一章〜非望〜 五百五十五話 町に入る前に
ヘッケル手前、町からは暗くて馬車が停まっているかすら見えない程の距離で、アレルは馬車を道から外して停車させる。それから、アレルは速やかに御者台から降り馬車の後方へ回ってから荷台へ上がる。
「ヘッケルに着いた。それで、ここからの事について少し話しておきたいんだけど、その前にアンネとクリスは財布とかは持っているのか?」
「うん、あるよ」
「それが、どうかしたのか?」
素直に返答してくれるアリシアと、どんな意図があるのか訊き返すミリア、そんな二人にアレルは自身の所持金から金貨一枚と銀貨十五枚を合わせてそれぞれに差し出す。
「手持ちがどれだけあるかは判らない。それでも、何かあった時の為に二人にもある程度、贅沢しても数日は余裕で暮らせる金額を渡しておく。今夜の宿代なんかも、ここから出してくれ」
暗い荷台の中を石灯の明瞭な明かりが照らす中、僅かな緊張感と共に沈黙が訪れる。
それは、貨幣を裸で手渡す無作法からか、それともアレルの発言の不穏当さからなのかは判らない。それでも、確実に場の空気は重くなりつつあった。
「あのアレルさん、それならアタシから二人に渡すのでアレルさんのものは別に──」
「いや、正直な話をするとメリルの所持金も減らしたくないってのがあるんだ。それというのも、ここからは街道に沿って進む事になるから当然追手の危険性は高まる。だから、別れて行動してる時に合流が出来ない状況になる事も考えられる。そうなった場合に、一人でも数日の間はどうにかなる様にってね。······ほら、どんな時も金さえあれば何とかなるって言うだろ?」
アレルは、沈黙を破って疑問を口にしてきたメリルの不安を感じ取り、敢えて最後に余計な一言を付け加える。それには、言葉を遮られたメリルではなくアリシアが代わりに言葉を返してくる。
「でも、そうなった時はアレルが何とかしてくれるんだよね?」
「ああ、任せろ──って、言いたいのは山々なんだが、それがどんな状況になってるか判らないから何とも言えない。最悪、バラバラのまま一人一人で目的地へ向かってもらう事になるかもしれない」
可能性を包み隠さず話すアレルに、それを聞くアリシア達もいつもとは違う緊張感を感じ取っているのか、何か返そうとしても言葉を詰まらせてしまっている。
それを目にしたアレルは、そのまま考えている対抗策を口にしていく。
「でも、そんな状況になっても一人ずつ俺が迎えに行くから、合流が難しい状況だと判断した場合は一人でも目的地へ向かってくれ。ここにいる皆の気配は、瑠璃がちゃんと感知してくれる。そんな瑠璃は、基本的にアンネと一緒にいてもらうけど、そうなれば俺とアンネの合流が一番早く出来る事になる。まあ、瑠璃とアンネが離れ離れになっていても、俺が瑠璃と合流次第アンネ、イバレラ、クリスの順で迎えに行くから」
──はい、皆様の気配ならかなり遠くまで追えるので、ルリにお任せ下さい!
そこで、アレルの言葉を一押しする為なのか、フードの中にいた瑠璃がパッとアレル達の前に出てくる。そんな瑠璃に、アレルは軽く微笑みながら瑠璃の言葉をアリシア達に伝える。
「瑠璃も、ここにいる皆なら遠くまで気配を追えるから安心してくれって言ってる」
「ねえ······アレルは、これから本当にそんな事になると思って備えようとしているの?」
しかし、そう口にするアレルへ、アリシアがその右手で胸の辺りを触れながら訊ねてくる。加えて、メリルも視線だけでどうなんですかと、アリシアに同調するみたいな反応を返してくる。
それに、アレルはどう返すかを悩むものの、変に不安を煽るのも良くないと判断する。
「正直に言えば、なるとは思ってないし、ならなければ良いなとは思ってる。それでも、万が一億が一にでもそうなった時に備えが無いのが一番怖い。だからだよ」
その言葉に、アリシアも納得はしたのか胸に触れていた右手を静かに下ろす。そこへ、黙っていたミリアが肘から先だけで挙手をする。
「一つ良いか? お前は、私達の目的地を知っているのか?」
「ああ、アンネから聞いてる。ただ、この場では具体的な名前を出せないのも解るよな?」
「フンッ!」
当然だと言わんばかりに、ミリアは鼻を鳴らして顔を背けてしまう。それを見て、アレルは時間もない事だし、これで込み入った話は終わりだと切り上げる。
「それじゃ、ヘッケルの門を閉められると中へ入るのが面倒になるだろ? そろそろ、別れて町に向かおうか」
アレルがそう言うと、アレルの近くを浮遊していた瑠璃がアリシアの方へ飛んでいき、アリシアはそれを両手を差し出して受け止める。
「よろしくね、ルリちゃん」
「瑠璃の事、頼んだ」
「うん、任せて」
ニコッと、瑠璃の事を任されたと思っているアリシアは笑顔で応えてくれる。
しかし──。
(瑠璃、アリシアとミリアの事をちゃんと守ってやってくれよ)
──はい、アリシア様の事は勿論です! が、アイツは気が向いたら手を貸してやります。
と、本心では目を離す事が不安なアリシアとミリアを瑠璃に任せる形で、アレルは自身を落ち着かせる。
それから、アレルは自身の荷物を手にすると、続いてメリルも纏めていた荷物を持ってローブのフードを被る。それを見て、アレルはメリルに関してはフードを被る必要はないんだけどなと思いつつも、それでメリルが落ち着くなら良いかと好きにさせる。
「おいアレル、それで私達は姉さん達が町に入るまで待っていれば良いのか?」
そこへ、訊ねる機会を伺っていたのか、ミリアが最終的な確認をしてくる。
「いや、さっきも言ったけど門が閉まる前に町へ入った方が良いから、アンネ達は先に町へ入ってくれ」
「ねえ、それだと宿はどうするの? アレルが決めて、私達がその後に同じ宿を取るんじゃなかったの?」
「ああ、それか······」
アリシアに言われて、すっかり失念していた事をアレルは思い出す。宿は、可能な限り安全なクリムエーラに関わりのある所が望ましいが、アリシア達ではその事が判らないし説明している時間も惜しい。
なので、アレルは苦肉の策で対処する事にした。
「あのさ、それなんだけどロバートに聞いた話では宿の名前に鳥って入ってるか、看板の方に羽根の意匠が入ってる宿が安全らしいんだ。だから、先にそういう宿を探して入ってくれ。もし、不安なら瑠璃に確認も取ってさ」
「鳥と羽根ね、うん解った」
その説明で、納得してくれた様子のアリシアを見て、これなら問題ないとアレルは思う。しかし、言い訳に利用してしまったロバートに対しては心の中で謝罪だけしておく。
ただ、そうしていると本当にヘッケルの門が閉まってしまう為に、アレルは今度こそ馬車を降りようとアリシアへ背を向ける。
「じゃあイバレラ、行こうか?」
「あっ、はい」
そうして、メリルと二人で馬車を降りようと荷台の幌をアレルは捲る。だが、そんなアレルの背中に声が掛けられる。
「アレル! ······また、明日ね」
その声に、アレルが首だけで振り返ると、アリシアがどこか無理してるみたいな笑顔を浮かべて胸の前で小さく手を振っていた。
アレルは、そんな僅かな不安を打ち消せる様に不敵な笑みを返す。
「ああ、また明日な」
それだけ言い残し、アレルはメリルを伴って馬車から降りるのであった。




