残っていました」
「まあ、どこに注目するかで評価なんて変わるしな」
「ええ、そうして差別や侮蔑の目を向けられ、日々生きる事すらままならない所をマスターに拾って頂きました。それからは、ここで一人の人間として扱ってもらえて、何故だかようやく自分が人間となれた様な気もしていました。しかし······それでも、そこまでの温情に触れておきながらも、私の中からは虐げられてきた日々の悔しさや辛さ、植え付けられた劣等感からくる憎悪や恨みなどが決して消えてはくれないんです。·······マスターやあなたの様に、差別や偏見の無い方がいる事も知っているはずなのに、私はいつまでも変わる事が出来ないと諦めるしかないんでしょうか?」
話を聞くに、だからこそミゲルはアリシアにした様に、自ら相対した相手に卑下をぶつけてしまうのであろうとアレルは考える。ただ、それとは別に何故かこうして他者の悩みを打ち明けられる事が多いなと、アレルは若干そういった自身の性質に辟易し始める。
「それ、変わる必要なんてあるのか?」
「は?」
「いや、そのミゲルの消せない想いなんかもミゲルがこれまで生きてきた証みたいなもんだろ? それを、何で苦しんできた奴が周りに合わせるしかないんだよ。まあ、かといって世界の方に変われって押し付けるのも横暴ではあるけどな」
「で、でも······先程、こんな私に腹を立てたのはあなたではありませんか?」
言動がまるで正反対に思えるアレルに対して、ミゲルは驚きの表情で食って掛かる。そんなミゲルに、アレルはなんて事はないと肩を竦めて返す。
「当たり前だろ? 連れが貶されて、それで頭にこない訳がねえよ。でも、そこでミゲルが帝国人だからって他の奴なら怒る所を怒らなかったら、それはそれで差別みてえなものじゃねえか。······まあ、そっちとしては悪い気がしない分マシに思えるかもしれないけど」
「そ、それは······」
アレルの言い分に、ミゲルは自身の中の確固たる部分を揺るがされたみたいに動揺を表に出す。しかし、アレルはそんなミゲルに対して手を緩める事なんてしない。
「というか、差別や偏見を無くすって言っても、実際にそれが無くなった世界を想像出来てる奴なんているのか? そもそも、無くす為には現状を認知してもらう必要もあるけど、やり方を間違えれば逆に差別や偏見を拡げる事にもなりかねない。だから、そういうものを無くすって事は本当に難しいんだよ。差別や偏見の現状を多くの人に認知してもらって、それでも変な特別扱いをされない様にするには同情なんかも引かない様に、どちらかと言えばそんなものが行われていなかったと思える程に気にしない様にしてもらうしかない。それだって、見た目の違いに対する第一印象なんかは個人的な感情だからどうにも出来ない部分もある。だから、ちゃんとした着地点を見据えていないと、色んな人の意見がごちゃ混ぜになって収拾がつかなくもなる」
「それでは、一体どうするのが良い方法なのか何も判らないではありませんか? あなたは、何か思いついているんですか?」
そう問われ、異世界人の自身の考えを浸透させるのも良くないと思いつつも、アレルはそれも今更かと最早思っている事は全て話してしまおうと決意する。
「方法は判らない。でも、必要なのは心の成熟だとは思っている」
「心の成熟?」
説明の前に、アレルは手にしているスープを啜って喉を潤す。
「ああ、他者のあれこれに腹を立ててもそれを表に出す事もなく、自身の劣等感なんかに対してもそれぐらい誰にでもあると思える様な、そんな他者にも己にも寛容でいられる成熟が必要なんだと俺は思っている。例えば、俺や連れがしたみたいに初対面だからと警戒しているのを差別や偏見と受け取られればさっきのミゲルみたいな反応になるし、俺がこういう話を出来るのをミゲルが朱羽根を預けられた人だからって俺と自分とは違うみたいな言い方をしてくれば、俺がそれを差別や偏見と受け取ってもおかしくはないだろ? だから、相手にも自分に対しても、ありのままを受け止められる度量が必要なんだと俺は思うんだ」
「はい······理解出来ます」
一応、ミゲルは納得した様な返事を返してくるものの、未だ気になる事があるみたいな様子が見受けられる。
それに対して、話がまだまだ長くなりそうだなと感じながら、アレルはズズッとスープを啜るのであった。




