一章〜非望〜 五百六十八話 姉の想いに触れて
何故かは判らない。今のやり取りならば、メリルがそんな表情を自身に向ける理由がないとアレルは思う。
気遣ってくれたメリルに対して、自身はその思いやりを解っていながら不意にした最低な人間だ。それも、断るだけなら他にも言い方があるのにも関わらず、アレルは自ら無理を続けると宣言した様な返しをしている。そんな事をされれば憤るのが普通のはずなのに、向けられたメリルの表情はアレルにとって無理解の結晶だった。
「さあ、もう寝ましょうか? 今日は、もうやる事はありませんよね?」
そこへ、アレルの困惑を無視してメリルがベッドから立ち上がる。
「ああ、後は少し柔軟をしたいけれど······」
「じゃあ、早く済まして下さい。アタシは、ベッド横の灯り以外を消してきますから」
そう言うと、メリルはアレルの頭を拭いていたタオルを手にしたまま浴室へと入っていく。その動きに、油断してメリルに洗濯をさせてしまったとアレルは後悔するも、既に自らやると言っても手遅れだと感じて諦める。
そこで、アレルは大人しく浴室で脱いだ装備などを片付け、その後でロバートから教わった柔軟をやり始める。
(何なんだろうな······モヤモヤって程じゃないけど、スッキリしない)
そんな感情を抱えるアレルは、解らないメリルの事を後回しにして自身の感情の方を先に処理しようとする。
単純に考えれば、その感情は怒られると身構えていた所を肩透かしされたせいで、釈然としないと感じている様に思える。ただ、そうだろうと思い込もうとしても、それでも心の中には引っ掛かりが残っている。それは、まるで喉奥に小さな魚の骨が引っ掛かっている時の様な気持ち悪さで、早々にどうにかしたいと思えるものだった。
そうなると、やはり考えなくてはいけないのは、先程のメリルの表情についてだとアレルは考える。そこでアレルは、状況を加味するから解らなくなるのだと、メリルのあの表情は他の人ならばどんな時に見られるものなのかを考え始める。
(······あれは、憤りよりも不満めいた感じで、困惑というよりも諦念が強めで、何よりどこか包み込む様な優しさがあって······そう、それはまるで言う事を聞かない弟を、それでも見守る姉の様な──)
そこで、カチャリと浴室の扉が開かれる。
「アレルさん、タオルは中に干して置きましたから、明日の朝に忘れないで下さいね」
「あっ、ああ······解ったよ、ありがとう」
そう応えると、丁度というのか間が悪くといえば良いのか、アレルが行っていた柔軟も一通り終わってしまう。一方で、メリルの方はベッドへ近づきながら一つずつ灯りを消していき、ついにはベッドの近くにあるものだけになり部屋の中はより一層薄暗くなる。
「本当に、一つだけだと暗くなってしまいますね」
「ああ、そうだな」
まるで、蝋燭の灯りの様に小さな光源でしかない蛍火石は、伸ばせば手の届く距離にいるメリルの顔ですら判然としない程しか照らさない。そんな風に、互いの顔がよく見えなくなった状況で、アレルはベッドに腰掛けた状態でメリルも向かい合うみたいにベッドへ腰掛ける。
ただ、表情なんて読めないはずなのにメリルは困惑するアレルの表情が見えているかの様に訊ねてくる。
「どうかしましたか?」
「あっ、いや······別に」
反射的に、アレルはメリルからの言葉を拒絶してしまうが、そこで素直に訊けば良かったと後悔する。しかし、アレルの返しに何か含みがあったのを感じ取ったのか、メリルは再度声を掛けてくる。
「あの、何かアタシに訊ききたい事でもあるんですか?」
その言葉に、アレルは自らの疑問を解消するにはここしかないと意を決する。
「えっと、だな······さっき、俺が意固地とも受け取れる反応をしたのに、メリルは言葉では怒ってるみたいな事を口にしたけれど表情の方はそんな事なかったよな? その理由が、解らなくてさ······」
アレルは、始めは言い淀んでしまったものの、一度口にすれば勢いのままに自身の疑問を吐露してしまう。普段ならば、こんな事を直接訊ねるのは憚れるのだろうが、互いの顔が見えないぐらい薄暗い状況がアレルの背中を押していた。
