一章〜非望〜 五百三十六話 無意識下の怯え
何故、そんな事をしてしまうのか?
アレルは、片足を引いた時点で自身の行動に気付いて驚愕する。今まで、こんな風な反応をする事なんて無かった。それなのに、どうしてと考えたところで原因らしきものが二つ程思い当たる。
一つは、アリシアに対して話をしている途中で恫喝してしまった事。あの時、ただ手を伸ばしただけなのにアリシアを怯えさせてしまった事が、アレルの内側で再び同じ事を繰り返してしまうのではないかという恐怖になっている。
そして、もう一つはエメラダという少女が出てくる夢の事。あの夢で、最後に少年は抑えきれない怒りの果てに周囲を消し去ってしまった。アレルは、もしあの少年が暴走したアマデウスだとしたらと考えると、あの時ロバートの前で急遽始まった暴走が行き着くところまで行っていたらシープヒルを消し去っていたかもしれない可能性に気付いてしまった。
そのどちらにしても、自身が傍にいる事自体がアリシアに危険や不利益を及ぼすかもしれやい。その事が、アレルは何故か堪らなく嫌だった。
「ねえアレル、ルリちゃんは後ろ?」
「えっ? あ、ああ······いつも通りフードの中にいるよ」
トコトコと、短い歩幅で近づいてきたアリシアに、不意を突かれたアレルは思わず声を上擦らせてしまう。それを不審に思われない様に、アレルは直ぐ様調子が悪そうに咳払いをして誤魔化す。
しかし、調子が悪いのを装ったのが逆に良くなかったのか、アリシアに心配させてしまったみたいで更なる接近を許してしまう。
「アレル? 体調良くないの? 大丈夫?」
「ああ、平気平気······少し、喉が乾燥してただけだから、水でも飲めば大丈夫だから」
言いながら、アレルは二歩程後退しつつ両手の掌をアリシアへ向けて左右に振る。そして、そのままの流れでアレルはアリシアを避けたまま馬車の荷台の方へ足を向ける。
「それじゃあ、水を飲むついでに朝食の準備もするから、さ。······少し、待っててくれ」
「······うん」
だが、アリシアもそんなアレルの様子のおかしさを察したのか、どこか萎んでいくみたいに小さな返事を返してくる。その反応が、更にアレルの不甲斐なさを加速させるも、今のアレルではどうしようもないのでそのまま逃げる様に、木箱に置いた篭手を持ってから荷台へと上がった。
(許容値が限界越え始めてんのか、俺······)
正直なところ、一人では処理しきれない程の様々な事が、アレルの身近に同時多発的に噴出している。
自身の記憶喪失に始まり、アリシア達の事、追手や暗殺者等の敵勢力の動き、クーデター関連の背後関係、アマデウスの能力と副作用、サリーという源氏名を使うテレサの事等など。他にも、挙げれば切りがない程だが、それらを国境越えという難所をどう越えるかという事まで考えながら適宜処理や情報の更新を行っている。
もう、いい加減ボロが出る前に手を引くべきではないのかと考えるも、退きたくはないという拒否の意思だけはアレルの中にしっかりと存在している。そうなると、アレルに残された手段はこれまでと同様に、不格好ながらもだましだましやっていく方法しかない。
(つくづく、ままならないな)
はぁ〜っと、深いため息を吐くとフードの中にいる瑠璃が話し掛けてくる。
──主様、やはりお疲れなのですか?
瑠璃にしては、随分と遠回し的な訊き方をしてくるなとアレルは思うものの、瑠璃も瑠璃で昨夜寝ていた事を気にしているのかもしれないと思い直す。
(平気だよ、これでも結構寝られた方だから)
アレルは、手の届く範囲程の軽い感知を使って瑠璃へ返事を返す。しかし、わざわざ感知を使った事でアレルが何かを隠している事に気付いた様子の瑠璃は、フードから出て来てパタパタとアレルの顔の前にやって来る。
──あの、瑠璃の寝ている間に、アリシア様と何かありましたか?
正確に話すのであれば、何も無かったとは言い難い。ただ、それはきっかけに過ぎずどちらかといえば問題があるのは、アレル自身の気の持ちようの方にある。
だが、それをここで瑠璃に話すのもどこかバツが悪く、それにアレルは朝食を作らなければならないので話すにしても後でにして欲しかった。
(悪い、今は話す時間がないから夢見が悪かったって事にしておいてくれないか?)
──······はい、解りました。あの、ルリはいつも主様の味方なので何でも遠慮なく話して下さい。
と、瑠璃はアレルの口振りから色々と察した様子で、それでも追求などはせずにアレルが話せる様になるまで待ってくれるみたいな意図を含めてくる。
アレルは、瑠璃のそういう所にはいつも救われているなと思いつつも、いつまでも甘えている訳にもいかないよなとも思う。
(ありがとな、瑠璃)
そうして、アレルは感謝を伝えると頭を切り替えて、篭手を適当な所へ置いてから朝食の準備に取り掛かる。
まず、主食となる物だがバゲットと黒パン、それからパスタに米と小麦粉がある。日持ちを考えると、バゲットが一日から二日、黒パンの方が三日から四日と他に比べ足が早い。しかし、どちらも残り一食分ぐらいなのでバゲットを今日中に食べれば問題ないとアレルは考える。そして、そのバゲットだが出来るなら火を使えない昼に回したいので、朝食では使えない。
次に、小麦粉だがこちらは生地を寝かせる必要がある物は朝食には作れない。その代わりに、色々と応用がきく食材ではあるが、元の世界での調味料や顆粒だしの様なものかない現状ではアレルの手に余る。それは、米の方にも言える事かもしれない。
(そうなると、朝はパスタにでもするかな)
そこで、問題になるのが昨夜も考えた下茹での水問題なのだが、今にして思えばパスタの茹で汁ならば塩気ととろみがあるのでスープへと応用が出来そうな事にアレルは気が付く。そうと決まれば、とろみがあっても気にならない玉子スープあたりが妥当だろうと方針が決まっていく。
次に、パスタと和えるソースだが、これも昼に食べる予定のバゲットとも食べられるものが良いとアレルは考える。
(それなら、作り方もそれ程難しくないやつにするか)
そこで、アレルは朝食で作るものが決まったので食材を手にし始める。
オリーブ油に、鷹の爪とにんにく、それからシープヒルでロバートが補充してくれた塩漬けにされた淡水魚。あとは、各種野菜にパスタを手に取り、卵に関しては一度卵が入る程度の小さな器に注いだ水の中へ入れる。すると、一個目は水に沈んだのだが二個目が水に浮いてしまったので、二個目は食べられないと判断して捨てる事にした。
そうなると、それで調べると直ぐに使うしかなくなるのだが鮮度が落ちたものが一つあった事で不安に駆られて、アレルは残りの卵も調べてしまう。結果、四つの内一つが水に浮いたので、大丈夫だった三つの卵も過剰ではあるがスープへ入れる事にした。
そうして、必要な食材を手にしたアレルは、野菜を切ったりなどの下拵えを荷台の中で行い、その最後に瑠璃の蜂蜜水をここで作ってしまう。それから、アレルは何度かに分けて必要な調理器具や水と食材を焚き火の所へ運ぶのであった。




