一章〜非望〜 五百六十七話 面倒見の良い姉
アレルは、自らもベッドへ腰掛けると手入れに時間の掛からない使用してない物から取り掛かる。使用さえしてなければ、最早手入れという作業が手慣れてきたアレルにとって、そう時間の掛かるものではなかった。
ただ、それを向かいに腰掛けて見ていたメリルには、アレルのやっている事が興味深かったのか声を掛けてくる。
「あの、今日は剣を取り替えてましたよね? あっちの、馬車に残してある方はやらなくて良いんですか?」
「ん? ああ、長剣は曲がりやすくなってしまったから、俺みたいな素人ではどうしようもないんだよ。一応、手入れ道具の中には砥石みたいなものもあるけれど、それで研ぐにしても上手く刃を作れなければ切れ味も落ちるしさ。だから、あれを使うなら一度どこかの鍛冶屋にでも預けないと駄目かな」
特にダニーが打ったであろう長剣は、折れにくさを重視したものらしく元々曲がりやすく作ってあるみたいだった。確かに、それなら急ぐ旅で鍛冶屋に預けられない期間があっても本来は騙し騙し使えるはずだった。
しかし、アレルはシープヒルで魔神のアンデッドというダニーが想定してなかった相手とも戦った為に、長剣の刀身にかなりの損傷を与えてしまった。それ故に、長剣は武器としての性能を著しく落としてしまい、あえなく交換という憂き目にあってしまった。
「はあ······当たり前ですけど、戦う人にも色々と気を配らないといけない事があるんですね」
そこでメリルは、自身にも何か似た様な事で気を配っている事があるみたいな言い回しを返してくる。少し、それが気になったアレルは手入れを続けながら訊き返してみる。
「やっぱり、そっちも期限切れとか破損とかを気にするのか?」
「ええ、それに医療の場合は衛生的な意味もありますけど、血液などの他者の体液も汚染扱いですからね。細かい所まで気を配らないと、人の命に関わる事ですから」
「成る程、姉さんが細かい所まで注意するのも、その辺が影響しているのかもな」
アレルが、そう言って少しからかうみたいに笑みを浮かべると、対するメリルは僅かに頬を膨らませてくる。
「それは、アレルさんがちゃんとしてくれないから細かい所までアタシが言わないといけなくなるんですけど〜」
「アハハ、悪い悪い」
しかし、メリルをからかい過ぎると後が怖いので、アレルはメリルが冗談に付き合ってくれてる内に謝る。
それから、アレルは使っていないソードクラッシャーとダガーに投げナイフの三本を手早く手入れして、大角牛戦で回収した一本の投げナイフと影狼戦で使用した騎士剣の手入れをしていく。投げナイフの方は、再び回収出来るかも判らないのでそれなりで済ましたアレルだったが、騎士剣の方はそうはいかずに刃こぼれや歪みなどの確認もしておく。
(まあ、見つけた所でどうこう出来る訳ではないんだけど、知ってるのと知らないのでは扱いも少しは変わるからな)
そうは思うものの、アレルが見た限りそういったものは見つからず、騎士剣の方は長剣とは逆に靭性をある程度無視して硬さを重視している様に見える。それはそれで頼もしいのだが、硬い剣は耐久性を超える衝撃を受けると折れたり砕けたりしてしまう。
そういう剣は、力任せに振る事でそういった結果を招きやすくなるので、剣術が未熟な自身にとっては未だ長剣の方が身の丈に合っているのかもしれないとアレルは感じる。
きっと、ダニーはその辺りも考慮した上で長剣を用意してくれたんだろうと思ったアレルは、心の中で長剣を駄目にした事を謝りつつ手入れを終える。それから、騎士剣は壁際に立て掛け他はサイドテーブルに置こうと考えたのだが、篭手が置いてあるので手狭な気がした。なので、アレルはソードクラッシャーとナイフ帯を付けたままの帯剣ベルトを、外套と同様に壁に引っ掛ける。
「それじゃ、今度こそ浴室を使うよ」
アレルは、篭手とダガーが置いてあるサイドテーブルに、身体から外したサイドポシェットを置きながらメリルに話す。そこで、アレルが不意にチラリとメリルの方へ視線を送ると、それに気付いたメリルは少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ちゃ〜んと、耳の裏とかも洗わないと駄目ですよ〜」
「俺は、子供かっ!」
アレルがそう返すと、メリルはクスッと満足そうに笑う。それを見て、どうやらご期待に沿った言葉を返せたらしいとアレルは思う。
しかし、これ以上からかわれたら堪らないとアレルは必要なものを手にして浴室へ逃げる様に駆け込む。中へ入ってから、ハァと一息ついたアレルは、早く済ましてしまおうと着ている物を脱いで汗を流す。
その際に、アレルは洋画くらいでしか見た事がない猫足バスタブを目にする。メリルが満足したのは、こういう物が起因になっているのかなと思いつつ、手早く諸々を済ましたアレルは速やかに着替えや洗濯も済ましてしまう。そうして、浴室から出た所でメリルに声を掛けられる。
「早いですね」
