一章〜非望〜 五百九十一話 考えの浅さに打ちのめされて
──場所はミッテドゥルム、時刻は現在へと戻る。
身体が冷えたせいで、くしゃみをしてしまったアレルだが、それだけでは止まらず二度三度と続けてくしゃみが出てしまう。そのせいか、ブルルッと身震いまでしてしまっていると、宿の扉が開かれて声を掛けられる。
「お客様、マスターに言われて冬用の暖炉に火を入れましたので、どうぞ中で濡れた物を乾かして下さい」
「ああ、助かるよ。ありがとう」
そうやって、ミゲルに迎えられてアレルは宿の中へと入る。中は至って普通の宿で、ミゲルはアレルをカウンター横に設けられた玄関広間へと導く。
「どうぞ、こちらへ」
続けて、ミゲルに勧められた暖炉の前に置かれた椅子へアレルは腰掛ける。それから、ミゲルはアレルが手にしていた外套を預かると、近くに用意していたポールハンガーの様な物へアレルの外套を掛けてくれる。
「それでは、何か身体が温まる物をご用意しますので、少しお待ち下さい」
「あっ、ちょっと待ってくれ。連れと、それから支払いはどうした?」
「お連れ様は、マスターがお部屋まで案内しました。それから、支払いはマスターが戻ってきてから対応すると思います」
ミゲルは、最初のどこか棘を感じる対応とは違って、淡々と業務をこなす様を見せてくる。その様子に、アレルは態度が変わる様な事をしたかなと首を傾げる。
「······あの、何か?」
「いや、その······態度の変化に少し戸惑っている」
本音を伝えるか迷ったアレルだったが、そう口にするとミゲルも合点がいったのかあくまで客対応の態度を崩さずに語り始める。
「私は、帝国から逃げてきた帝国人です。肌の色が違う、瞳の色が不気味だと、比較的差別の薄いと言われるルクスタニアにおいても、その様に差別を受ける事もあるんですよ。なので、お客様もそうであるのかと思い込んでしまい······大変失礼しました」
ミゲルは、そう言うと深々と頭を下げる。その様からは、言葉にはしないまでも、自身も他者を決めつけで見てしまった事で自らが嫌っている者達と同様の行いをしてしまったという後悔が感じられる。
そんなミゲルと接して、アレルは元の世界の事を思い出す。差別や偏見に気を使うあまり、寧ろ余計に異物感が強調されてしまっているかの様などこか歪な世界を。
これはアレル個人の考えだが、本当に差別や偏見に悩んでいる人は何も特別扱いをされたい訳ではなく、ただなんて事はない一人の人間として見て欲しいと願っているのではないかと考える。だから、差別を無くしたいからといってそれを第三者が意図的に排除しているなんて指摘するのがどこかズレていて、ましてや集団で糾弾する事なんては間違っている。それに、今まで差別や偏見で苦しんだ人達を救う事は間違ってなんかいないと、それを免罪符に実際に苦しんでいた人達の想いなんて無視して主張を振りかざす······それをアレルはどこか暴力的に感じていて、本当に何とかしたいと願うならその手や耳や目は常に虐げられていた側へ向けられているべきなのではないかと思ってしまう。
理想なのは、誰もが分類化されずに個々人をありまま見てもらえる事なのだと思う。それなのに、わざと問題を大きくしているのは逆に、差別や偏見が持つ隔たりをそのままにしたいからやっている様にすらアレルには思える。加えて、何か理由があって個人的に嫌っているならば、それを無理矢理抑えつける事も差別になるのではないかとアレルは思う。更に言えば、そうした個々人間の好き嫌いにまで介入するなら、それは最早人権の侵害に他ならないのではないかとアレルは考える。
(それでも、それはあくまでも俺個人の考えで、それを誰かに伝える事も押し付ける事も何か違う。だから、俺がここでミゲルに掛けてやれる言葉は無い)
だが、そう思いながらもアレルは頭を下げるミゲルの姿に余計な事を口にしてしまう。
「謝らなくていい、俺は気にしてないから。というより、俺は寧ろ肌や瞳の色の違いなんかより、同じ特徴で言葉も通じるのに話が通じない人間の方が嫌だからな」
