一章〜非望〜 五百七十五話 迫りくる影を気にして
街道へ戻り、公国のある西へと進むアレルは、やはりというかなんというか舗装された道は走りやすいと感じる。馬達も、しっかりと蹄鉄を装着している為、意気揚々と馬車を曳いている。
一応、周囲を警戒しているものの、怪しい人物や気配は一つもなく偶にすれ違う人々も軽く挨拶を交わして通り過ぎていく。そんな長閑な雰囲気に、アレルは精神的な疲労の緩和の為に、適度な段階まで警戒の意識を下げていく。本来なら、常時警戒を強めておくべきなのだろうが、万が一戦闘などが発生した場合に疲労した頭では一手遅れる可能性も出てくる。そうなっては、自身は良くともアリシア達にまで被害が及んでしまう事もある為に、アレルは適度に警戒を弱めて疲労を緩和する。
現在、進路はヘッケルから西方面へ進み、ティエルナ・クレイル領方面とリバッジ方面への分岐路へと向かっている。ここでの注意は、セプルスへの道がティエルナ・クレイル領方面の道から分岐する為に、リバッジ方面へ向かったという目撃証言を残さない様にする事だ。例え、この馬車にアリシア達が乗っていなかったとしても、馬車が一台向かったと聞けば僅かな可能性に動く者がいるはずなので、出来るだけ目撃証言は残したくない。
(······このまま、これまでと同様の速度で進めば分岐路までは凡そ二日半。人目につきたくないなら夜に分岐を抜けてしまう事も出来るが、今日野営するとなると明日はどこかへ宿泊する事になる。すると、宿泊した町から半日では最も人目の多い昼に分岐路を抜ける事になってしまう。だから、どこかで日程をずらす必要が出てくるんだよな······)
ただ、日程をずらすにしても、背後からは街道封鎖や検問などでこちらの動きを封じようとすると考えられるセドリックが迫っている。そうなると、日程を後ろにずらすのは悪手となる為にアレルは馬車の進みを早めたいと考える。
(この世界には、ルビー種なんていう元の世界の常識が通じない馬の品種もあるってメッサーが言ってたからな。もし、セドリックがそういう馬に乗って単騎で向かっているなら、あまり猶予も無いって考えられる。まあ、メッサーとジェシカの話を踏まえると、軽装の騎士でないと本来の能力を発揮出来ないって事らしいからその線も薄いだろうけど、一応警戒だけはしておかないとな)
だが、懸念はそれだけではない。ハインリヒの情報では、元黒羽根の拉致に関して三つの班の黒羽根が動いているらしい。
その内の一班は、拉致された元黒羽根の妻子を救出する為に動いているメッサー達で、別の諜報班から妻子が監禁されている場所を突き止めたと報せが行っているとアレルは聞いた。問題は残りの一班で、これが拉致犯の殺害を目的としており、諜報班が拉致犯の拠点を突き止め次第突入する事になるだろう。
そうなれば、拉致犯側が何人で待ち構えているか判らないが、数人は討ち漏らす可能性がある。その討ち漏らした数人が、その後どの様に動くのかでアレルの対応も変えなくてはならなくなる。
まず、それぞれがアリシア殺害の刺客として動く場合、どこで仕掛けられるか予測しづらい為に寝ずの番も必要になるかもしれない。次に、再び黒羽根関係者の拉致に動く場合、それならばアレル達に直接の被害は無い為にこれまでと同様に進む事が出来る。最後、仕事は失敗としてそのまま方々へ逃げ散るという可能性もあるが、希望的観測は危険な為にアレルはこれに関しては考えから外す事にする。
(出来る事なら、こっちが公国に入るまで拠点への襲撃は待って欲しいけれど、向こうだって命が関わる事だからそんな事は言ってられない。それに、犯人側の人数も判らなければ元黒羽根を拉致した目的も推測でしかない。そんな所から考えた可能性なんて、あくまでも想像でしかないって切り捨てられても仕方のないものだ。······そんなもので、警戒し過ぎるのも危険なだけってのも解るんだけどな)
とは言え、警戒無しで進んで万が一その想像でしかなかったものが現実になった場合、危険に晒されるのはアリシア達だ。そんな事を看過出来ない以上、どんなに小さな可能性であっても警戒を怠らない事が必定となる。
しかし、そうして常に警戒し続ける事も精神的な負担が大きい為に、アレルは頭を切り替えて抜ける所では抜かないと最後まで保たないと考える。なので、見通しも良く魔物の心配も無い今だけは一先ず抜くべきだろうと、アレルは深呼吸一つで肩から力を抜くのであった。
そうこうしてる内に、本来なら馬達を休ませる程度には走らせていたのだが、アレルは馬車を停める前に瑠璃へ確認をする。ただ、荷台のアリシア達に要らぬ心配をさせない為に、アレルは精神感知を使って内緒話をする。
(瑠璃、馬達なんだけど大丈夫そうか?)
