一章〜非望〜 五百七十四話 人の心の複雑さ
荷台から降りたアレルは、そのまま御者台へと向かい周囲を警戒しているミリアへ声を掛ける。
「代わる。クリスも、荷台の方に行ってくれ」
「ム······もう良いのか? 私は、もうしばらく掛かると思っていたのだが」
ミリアの言葉は理解出来る。何に時間が掛かると思っていたか、それはきっとアリシアと何か話をしていたらという事なのだと。
しかし、町の近くで何もせずに馬車を停めて置くのは人目について都合が悪い。それならば、少しでも早く馬車を出して街道を走り始めた方が良いとアレルは考える。
「言いたい事は解ってる。それでも、先々の安全を考えて少しでも早くこの場を離れたいんだ。協力してくれ」
「うむ、そういう事ならば致し方ない。だが、後でちゃんと時間は確保しろよ」
「ああ」
アレルが応えると、ミリアはフンッと気に入らなそうではあるものの、即座に御者台から降りて荷台へと向かってくれる。しかし、その言動に対してアレルは、普段はそこまで人の気持ちなんか解る感じのしないミリアがよくアリシアの機微に気付いたなと思う。
──アイツ、他の人の事なんて解らないのに、本当にアリシア様の事だけは良く見てるんですよね······気持ち悪いぐらいに。
そこへ、フードの中の瑠璃もミリアに対して何か思っていたのか、どこか吐き捨てるみたいな言葉を漏らす。
それに関して、以前瑠璃はミリアがアリシアに対して恋愛感情的なものを抱いていると言っていた。ただ、その辺りは小学生男子じゃあるまいし、純粋にアリシアを心配していたからこそ、解る事もあったのだろうとアレルは考える。
なので、一応役割は果たしてくれたミリアの沽券を保ってやる為にも、アレルは瑠璃へ話し掛ける。
(瑠璃、気持ち悪いなんて言うのはあまり良くないぞ。それに、本当に気持ち悪いのはハッキリと拒絶されたのにそれでも無理矢理関わろうとしてきたり、自分の願望や理想を押し付ける奴の事を言うんだ。この人はこうでなければいけないとか、それは本当のあなたの気持ちではないなんて否定したり······それが、自分勝手な幻想を押し付けてるだけって気付きもしないでな)
言いながら、アレルも少し前にその気持ち悪い行為をしていたのを思い出し、気を付けていないと自らもやっている事に気付けない事だからと己を戒める。
──主様、アイツがそれをやっていない保証はないのでは?
そこへ、瑠璃が尚もミリアを疑った一言を伝えてくる。それに、アレルは瑠璃には見えてないだろうけど反射的に首を横に振る。
(それだけはないだろ。ミリアは、あれでかなり高潔な所があるからな。それも、騎士なんて男所帯で······まあ、女性の騎士も中にはいるだろうが、騎士の中にも人としてどうかって奴もいたんだろうな。だからこそ、ミリアは誰よりも騎士らしくいようとし続けて、その結果が今のミリアなんだろ)
──だから、騎士としての在り方に反する様な真似はしないと? 買いかぶり過ぎではありませんか?
(そうでもないさ。瑠璃が言ってた恋愛感情だって、無意識ならば俺に対する嫌悪は騎士として俺のいい加減な所が許せないって事だったんじゃないか? 現に、俺のそういう部分に理解を持てたら当たりは弱くなってきてるからな)
──つまり、奥底では違う事もあるけれど、表面上の騎士としての在り方がそれらを強固に押さえつけているという事なんですか? う〜ん、人の心とは複雑です。
その言葉から、瑠璃も心を感じる事は出来ても、人の心の複雑さは理解し切れていないみたいだった。そういう所は、やはり人嫌いのせいで人と関わる事が少なかった事の弊害なのだろうとアレルは考える。
(まあ、解らないなら学んでいけば良いさ。これからな)
──はい、主様がそう言うのならば、ルリは頑張ります!
「ねえアレル、まだ出発しないの?」
と、そこへ準備が出来たのに待たされている事で痺れを切らしたのか、荷台の中からアリシアが声を掛けてくる。それで、少し話し過ぎたと感じたアレルは直ぐ様返事を返す。
「悪い、直ぐに馬車を出す」
言いながら、アレルは瑠璃との話を切り上げて御者台へと急ぐ。そうして、御者台へ上がるとアレルは装備の位置調整をしながら腰掛け、クロスボウとボルトの残数の確認を行う。
発車前の確認を終えて、手綱を握ったアレルは馬達の背を見ながら不意に思う。
(なあ瑠璃、馬達の疲労具合って判ったりするのか?)
──はい、察知も出来ますし直接訊ねる事も出来ますよ。
(それなら······今日は、馬達がキツイって言い始めるまで走らせようと思うんだけど、瑠璃には馬達からその一言を聞いたら教えて欲しいんだ)
──解りました······あの、今伝えたら最近走ってなかったから丁度いいと、どちらもやる気に満ちてます。
その言葉通りに、二頭の馬はブルルルッと音を漏らして鼻息を荒くしてくる。そんな意気込みに、頼もしさを感じたアレルは口元に僅かな笑みを浮かべる。
(瑠璃、一応無理だけはするなって言っといてくれるか?)
──そう言われると思って、既にルリの方から伝えてあります。
瑠璃は、その有能さを示すみたいに、アレルの思考を先読みした行動を取ってくれる。そんな所に、アレルは瑠璃が自身の秘書の様になっているなと感じて少しだけ笑う。
──主様?
(ごめん、何でもないよ。ありがとな、瑠璃)
──いえ、ルリは主様の役に立つ為にお傍にいますので。
と、増々秘書っぽい一言を返してくる瑠璃に、アレルはどこか元気づけられる。やはり、こうして仲間というか家族というのか、そういう存在が近くにいるのは力になるなとアレルは改めて感じる。
(瑠璃も、何かあったら遠慮なく言ってくれよな)
──はい!
「それじゃ、馬車を出すからな」
アレルは、そうして荷台の中のアリシア達へ発車前に声を掛ける。
「うん」
「こちらは、問題ありません」
「遅いッ!」
アリシアとメリルに、それから今回は待たされてカリカリしていたのか珍しくミリアの文句までが返ってくる。きっと、早く動かすと言ったのに中々動き出さない事にヤキモキしていたのだろうと、アレルはミリアに対して申し訳なく感じる。しかし、そうして改めて共に行動する存在を感じて、アレルは気を引き締め直して手綱を操作する。
ここから先は、気の抜けない状況が連続する事が予想されている。王都からの兵士、元黒羽根拉致犯の動向、セドリックの派遣、そして最後に待ち受ける国境越え。もしかしたら、未だ表出していない問題もあるのかもしれない。
それでも、必ずアリシア達を公国まで送り届けるのだと決意を新たに、アレルは馬車を舗装された街道へと戻した。




