一章〜非望〜 五百六十四話 推移する状況
本当に、自身の言葉が最後の一押しになったのかは判らない。もしかしたら、ハインリヒの中では既に変わらなければという気持ちがあったのかもしれない。そう思うアレルは、自分が他者に変わるきっかけを与えられたなどとは思い上がらない様に自らを律する。
「ところで、ロバートの奴の理由にディミトリス様が関わっているのは本当なのかね?」
「······まあ、人の事情を本人のいない所でベラベラ喋る真似なんてしたかねえけど、それだけは肯定しといてやる」
アレルは、未だにハインリヒのコロコロ変わる態度に信用が出来ず、ロバートの事を迂闊に口にしないよう警戒し続ける。しかし、そんなアレルの言葉にハインリヒは妙な落ち着きを見せてくる。
「そうか······ならば、ロバートも心の底では商会に対する想いがあったという事なのだな。まったく、判りづらいんだ。あの若造は」
「そこだけには、同意するよ。だけどな、ロバートはディミトリスの事を今でも大切に思っているし、商会への恩義だって忘れちゃいない」
「だろうな······」
と、ハインリヒが瞑目したので、アレルは話はこれで終わりかとその場を離れようとする。
「それじゃ、俺は部屋へ戻らせてもらうけど良いか?」
「いや、待ってくれ。実は、君に伝える事があるんだ」
だったら、そっちを先に話すべきだっただろうとアレルが顔を顰めると、それが伝わったのかハインリヒは居た堪れない表情を浮かべる。
「いや、まあ······その話も、君を侮っていたから話さなくても同じだと思っていたんだ。それというのも、私個人の考えでは君達には数日の間ここで過ごしてもらおうと考えていたからなんだ」
「どういう意味だ?」
「知っているとは思うが、現在一人の元黒羽根が消息不明になっている。と言っても、拉致された可能性が高いと推測したのは君だったか······まあ、良い。ただ、その消えた元黒羽根というのが私の同期でな、簡単に拉致なんてされる奴ではないんだ」
その話から、実戦系の黒羽根であるとアレルが推測するハインリヒがそう評する以上、消えた元黒羽根がそれなりの戦闘力と警戒能力を備えていた事が判る。
「つまり、拉致した人間がいるならソイツはかなりの実力者って言いたいのか?」
「そうだ。それと、今はその件で三つの班が動いている。ついさっき届いた連絡では、昨日君が接触したメッサー率いる妻子の救出班、今回の首謀者を探る諜報班、それと実行犯を殺す為の戦闘班がそれだ。知っての通り、救出班はロバートの教え子がほとんどだが、戦闘班は私の教え子が担当していてな······本当に申し訳ないんだが、送り出す前のやり取りで競争意識を煽ってしまい、その二つの班の間で連携が上手くいってないらしい」
「オイッ」
「いや、本当にすまない。ただ、消息不明になってから既に数日経っている。もしかしたら、アイツの口から君が護衛している方の情報も漏れているかもしれない。なので、漏れたのか漏れていないのか、漏れたのであればどこまでなのかが判らないと増える危険もあるだろう。なので、私はそれが判明するまでの数日間、君達にはここで安全に過ごしてもらおうと考えたんだ」
ハインリヒの言い分は理解出来る。それに、数人の襲撃者が相手ならばここはかなりの安全が保証されている。
それでも、アレルにはハインリヒの考えが安易過ぎて、いくつかの懸念を見過ごしている様に感じられた。
「なあ、それってハインリヒの個人的な考えで、他の誰かの意見は入っていないんだよな?」
「ああ、少し前に受け取った連絡を受けて考えた事だからな」
その返事に、もしかしたらその連絡の前後にアリシア達がここへやって来たのかもしれないとアレルは考える。それ程に、考える時間が無かったのかと思えるぐらい、ハインリヒの提案は安易で杜撰で稚拙だった。
それというのも、ハインリヒの提案には包囲されつつある現状の事が全くと言っていい程に考慮されていない。ただ一点、元黒羽根を拉致したと目される人物の危険性だけに着目した考えに、アレルは迂闊が過ぎるとしか言えない。
なので、アレルはハァとため息を吐いた後で、真っ直ぐにハインリヒの目を見る。
「ハインリヒの考えは解るよ。もし、既にほとんどの情報が渡っていて消えた元黒羽根が殺されていた場合、拉致した奴の矛先がこちらに向いている可能性もあるからな」
「だったら──」
「違う、それじゃ駄目なんだよ。今は、王都からセドリックっていう街道警備に長けた奴がこっちに派遣されてる。だから、数日もここで立ち止まれば連れを逃さない為の街道封鎖が完成してしまう危険がある。そうなったら、こちらは身動きが取れなくなる」
「でも、ここならば身の安全は保証が出来る。それの何がいけないんだ?」
こういう所が、ハインリヒが実戦系の黒羽根である所以なのだろう。謀略といった側面に対する察しが、極端に悪い。
「そもそもが、拉致の一件自体そうしたこちらの足止めを狙った計略の一環って可能性だってある。向こうは、国の実権を握りつつあるんだ。国内にさえ足止め出来てしまえば、二の矢三の矢を放つ事なんて容易に出来てしまう。それに、居場所がバレれば大軍で包囲なんて事も可能だ。だから、どんなに強固な守りがあろうと国内にいる限り、連れに安全なんて保証出来ないんだ」
そこまで話すと、ハインリヒはどこか愕然とした表情でカウンターに片手をついて項垂れてしまう。
「ハハ······君は、そんな状況を解っていながら、アイツを拉致した奴の脅威も残る中をあの方達を連れていくと言うのか?」
「それしかないからな」
「成る程······君という人物を前に、私はようやく本当の意味で身の程を知った様に感じるよ」
などと、ハインリヒは妙に納得してみせるが、アレルは自身が当たり前に行っている事で今までのやり取りが無かったみたいに納得されるのは心外だった。
「あのなぁ······言っとくけど、俺だって色々あった上で腹括ってるだけだからな」
「それでも、私には真似なんて出来ない事だからな。それに、考えを改めたのはあくまで君の必要性に対してであって、ロバートや君に対する敵愾心までは消えていない」
クソ面倒なオッサンだなと、ハインリヒの屁理屈を聞いたアレルは思う。ただ、未だにハインリヒの言う伝えたい事を聞いていない事に気付いたアレルは、いい加減にと本題を切り出す。
「それで、いい加減伝えたい事ってのを話してくれないか?」
「ああ、そうだったな。······さっきも口にしたと思うが、君が訪れる前に諜報班から一報があってな。消息不明のアイツの妻子、それが連れ去られた先が特定出来たらしい」
「本当か?」
アレルの確認に、ハインリヒは静かに頷いて返す。
「まあ、肝心のアイツの監禁場所はまだみたいだがな。ただ、それも痕跡の後始末が杜撰だったらしくてな、監禁場所の特定もそう遠くはないだろうとの事だ」
本来なら、その一報は喜ばしい事に違いなかった。しかし、アレルにとっては齎された情報から予想される事に対して、一抹の不安を感じるのであった。