ただ、そんな風に色々と迷っていたアレルに対して、メリルはそんな事ですかとクスッと笑って返してくる。
「それなら、簡単ですよ。確かに、少しイラッとはしましたよ。でも、それがアレルさんだし······意固地な所にはなんだかなとは思っても、きっとこの先も変わらないでいてくれるだろうなっていう安心感もあって······それで、です」
そう言うと、薄暗い中でもハッキリと判るぐらいメリルはニッコリと微笑んでみせる。
その言動に、きっと直して欲しい所や我慢ならない部分もあるのだろうが、自身そのものを受け入れてくれているんだなとアレルは感じた。その事にアレルは、メリルはメリルで拠り所にしてみないかと言った通りに、アリシアとは違った形で自身の居場所になろうとしてくれてるのかもしれないとも思う。
しかし、そうして面食らうアレルに対して、メリルはピッと真っ直ぐに立てた人差し指の先をアレルへ向けてくる。
「で〜もっ、あなたの無茶を許している訳ではないので、誤解しないで下さいねっ」
「うっ······解ってるよ、俺だって控えられるなら控えられる様に努力する。······でも、メリルはそうやって俺の事を受け止めてくれていたんだな」
「何を言ってるんですか? アタシは、あなたが最初にアタシ達を受け入れてくれたから、それを返しているだけですよ」
「へ?」
思ってもいなかった返事に、アレルが言葉を失っているとメリルが良いですかと続ける。
「普通、依頼を受けたからといって自分の所持品を売ってまで旅の資金を用立てる人はいません。こう言うと、あなたは自分で使うお金が無かったからって言うかもしれませんが、それだって傭兵から回収した分があれば充分だったのではありませんか? それに、あなたはアタシ達の事情を踏まえて予定を考えてくれています。あと、危険が迫った時は率先して守ってくれますし、アタシが精神的に参っていれば再び前を向ける様になるまで付き合ってくれたではありませんか。そんな人が、今更受け入れていないなんて口にしても、全くもって全然説得力なんてありませんからね」
「い、いや······だからって、何もそれを返そうとしなくても──」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますねっ」
言葉のブーメランに、アレルはアリシアだけでなくメリルも自身を黙らせる術を身につけつつあるなと感じる。なので、アレルはこの世界で同じ意味になるかは判らないが両手を上げる。
「解った、降参するよ。······まあ、胸のつかえは解消されたから一応ありがとうって言っとくよ」
「そうですか、それなら良かったです。でも、そろそろ寝ましょうか? 明日も、早いんですよね?」
「とは言っても、朝食を食べた後だけどな」
言いながら、アレルは上げていた両手を下ろす。それから、最後に残った灯りを消そうと動くも、先んじて動いていたメリルに止められてしまう。
「アタシが消しますから、アレルさんは先にベッドへ入っていて下さい」
そう口にする頃には、既に灯りを消す寸前にまでなっていたので、アレルは言われた通りに大人しくブーツを脱いでベッドへ横になる。すると、メリルも直ぐに灯りを消してから、静かにメリルのベッドへ横になったみたいだった。
「ありがとな」
「いいえ、本当はあなたが感じている以上にアタシ達の方があなたには感謝しているんですよ。······お休みなさい、アレルさん」
それは、一体どういう意味なのだろうか?
アレルはそう思うも、そこには踏み込まない方が良いのだろうなと感じたので、そのまま眠る事にする。
「ああ、お休みメリル」
何故か、それまではそこまで眠気を感じてはいなかったものの、お休みと口にするとそれまで無視していた疲労が全身に回り始める。その、どこか心地良さも感じる疲労感に覆われながらも、アレルは胸の奥にある安堵を感じつつゆっくりと眠りに落ちるのであった。




