一章〜非望〜 五百九十二話 陽だまりの様な暖かさに包まれて
暖炉の前、一人残されたアレルは先程の事を振り返る。関係ない問題と、そうして責任逃れしてしまうのは簡単だ。それでも、こういった個人の意識に関係する問題は、どんなにスッキリしなくても考え続ける事こそ必要だとアレルは考える。
自身は、記憶喪失で多少の先入観が欠如していて差別や偏見に寛容になっている節があるとアレルは感じている。しかし、そうでなければ生きてきた経験上で見聞きしてきたものから受けた先入観が邪魔をして、自らも差別や偏見にまみれた人間になっていたかもしれないと思うと、そういった先入観がどうしても拭えない人の気持ちも解らなくはないと思ってしまう。
(本当に、難しい問題なんだよな。······誰かが、答えを教えてくれるものでもないし)
その上、この世界にはヒト族と亜人種族間で起きた亜人戦争なんてものもあったと聞いている。ヒトだけでなく、様々な種族の存在するラ・アトランディアでは元の世界よりも複雑な問題になっているのかもしれないと、アレルは思うのと同時に自身の気持ちに区切りをつける為にため息を吐く。
「アレル······?」
そこへ、自身を呼ぶ声が耳に届いたアレルは、不意を突かれたせいか驚きのあまり咄嗟にそちらへ顔を向ける。すると、そこにはフードを被ったままで、その手にタオルを持つアリシアの姿があった。
「ア······ンネ?」
「あのね、アレルが濡れたままかもしれないって思って、タオルを持ってきたの。そしたら、店主さんがこっちにいるって教えてくれて」
──ルリもいますよ!
と、瑠璃はアリシアのローブの裾からひょこっと顔だけ出しながら言う。そうして、少しずつ頭が何故ここにという驚きから立ち直ると、アレルは瑠璃が一緒だったのなら大丈夫かと思える様になる。
ただ、それはそれとして一言ぐらいは言っておかねばならないとアレルは苦言を口にする。
「いや······その、助かるしありがとうなんだけど、俺は部屋で待ってる様に言ったよな?」
「えっ······えっとね、それは······アレルが宿の前でくしゃみしていたでしょ? それで、アレルが風邪を引いたりしたら私達も困るから······ね?」
アリシアは、手にしているタオルで身を守る様にしながら言い訳めいた事を口にする。そこへ、瑠璃がアレルに告げ口をしてくる。
──アリシア様は、メリル様に待っている様に言われたのを振り切って、主様が心配だからとこちらに来られたんです。なので、あまり叱らないであげて下さい。
言われて、確かに自身が風邪なんて引こうものなら、この先より厳しくなりかねない状況に不安を抱くのも解るとアレルは思う。それならば、こうして来てしまったのも仕方ないかと、アレルは瑠璃の言葉に従う形でアリシアへ小言を言うのを止める。
「解ったよ、瑠璃がちゃんと警戒もしていたみたいだし、今回だけは大目に見る事にする」
「うんっ! あっ、それじゃあ──」
パァッと、表情を明るくさせたアリシアは、トテテテとアレルの背後へ回るとその頭へタオルを被せてくる。
「──私が拭いてあげるねっ」
「いや、まだ俺は何も······」
そんなアリシアの行動に、戸惑うしかなかったアレルではあったが、どこか優しさを感じる手つきに抵抗する気が無くなってしまう。
前に、メリルにもこうして頭を拭かれた事があったが、ある程度力を入れてしっかりと拭くメリルと比べて、アリシアのそれはふんわりと柔らかい拭き方をしている。それはどこかくすぐったく、でも心地良さも感じられて、暖炉の暖かさも相まってまるで陽だまりにいるかの様な感覚をアレルは味わう。
そのせいなのか、これまでとこれから待ち受けている困難を思い、強張っていた心の奥底までもが解きほぐされていく様な気さえアレルはしていた。
「······ねえアレル、また何か無理したりしてない?」
そこへ、アリシアがそんな隙だらけのアレルへ問い掛けてくる。
「······無理ぐらいするさ。届いて欲しい所に、俺の実力なんてまるで届いていないんだから」
強張りがほぐれたせいか、アレルは普段ならアリシアの前でなんて決して口にしない心情を吐露してしまう。ただ、アリシアの方もそこでは感情的になんてならずに、アレルの頭を拭く手をゆったりとしたものへと変化させる。
「うん······私、なんとなく解ってたよ。アレルの、そういう焦りみたいなの。······でも、そんなアレルを放っておいたら、そのまま遠くに行って帰ってきてくれない気がして······怖かったんだ。だからね、私それが嫌で······アレルに、そんな自己犠牲を良しとする英雄みたくならないでって言ったの」
そんなアリシアの独白に、アレルはアリシアがその言葉を口にした時まるで強くなるなと言ってるみたいだと感じた自身を恥じてしまう。
「ごめんな、こんな馬鹿で」
「うん、アレルがバカなのも私は知ってるから大丈夫だよ。でも、私の方こそゴメンね。その、国境を越えてからって約束だったのに待ち切れなくて」
「別に、それぐらい······こうして、互いに話せる機会が出来たなら逃すのもなんかな」
「うん······ありがと」
ワサワサと、頭を拭いていくアリシアの存在を感じながら、アレルも今度は自分があの時の事を話さなければと決意する。
「あの時······怒鳴ったりしてごめんな。本当、この道中自分の不甲斐なさに打ちのめされてばかりでさ、そこにアリシアからまるで強くなるななんて言われたみたいに勝手に感じて······アリシアに当たっちまった。本当に、ごめんな」
「ううん、私も言い方が悪かったと思うし、言葉も足りなかったって反省してるから」
「なんか、謝ったりばっかだな······俺達」
「うん······でも、悪い事をしたら謝るのは普通だし、そのままになっちゃう方が私は嫌かな」
そうして、話す事がなくなりアレルの頭を拭く音と暖炉の薪が燃える音だがその場に残る。
それでも、気不味い訳ではない不思議と穏やかな時間がゆっくりと流れる。思えば、ここまでの道中これ程までに穏やかな時間を過ごせた事なんてなかったかもしれない。アレルは、そんな心の平穏を感じつつ少しだけ目を閉じる。
すると、自身の頭を拭くアリシアの手もどこかゆったりとしているのを感じ、もしかしたらアリシアも自身が感じている穏やかさを共有しているのかもしれないとアレルは思う。そして、たぶんなのだが既にタオルで拭ける範囲の水分は拭えたはずなのに、未だ続けるアリシアも自身と同じくこの時間が長く続けば良いのに思っているのかもしれないなとアレルは思ってしまう。
(なんか······眠くなってきたな)
あまりにも穏やかに過ぎていく時間に、ミゲルがその内戻って来るという事も忘れアレルはうつらうつらと意識が薄らぐのを感じ始める。
「アレル? 眠いの?」
そこへ、アリシアがその手からアレルの変化を感じ取ったのか話し掛けてくる。
「······少し、な」
「今寝ちゃ駄目だよ。後で、眠れなくなっちゃうから」
「解っ······てる」
「フフッ、なんか今のアレルって小さな子供みたいで可愛いっ」
「······うるせっ」
その、あんまりなアリシアの感想に決して寝てなんてやるものかと、アレルは気を引き締める。しかし、全身で感じる穏やかさに邪魔をされて直ぐに緩まされてしまう。
それでも、偶にはこんな風なのも悪くはないかと、アレルは不意に訪れた穏やかな時間を静かに受け入れるのであった。




