一章〜非望〜 五百六十五話 困難は様々な形に姿を変えて
後始末が杜撰、それが意味するのは残した物から追いついてみせろという元黒羽根を拉致した者から挑戦状だ。つまり、拉致犯は現状を楽しんでいる愉快犯的な一面と、追われる事を楽しめるだけの余裕がある実力者という事が確定してしまった。
その上、まだ聞いていない事にもアレルが危惧する事が含まれている可能性まである。なので、アレルはハインリヒにそれを確かめる質問をする。
「なあ、その妻子が連れ去られた場所ってどこなんだ?」
「ダリアから、馬で一日半程の所らしいな」
「ダリアって、確かセプルスとリバッジからほぼ等距離の東側にある街だったよな?」
「ああ、そうだな」
辺境伯の私邸があるダリア、その位置は国境防衛の観点から国境を隔てる川に架かる二本の橋、そこへ即座に駆けつけられる様に橋のあるセプルスとリバッジのどちらにも近い場所にある事が望ましい。そのダリアは、辺境伯の私邸がある関係上辺境伯の私軍が常駐している為に治安が良いはずだった。
だが、そんなダリアで元黒羽根は拉致されて、その妻子までもが連れ去られてしまった。それも、妻子が連れ去られた場所まで一日半程だと言う。
それが何を意味するのかを理解するアレルは、更に厳しい状況になった事で表情を曇らせる。
「何か、気になる事でも?」
「いや、ハインリヒがここで数日過ごせって言った意味を理解してな······要は、蜂の巣突くから巣を壊されて怒り狂った蜂に出会さない様に、状況が落ち着くまで待てって事だったんだな」
今回の元黒羽根拉致に関して、おそらく実行犯は少なくとも五人はいるはずだ。街中で、三人もの人間を連れ去るのであれば最低限それだけの数は必要だし、最悪の場合もっと多いかもしれない。
そんな連中の拠点を、これから三人の救出の為に襲撃しようというのだ。実行犯側の関係性が判らない以上、劣勢になれば仲間を見捨てて逃げ出す奴もいる可能性があるし、最もあって欲しくないのは元黒羽根を拉致した実力者を取り逃す事だ。それをされると、アレル達は道中でそれに襲われる危険性にも注意を払わなければならなくなる。
つまり、拉致を行った連中の拠点を強襲するあたって、その結果がどう転ぶかによって現状がどう変わるか判らない以上、結果を待ってからの方が危険は回避出来るかもしれないという話だ。しかし、その結果を待っていたら街道封鎖されてしまう可能性もあるので、悠長に時間を使っている余裕も無い。
「······シープヒルなんぞで、道草を食っている場合ではなかったみたいだな」
ロバートを敵視するハインリヒは、シープヒルに滞在していた事を間違いだったと遠回しに指摘してくる。だが、アレルはハインリヒの指摘に首を横に振る。
「いや、聞いた話を総合するに、あのまま俺達が街道を行っていたら王都の兵士にどこかで遭遇していた可能性もあるし、シープヒルに立ち寄ったからこそ俺達の動きを完全に見失った王都側が元黒羽根の拉致なんて強行に出た可能性もある。この後どうなるか判らない以上、過ぎた事の良し悪しなんて判断出来ねえよ」
「それもそうだな。······で、君はどうするんだ? 様子見をするか、それとも進むか」
ハインリヒは、そう言って現状を聞いたアレルに今後の判断を訊ねてくる。そこには、ロバートに対する敵愾心からか、ハインリヒのやはりここでの待機という己の考えの方が正しいという思いが僅かに滲む。
確かに、一時の安全を優先するのであれば、それはきっと正しい判断なのだろう。ただ、その安全と引き換えになるのは、進むべき道を塞がれる事とになってしまう。
だからこそ、アレルは強く思う。時に、自ら危険に飛び込む事でしか切り開く事の出来ない可能性があるのだと。
「それでも、俺は進むよ。確かに、危険かもしれないが足を止めれば八方塞がりになる可能性が高い。それに、昔から言うだろ? 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、ってな」