──えっと······全然余裕、まだまだ走り足りないぜッ! だ、そうです。
それは、瑠璃による誇張なのだろうか? どこか、世紀末的なノリに聞こえる言葉にアレルは言葉を失うが、そもそも瑠璃には少々お茶目な部分がある事を思い出す。なので、きっとそれも思い悩む自身を慮っての事なのだろうと、アレルは口元に笑みを浮かべる。
(おいおい、この馬達はいつの間にそんなヒャッハー的な性格になったんだよ)
──ヒャッハー? は、知りませんが、たった今からだとルリは思いますよ。
フフフと、どこか愉快そうに答える瑠璃に、そういえば昨夜は離れていて構ってもやれてなかったとアレルは思う。
それはそうと、取り敢えず馬達はまだまだ元気な様なので、休憩を挟む事なくこのまま馬車を走らせる事を決める。ただ、ここで休憩を取らなければ昼食まで走り続ける事になりそうなので、アレルは再度瑠璃に訊ねる。
(なあ瑠璃、馬達にこのまま昼食になるまで走らせて大丈夫か訊いてくれるか?)
──はい、少しお待ち下さい。······水と美味い飯を用意してくれれば、と言ってます。
(解った、好きなだけ食わせてやるって伝えてくれ)
──はい。
そうは言っても、この場で新たに何かを買い足す事が出来ない以上代わり映えのしない餌しか用意出来ない。なので、アレルはデザートやおやつ代わりに人参やキャベツなどを付け足そうと考える。
ただ、その一方でやはり馬の話になると千の夜を駆けると聞かされたルビー種の事が気掛かりになる。王都レクスからコルトまでは馬車で四日程らしいが、単騎ならばもっと早いだろうしルビー種なら尚更だ。
コルトからブルックス領までアレル達は二日程掛かり、街道を外れてシープヒルへと赴いた。そこから、更に二日を掛けて街道に戻りヘッケルへと入った訳だが、シープヒルからヘッケルまでは街道を大きく迂回する形だった為に、街道を行っていれば本来は半分の日数で大丈夫だった可能性がある。
そして、現在地から分岐路までは二日半となる訳だが、セドリック派遣の情報を聞いたのが黒羽根達の補給拠点だったので、実際にセドリックが動き出したのはそれよりも前だと考えられる。
(つまり、ルビー種がこっちの馬車の倍の速さで移動出来ると仮定すると、セドリックは既にコルト辺りまで来ていると考えられる。その仮定だと、コルトからヘッケルまで一日半でヘッケルから分岐路までが一日と少しって考えると······ギリギリ躱せるか否かってところか、厳しいな)
──主様? 何の話ですか?
そこへ、瑠璃の言葉が返ってきた事でアレルはうっかり精神感知を切り忘れていた事に気が付く。
(あっ、いや······悪い、精神感知を切らないままで考え事をしてた。気にしないでくれ)
──そうでしたか······でも、主様には何か気になる事がお有りなのですね?
(······まあな)
アレルは、瑠璃に対してだけは誤魔化しても無駄な気がして素直に認める。そんなアレルに対して、どこか気を良くした感じの瑠璃は明るい声を伝えてくる。
──大丈夫です、主様! 主様は、様々なものに愛されているのできっと運も味方してくれますよ!
(そっか、瑠璃がそう言ってくれるなら大丈夫そうだな)
──はいっ!
瑠璃に励まされて、アレルはどこか後ろ向きだったり俯きがちな思考を改めさせられる。しかし、それはそれとして万が一が起こった時の為の考えも用意しなければならないとアレルは思う。
何故なら、何事も起きなければ良いと考えてる時程、ご都合主義な展開になんてなってくれないのだからと。




