一章〜非望〜 五百四十二話 不和を残した中での急襲
そうして、瑠璃のお陰で少しは鬱屈した気分が晴れたものの、アリシアとミリアに対して後ろめたい気持ちがあるアレルは次の瞬間には気が重くなってしまう。ただ、そのままではいけないと自身を奮い立たせて、アレルは三人に聞こえる様に声を張る。
「それじゃ、出発するけど準備は良いか?」
すると、馬車の近くで各々好きにしていたアリシア達が馬車の後方へと集まってくる。しかし、最初に姿を現したアリシアは依然としてアレルから顔を背け、その後ろから付いてきた様子のミリアは逆にアレルを睨み付けてくる。
その中にあって、唯一遅れて来たメリルだけがアレルへ笑みを向けてくれる。
「お待たせしました。あの、今日はアタシも荷台で良いんでしょうか?」
「ああ、好きにしてくれ」
アレルはそれだけ言うと、他には何も言わずに御者台へ足を向ける。それが、あまり良くないというのは解っている。解ってはいるが、何を言えば良いのか判らない上に口も重くて何も言葉が出てきてくれない。
こんな時ですらこんななのだから、記憶を失う前も言葉足らずで誰かを苛つかせていたのだろうとアレルは思う。どうでもいい時や調子が良い時ばかり、スラスラと言葉が出てくるのに本当に必要な時には謝罪の一つも出てきやしない。そんな自分に、アレルは嫌悪感を募らせる。
それでも、今はそんな感情なんて後回しにして出来る事をしなければと、アレルは御者台へ腰掛ける。長剣などの位置を調節し、それからクロスボウの確認も済ませた上で手綱を握る。
「それじゃ、出すけど全員乗ってるか?」
「はい、大丈夫です」
幌の隙間から、聞こえたのはメリルの声だけでアリシアとミリアがどんな様子かは判らない。しかし、メリルが大丈夫と返すなら二人共大丈夫なのだろうとアレルは判断する。そうして、アレルは馬達に今日もよろしくなと小さく呟きながら馬車をゆっくりと動かし始める。
すると、それに合わせて拠点に残された黒羽根が、門扉の開閉の為に速やかに動いてくれる。
「どうぞ、お気を付けて」
「ああ、世話になった。ありがとう」
それだけの言葉を交わして、アレルは黒羽根達の補給拠点を後にした。
付近には、来る時に道案内をしてくれた狼の姿もなく、木々も生えてはいるが見通しが悪いと感じる程ではない平坦な道が続く。その光景から、土地の高低差まではどうにか出来ずとも、ある程度は旧道周りを整えて使っている事が伺える。
そんな道を通って、アレルは今日中にヘッケルまで行ってしまいたいと考えている。それというのも、いくら辺境伯が時間稼ぎをしてくれているとはいえ限界はあるだろうし、王都からはセドリックなんて面倒そうな奴が派遣されるなんていう話もある。
その為、アレルは可能な限り予定を早めてリバッジまで行ってしまいたいと考える。そんな、アレルの焦りを手綱から感じ取っているのか、それとも瑠璃が馬達へ伝えているのかは判らないが、馬達もいつもより足早で馬車を曳いてくれている。アレルは、そうやって頑張ってくれてる馬達に感謝しながらも、黒羽根の拠点からヘッケルまでの道程の内およそ三割程に差し掛かった辺りで妙な気配を感じ取る。
──主様、魔物の気配が近いです!
(ああ、解った)
そこで、瑠璃からも警戒を促されて確信を持ったアレルは、真後ろの幌を捲って声を掛ける。
「クリスッ、魔物の気配が近いから御者台を代わる準備をしててくれ! 場合によっては、俺が降りて戦う」
「はあ? 貴様は、何を言っているんだ!? 走行中の馬車から、どうやって降りるつもりだ?」
「うるせえ! まだ、どんな魔物かも判らないんだ。馬車で振り切れないなら、誰かがやるしかないだろうがッ」
言いながら、アレルはクロスボウを手にしてどうにかボルトを番える。その次の瞬間──。
──主様、右斜め前方木の影から来ます!