最後の言葉が、ハインリヒに通じるかは判らない。それでも、アレルは命を捨てる覚悟を持ってこそ初めて開ける活路もあると信じている。
ただ、あくまでも捨てられる命は自分のだけとした上で、それでアリシア達の活路を見出せるなら安いものだとアレルは考える。
「愚かだな。まず、確保すべきは護衛対象の安全で、先の事など安全が確保出来てから考えればいいものを」
きっと、言葉の意味は解っていなかっただろうが、ハインリヒは自らの考えでアレルを否定してくる。それに対して、アレルは不敵な笑みを浮かべる。
「うるせえ、俺は安全よりも連れにはより良い未来を手にする為の可能性を残してやりたいんだよ」
「その為に、自らを差し出すのか······君のそれは、我々よりも騎士のそれに近いな」
「柄じゃねえよ」
嘲笑気味に放たれたハインリヒの皮肉を、アレルは鼻で笑って突っぱねる。すると、ハインリヒは何も言わずにカウンターの内側へと戻っていく。
「まあ、良い。結局のところ、先の事なんてほとんどの人間が知る事など出来ん。だから、結果だけでその選択の正しさを証明してみせろ。私からは、以上だ。でも······そうだな、今夜一晩の安全は保証してやる。君は、明日からに備えてゆっくり休むと良い」
「言われなくとも、ただでさえ疲れていたのに誰かさんのせいで余計に疲れたからな」
アレルは、ハインリヒの言葉に片目を瞑り、やれやれと肩を竦めて返す。
それに、ハインリヒはムスッと不機嫌そうな面をしてシッシッと追い払う様な手の動きでアレルを邪険にする。そのやり取りに、幾年かに及ぶロバートへの嫌悪は拭えなくても、歩み寄りぐらいは出来たかなとアレルは思う。
そうして、追い払われるみたいな形で、アレルはハインリヒからの呼び出しが終わったと感じ部屋へと戻る事にした。
そうして、再び薄暗い廊下を一人で歩きながらアレルは思考を巡らせる。
メッサー達の事、他の二班の黒羽根達、拉致の実行犯にセドリック、それから『蜃気楼』という二人の暗殺者。これから移動するだけでも、それだけ多くの事に気を配りながら進むしかない。その事に辟易しながらも、アレルは次から次へと本当に色々な事が起こりやがるとため息を吐く。
そして、ここからは自らの行動の一つ一つに加えて、待ち受ける様々な事への対処なども、どれか一つでも間違ってしまえば詰みの状況に追い込まれてしまう様な厳しい状態だ。それでも、別にそれら全てと真正面から戦わなくて良いというなら、やり方は無数に存在しているし何よりアレルは一人ではない。アリシア達や瑠璃は勿論、パメラを始めとした商会の関係者なんかも手助けをしてくれる。
(だからこそ、きっとまだ下を向くべき時なんかじゃない)
そう思うアレルは、顔を上げて口元に不敵な笑みを浮かべて歩く。薄暗い廊下で、そんな自らの姿の見え方を想像したアレルは、あまりの怪しさに更に笑みを深くする。
そうして、暗い思考のドツボにはまりそうだったところを、自ら立て直したアレルは表情を明るくさせて部屋へと戻る。ただ、階段を上りきった所である事に気が付いてピタリと足を止めてしまう。
(そういえば、あれ以来マスラオの声を聞いていないな)
心の中で、今まで助けてくれた面々の顔を思い浮かべていた途中、アレルにとってある意味最も身近な協力者の存在を思い出す。しかし、あれだけ何度も声を聞いていたマスラオの声をしばらく聞いていない。
それも、あの気味の悪い声の主が暴走して以来という事を思い出したアレルは、どこか謂れのない不安に駆られてしまう。そのせいか、アレルは自身の中に存在する味方に訊ねるみたいに右手を胸に当てる。
(大丈夫······だよな?)
しかし、これではいけないとアレルは即座に頭を振って嫌な感じのする何かを自身から追い出す。それから、深呼吸を一つ挟んで無理矢理笑みを浮かべ直したアレルは、直ぐ近くの部屋まで歩いてその扉を叩くのであった。