「ああ、軽く流せれば別に良いからな。最悪、寒い時期でなければ川の水とかでも充分だし」
そう言うと、メリルはまるで信じられないものでも見るかの様な、何とも形容し難い表情でアレルを見てくる。ただ、その視線に耐えかねたアレルは、肩を竦めて訂正を試みる。
「一応、言っておくけど······あくまでも、今みたいに他に集中する事がある時だからな。そうじゃなければ、俺だってゆっくり使うさ」
「それ、本当ですか? 本音では、面倒だから早いとかじゃないんですよね?」
「あのなぁ、こんな事で嘘ついて何になるんだよ」
ったく、とアレルは不貞腐れながら手にしていた物を取り敢えずベッドの上に置く。そんなアレルに、向かいのベッドに腰掛けるメリルは何故か手招きをしてくる。
「アレルさん、まだ髪の毛の水気が拭ききれていませんよ」
「いや、別にこれぐらい──」
「アレルさんが風邪をひくと、困るのはアタシ達ですので」
チョイチョイと、言いながら手招きを止めないメリルの圧力に、それを言われてしまうと逆らえないアレルは屈してしまう。そして、いそいそとメリルに近づくと、メリルはアレルの肩に両手を置いてぐっと屈める様に押さえつけアレルが肩に掛けていたタオルを奪い去る。
「はぁい、じっとしてて下さいね」
続けて、メリルは奪ったタオルで屈んだ状態のアレルの頭をゴシゴシと拭き始める。その力加減は絶妙で、まるで頭皮マッサージでも受けてるみたいな心地良さをアレルは感じる。
「······なんか、妙に恥ずいんだが?」
どこか、小さな子供にでも戻ったみたいな絵面に羞恥心を刺激されたアレルは、そんな事を口にして気を紛らわせる。しかし、メリルはそんなアレルの言葉を無視してそのまま手を動かし続ける。
「昔は、こうしてアリシアやミリアの髪を拭いていた時もあったんです。あの娘達、髪が長いですから」
不意に始められた話に、頭を拭かれる感覚が少し鈍った様に感じられたアレルは、メリルに何か思う事があるのではないかと邪推する。
「······やっぱり、離れていると心配か?」
アレルが訊ねると、頭を拭くメリルの手がゴシゴシと力の込められたものに変化する。
「まったくとは言えませんがっ、今は身近に二人よりも危なかっしい人がいるのでっ、そこまで心配にはなりませんよっ」
「アハハ、それはまた面倒なのがいたもんだな」
瞬間、ギリリと惚けるアレルの頭をメリルは両手で締め付けてくる。アレルは、やっぱり不味かったと思うも、メリルは直ぐに力を抜いて仕上げに入ったのかまるで撫でるみたいな優しい力加減に変わる。
「もうっ······あなたは、いつもそうやって人の事ばかりに気を遣って······そんなだから、アタシが心配してるんじゃないですか」
どうやら、メリルもアレルが悪ふざけでメリルが気落ちしない様にした事に気付いたみたいで、そんな言葉をアレルに返してくる。しかし、ここで素直に受け取っては意味がないと、アレルは皮肉で返す。
「そりゃあ、記憶が無い分自分の事に割く気が少なくて済んでるからな」
一瞬、それでピタリとメリルの手が止まるが、直ぐに再び撫でるみたいな動きがは再開される。
「······伝わっているか判りませんが、これでもあなたには感謝してるんですよ。アタシ達三人共、追われる不安で自分の事すら充分に気を回せていなかった所であなたが助けてくれた。そのお陰で、今はアタシ達にも少しは気持ちに余裕があるんです。だから、あまり一人で頑張らないで下さいね」
アリシアには英雄になるなと、そして今メリルには頑張るなと言われる。それに、直近ではミリアもどこか変化が感じられる様になっている。
そこから、アレルはもしかしたら三人がそれぞれに自身の無理を感じ取り、そんな風に全てを一人で背負い込むなと伝えようとしているのかもしれないと考える。しかし、例えそうであったとしても、ここで言われるままに甘えてしまえば今までの事が無駄になる様に感じられるアレルは素直に頷頷く事が出来ない。
「それでも、依頼人に助けられるなんて格好悪いからな、まだ余裕も残っているし······もうしばらくは、続けるよ」
それが、下らない意地なのはアレルにも解っている。それでも、現状を鑑みるに誰かに甘える事で緊張感が緩む事を恐れ、アレルは自らを追い込む選択をする。
ただ、メリルはそれが気に入らないのか、急にアレルの頭をガシガシと乱暴にかき乱す。
「あ〜、もうっ! そう言うと思ってました! そんなに、一人が好きならもう勝手にして下さい。終わりましたからっ」
そう言って、サッとタオルを取ったメリルは最後にアレルの乱れた髪を丁寧に撫でつける。そうして、メリルの手が離れた後で、アレルは顔を上げるのが少し怖くなる。
気遣ってくれたのに、またつまらない意地で怒らせてしまったと、きっとメリルは憤りに染まった表情をしているだろうなと、覚悟してアレルは顔を上げる。
すると、メリルは僅かな憤りと困った様な感じを滲ませつつも、それでも優しげな表情でアレルへ微笑みを向けていた。