「は? それは、どういう······」
「ほら、いるだろ? 人が何を言っても、頑として聞く耳を持たない奴とか、頭ごなしに否定してくる奴とか、そういう話をする時間すら無駄に感じる人間。俺は、そういう奴こそ排除されて欲しいと願ってしまうよ······いけない願望だけどな」
そういう所は先程のミゲルと大差ないだろ、とアレルは自身の呆れた願望に対して肩を竦めながら笑う。すると、ミゲルは顔を上げながら少し戸惑った様な表情を返してくる。
「随分と······おかしな事を言われるのですね。そんな事を口にして、あなたは孤立させられるのが怖くはないんですか?」
「怖くない訳じゃない。それでも、自分の気持ちに嘘をついてまで何とも思っていない誰かを非難したくないだけだ。それに、たった一人でもそんな自分を解ってくれる人がいるなら充分過ぎる程救われる」
「······不思議と、その考えにだけは私にも理解出来る所はあります」
ミゲルは、アレルから視線を外し天井の方を見上げながら、そんな言葉を返してくる。だが、直ぐにミゲルは視線をアレルへ戻してから、改めて訊ねてくる。
「あの、一つだけ訊かせてもらえませんか? あなたは、何故その様な差別や偏見が生まれると思いますか?」
正直、そこまで深くを答える気などアレルには無かった。何故なら、既に他の世界の考えを持ち込むべきではないという自身の信念の様なものを大分曲げてしまっているから。
しかし、問われたからには答えるしかないと、アレルは先程の自制が利かなかった自身を呪う。
「あくまで、俺個人の考えだけど······単純に、怖いからなんじゃないか?」
「怖い?」
「ああ、たぶん未知への恐怖みたいなのに近いんだろうけど、ほら知らない人って何してくるか判らないから警戒するだろ? あれだって、そういう恐怖から来ている行動だろうし、外見的特徴が同じでそれなんだから違えば尚更だ。······それでも、潜在的に孤独は怖いから他者と共にいる事も望むって矛盾も抱えていて、だから安易に外見が違う人達は自分達の敵なんだって見えない境界を作る事で、幾つかの共通点がある人達とは味方なんだと示して安心したい。そういう、恐怖やジレンマ······板挟みの気持ちなんかが元になって差別や偏見が生まれるんじゃないかって、俺は思うよ」
そう、それはどこか動物的な本能に根ざした生存戦略的なもので、個よりも集団でいた方が生き残りやすいという遺伝子レベルでの刷り込みから生じる怖さだ。きっと、集団で生存し続けてきた生き物程、孤独に対する恐怖は強い。
そう感じるアレルは、小さな共同体でさえ未だいじめが無くならないあたり、孤独に対する潜在的恐怖が起因となっている問題はそう簡単に無くならないだろうと思う。
「······恐怖、ですか。理解出来ない他者は怖いが、孤独も怖いから他者を求める想いもあって······それ故に、判り易い敵として差別の対象に······成る程、差別を受けた事のない方の言葉ですね」
ミゲルは、視線を下へ向けて吐き捨てるみたいな言い方でボソッと呟く。
「······別に、それが正解だなんて思ってないさ」
「差別する者達が向けてくる目······あれには、あなたの言う恐怖なんてまるで感じられない。あの目にあるのは、単純な侮蔑の感情だけですよ」
こうなるとは思っていた。やはり、自身の様に実際に差別された事のない者の言葉なんて軽くて届かない事はアレルも解っていた。
それ故に、今のミゲルの言動に自身の考えなど言葉にするんじゃなかったとアレルは後悔する。何の意味もなく、こうしてミゲルを不快にさせるだけで終わってしまったのだからと。
「······それでは、何か温かい物でもご用意しますので、そのまま少しお待ち下さい」
後悔に苛むアレルは、そう言ってその場を去るミゲルの顔を見る事が出来ない。そのせいか、冷えた身体に暖炉の暖かさが妙に染みるのだった。




