一章〜非望〜 五百九十三話 人の気も知らずに
自身の浅はかさに打ちのめされて、そこを冷えた身体が暖められるみたいにアリシアに救われて、何とも情けないとアレルは思ってしまう。
出来る事なら、アリシアの前でだけはそんな情けない姿を見せたくなかった。実力なんて全然足りなくて、それなのに信じてくれてるアリシアをほんの僅かにでも不安にさせたくないから。そう思っていたはずなのに、実際にそんな姿を晒してしまえば今まで肩肘張っていた疲れもあったせいか、妙に気が楽になってしまいアレルはこんなのも悪くないかもと思わされてしまった。
それでも、このまま甘えたままでいる事は、ここまで何とかやって来た自分自身が許さない。だから今だけだと、こうしてうたた寝している間だけは安らぎに身を任して、目が覚めたなら再びこれまで以上に気を引き直そうとアレルは保っていた僅かな意識も手放した。
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「アレル? ······アレル〜、ねえ?」
起こさない様に、小声で語り掛けても目の前のアレルから返事はない。本当に寝てしまったのだと、アリシアは気を付けてタオルをアレルの頭から離すと、自分はそのタオルを簡単に畳んでアレルの正面へと回ってアレルの顔を覗き込む。
そうして、乱れた髪を手櫛で決して起こさない様に慎重に整えると、アリシアはまじまじとアレルの寝顔を眺め始める。今まで、何度かアレルの寝顔を見ているアリシアだったが、今程油断した寝顔を見た事は無く年相応の少年っぽさを僅かに残した寝顔に心底安堵してしまう。
(人の気持ちも知らないで、本当にバカなんだから······)
ハッキリとした瞬間までは判らない。それでも、近頃アレルが自身を追い詰めるみたいな気持ちでいた事には気付いていた。余裕なんて無く、次から次へと様々な事が変化していく中で、それを自分達へは悟らせない様に必死になっている姿は落ち着いてなんて見ていられなかったとアリシアは頬を少し膨らませる。
「······アレルのバカ。バカ、バカ······バ〜カ」
何度口にしても、呑気に寝ているアレルが起きる気配はない。そんな様子から、今日だって雨の中で一人だけ濡れて相当疲れていたのだろうという事が判る。
それにも関わらず、アレルはこの先に待ち受けている障害に対する対策なんかも考えたり、少しでも強くなろうと空き時間に努力しているのもアリシアは見ている。アレルは、届いて欲しい所に届いていないなんて口にしていたが、見ず知らずの人間だった自分達にそこまでやってくれているなら充分だとアリシアは思う。
寧ろ、自分が巻き込んだ側なのに、そんなアレルに何も返してあげられていない事にアリシアは申し訳なさしか感じていない。でも、アレルにはそうして施されてばかりの方の気持ちも少しは解って欲しいという不満も抱く。
(時々、助けられてるとか救われているなんて言ってくれるけど、こっちに実感がなければ返せてないのと同じなんだよ。まったく、そういうのちゃんと解ってくれてるのかな? ······なんか、寝顔をみていたら少しムカッてしてきちゃった)
そう思い、アリシアは徐ろに寝ているアレルの鼻を摘んでしまう。しかし、僅かにアレルが苦しそうに表情を歪めたので、アリシアは直ぐにその手を離す。すると、アレルは再び穏やかな表情に戻る。
それに、起きなくて良かったとホッとするアリシアだったが、そこへローブの裾から瑠璃が飛び出してくる。
「ルリちゃん?」
アリシアが声を掛けると、瑠璃はアレルの顔の前でまるで両腕を広げてアレルを庇うみたいに羽をパタパタと動かしながら、アリシアの方を向いて浮遊する。
「あっ、ルリちゃんゴメンね。もうしないから、戻ってくれる?」
そう言うと、瑠璃は軽く上下に動いた後でローブの下にある小物入れへと戻ってくれる。
「······もう、ルリちゃんにまで心配させてるんだから」
文句を口にしながら、きっとアレルはこれからも自分では無理や無茶をしないなんて出来ないから、自分がしっかりとやり過ぎない様に近くで見ていないととアリシアは強く思う。
そうしないと、アレルは簡単にどこか遠くに行ってしまう気がするからと。
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心地良いまどろみの中、アレルの耳には誰かの話す声が聞こえてくる。一つは聞き覚えのある声で、もう一方はあまり聞いた事のない声だった。
聞き覚えのある声は、普段自分と話している時の様な砕けた話し方でなく、かなり堅い口調でもう一方の声と話している。それは、『彼女』が相手を警戒している時の話し方で、そういう時は自身が盾にならなければとアレルは沈みそうになっていた意識を半ば無理矢理浮上させる。
「あの、そのまま寝かせていると体温が低くなって風邪を引くだけかと思うのですが?」
「いえ、アレルは疲れているはずなので、このまま寝かせてあげたいのですが······」
まだ完全に目覚める前で、声が出せないながらもアレルはソイツならある程度事情を知っているから、そこまで警戒しなくても大丈夫だと伝えようとする。しかし、そんな意思とは裏腹に眠ったままの身体は言うことを聞いてくれない。
「人というのは、眠る時に体温が下がるものなんです。それに、このお客様は服もまだ乾き切っていないので更に体温が奪われます。なので、起こした方がその方の為だと思うのですが?」
「ですが······アレルは、いつも自分ばかり無理をして碌に睡眠も取らない時があるのです。ですから、出来ればこのまま──」
「ああ······それ程までに抵抗するのは、私が帝国人だからですか?」
ミゲルの、アリシアの言葉を遮ったその一言に、ふざけるなと憤りの感情が芽生えたアレルは一気に覚醒する。
「──ッ、ミゲル! 今の一言は取り消せ。テメェの卑下で、俺の連れまで貶めるんじゃねえ!」
「アレルっ!? ゴメンね、起こしちゃった?」
そう口にしながら、アリシアはミゲルから逃げる様に目を覚ましたアレルに駆け寄る。そんなアリシアに、気にするなと掌を向けながらアレルはミゲルを睨みつける。
「······貶めるとは、どういう意味で?」
「解んねえか? テメェは、俺の連れをただ帝国人ってガワしか見てねえだけの連中と同じだって決めつけやがっただろ? それを、ふざけた事しやがってって言ってんだ」
そこで、ミゲルも理解力は高い方だったのだろう。アレルの指摘に、自身も帝国人だからとそれだけで侮蔑の目を向けてくる者達と本質的に同様の行いをしてしまった事に気付き、ハッとした表情を浮かべる。
「······ハァ、帝国人だかなんだか知らねえけど、それで差別する奴も差別されて卑下する奴もどっちも面倒臭え。どっちも、同じ面倒な人間そのものじゃねえか」
ミゲルが解った様なので、そこまで言う必要はなかったが、アリシアを貶された事に対する苛立ちからアレルは余計な事まで口にしてしまう。
ただ、ミゲルには効果覿面過ぎたのか、かなりの動揺が見て取れる。そのせいか、ミゲルは一度落ち着く為にだろうかアレル達へ背中を向ける。
「あの······今夜お出しするスープをお持ちしたんですが、少し冷めてしまったので温め直してきます」
起き抜けで、アレルには確認出来ていなかったが、よく見るとミゲルの手にはマグカップみたいなものがあった。
それに、そういえば身体を暖める物を持ってくるとか言っていたなとアレルは思い出す。なので、その気遣いにだけは礼を言おうとしたアレルだったが、ミゲルは一度も振り返る事なく奥へと引っ込んでしまう。
そうして、その場には再びアレル達だけが残されてしまうのであった。