ドドドッドドドッと、馬達の蹄の音よりも鈍い音を響かせながら、木の影から姿を現したのは巨大な角をその頭から生やした赤黒い体毛の雄牛だった。
「······チッ」
足は馬達に比べれば遅いものの、引き離せるかといえば微妙なところなのでアレル舌打ちをしながら、手綱を握ったままの左手の前腕にクロスボウを乗せて狙いを定める。そして、雄牛の額に当たる様にしてボルトを発射する。
発射されたボルトは、真っ直ぐに雄牛へと向かうが揺れる馬車からの上に相手も動いているせいか、狙いが逸れて巨大な角にカキンと弾かれてしまう。
「クソッ!」
──主様、あれは大角牛です。角が大きい為に、そこまで速くは走れませんがその分力が強いんです。もし、万が一追いつかれた場合は、馬車をひっくり返されてしまうかもしれません。
旧道は、結構曲がりくねった道が続く場所もある為、瑠璃の説明を聞いたアレルは場所によっては大角牛に体当たりされるかもしれないと考える。そうなった場合、アリシア達が怪我をする可能性もあるし、馬車が壊されてしまえば移動が困難になりリバッジへ着くのもかなり遅くなってしまう。
なので、ここでのアレルの判断は早かった。
(瑠璃、一応馬車の中に入ってアリシア達に付いててくれ。それで、アイツ以外に魔物の接近があれば伝えてやってくれ)
──はい、主様もお気を付けて下さい。
精神感知で繋がっている為か、瑠璃はアレルの考えを察して速やかにアレルのフードから這い出て幌の隙間から荷台へと行ってくれる。
次に、アレルは手にしていたクロスボウを元の位置に戻した後でミリアへ声を掛ける。
「クリス、御者台は任したからな!」
その声に、ミリアは荷台からその身を乗り出して御者台の背もたれを跨いで出てくる。
「おいッ! だから、いくら魔物とはいえそこまでする必要は──」
「大角牛っていう奴で、馬車がひっくり返される可能性がある。それに、追い越した今は後方から付いてきている形だけど、ここの曲がりくねった道筋では道なんて関係ないアイツに追いつかれる可能性もある。あとは、自分で考えろッ」
「あっ、オイッ!」
伝える事を伝えたアレルは、御者台の端から転がり落ちる様にして、車輪に巻き込まれない程度に離れて転がり落ちる。そうして、落車の勢いを殺しながら程よい感じの所でアレルは転がる勢いを利用して立ち上がる。
そこへ、大角牛が突進をしてくる。しかし、立ち上がると共に長剣を抜いていたアレルは、剣を横に構えて角に合わせる。それを、挑発と受け取ったのか、大角牛はアレルが構えた剣へ真っ直ぐに突っ込んでくる。
──ガキィィン!
と、凄まじい音が響くもアレルは大角牛に押される形で後方へ幾らか引き摺られるだけで済んでいた。それというのも、アレルは敢えて下肢を踏ん張る事はせずに脱力して、剣で角を受けるのと同時に僅かに足を浮かせていた。
そうする事で、大角牛よりも軽いアレルは衝撃を受け流して、ただその勢いに押されるだけに留められた。しかし、次の瞬間にアレルは頭を上下させた大角牛に上空へと放り投げられる。
ただ、それもアレルは慌てずにロバートから教わった重心移動を駆使して、くるりと空中で身体を翻すと大角牛の後方へ着地する。先程の受け流しといい、この重心移動を利用した着地といい、本当にロバート様々だなとアレルは思う。
(さて······これで、馬車からは引き離せたけど少し面倒そうな相手だな)
大角牛に長剣の切っ先を向けながら、アレルは彼我の戦力を分析する。
最初の突進を受けた感じから、単純な力では比べるべくもなく太刀打ちなど出来はしない。そして、防御の面でも角での攻撃を何度も受けていては剣の方が保たないだろう。つまり、取るべき戦法は攻撃を避けながら相手の急所を狙う事だとアレルは考える。
そうして、長剣を構え直すアレルに対して、大角牛は土を蹴りながらブルルッと鼻を鳴らしアレルを威嚇してくるのであった。




