一章〜非望〜 五百三十四話 記憶がなくとも残るもの
ビットーリオ配下の街道監視の動き、元黒羽根の拉致、それから国境付近にいる王都の兵士。既に、出来る事は行っているはずだし、辺境伯やメッサー達もそれぞれで動いてくれている。それでも、アレルは他に出来る事や用意するものはないかと、本当に今考えている事で足りるのかと再考したり、頭の中をグルグルと様々な考えを巡らせる。
そんな中で、やはり一番の不安要素が自身の能力の低さにあるとアレルは感じてしまう。野盗や傭兵程度なら何とかなる。しかし、本当の実力者や格上の相手の場合、アレルの頼みの綱はマスラオ達アマデウスの能力だけとなってしまう。ただそれも、現在では二百年前の討伐者なのではないかと目される存在の暴走により、迂闊には当てに出来ない状況にある。
(それでも、どうにかしないとッ······)
刻々と変わりゆく状況に、気持ちばかりが焦ってしまうアレルは歯噛みする。だがしかし、そんな自分を律する冷静さも残っていて、こんな風に感情を揺らしていては大事なものを失う結果になりかねないと一旦気持ちを落ち着かせる。
そんなアレルは、結局のところ自信がないのがそもそもの原因になっているんだなと、自己嫌悪の果てに心底呆れてしまう。
「随分と、長く話し込んでいたな。何かあったのか?」
そうこうしている内に、いつの間にか焚き火の前まで来ていたアレルは、木箱に座っているミリアに声を掛けられる。
気付いた途端、アレルは内心動揺するも、それをおくびにも出さず普通に答えてみせる。
「別に、何もないよ。単に、世間話をしていただけだ」
「うむ、ならば良い」
そう口にするのと同時に、木箱から立ち上がったミリアは、どうだと言わんばかりに外套を捲ってその腰回りをアレルへ見せてくる。
確かに、先程渡されたコルセットを身に着けただけあって、締められていたベルトが緩められて女性的な腰回りには見えなくなっている。その効果の程は、ミリアでもここまでになるのは流石のクリムエーラ製かとアレルは舌を巻く。
「それで、ちゃんと動けるかの確認もしたのか?」
「勿論だ!」
フフンと、どこか自慢げなミリアを見て、アレルは褒めてでも欲しいのかと思う。しかし、凄いのはクリムエーラの技術であってミリアではないので、アレルは気付いてないふりをして話題を変える。
「なら良いけど、向こうの連中がそろそろここを離れようとしているから、こっちもこっちで夜番をしっかりするぞ。それと······今日中にはヘッケルに着く様に動くから、クリスもそのつもりでいてくれ」
「あ、ああ······」
どこか、奥歯に何かが詰まった様な返事を返すミリアを見て、アレルはやはり思い留まって正解だったと思う。
本来、ここにいるのがミリアでなければ、メッサー達から得た情報を共有しておくのも悪くはなかった。しかし、相手がミリアだった為に、他の人間の前でも話した内容をうっかり口にしてしまいそうなので話さない判断をした。
「それじゃ、日の出まであと数時間らしいから、俺は朝からの移動に備えて仮眠を取る。その間、頼むな」
「あ? ······ああ、任せてくれ」
何故か、一瞬反応が遅れたミリアを他所に、アレルは空いている木箱に腰掛けた上でフードを被って寝始める。両膝に体重を預け、色々と考えなければならない話も聞いたがこれで寝られれば少しは整理出来るだろうと、アレルはそのまま意識を手放した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
──この嘘つき野郎ッ! お前なんか、死んじまえッ!
何故か、聞き覚えがある様に感じるのにも関わらず、記憶には無い少年の罵倒が聞こえる。
何か、取り返しのつかない事をした感覚だけが残っており、それでも記憶が無いからか実感がまるで無い。それなのに、異常な程の後悔だけが胸の奥から蘇る。それと同時に、見覚えのない光景がコマ送りでアレルの頭に直接流し込まれてくる。
周囲の同年代に馴染めない自分、帰ると年下の子達には慕われている自分、他人は敵だと常に警戒ばかりしていた自分。いつも早く大人になりたいと願い、受けた恩を少しでも早く返そうと躍起になっていた。きっと、それは失われた記憶なのだろう。
しかし、夢の中の事は何かしら特別な事がなければ起きた後まで覚えてなどいられない。それに、何が影響しているのか判らないが、今見た光景も霧の様に霧散させられてしまう。
──すまないな、私達のせいで······。
そこへ、ルクスタニア流剣術古流のアマデウスの声が聞こえてくる。こんな普通の夢の時に、なんか珍しいし初めてだなとアレルは思う。
(こっちは、窮地に助けられてんだ。何の事か知らないが謝らないでくれ)
返事は返ってこない。最早、聞こえた声ですら夢の一部だったのかもしれないと思える程におぼろげに感じられてしまっている。それでも、そんな中にあって見覚えのない少年に言い放たれた言葉だけが鮮明に残っている。
おそらく、そこには余程の後悔が含まれているのが原因なのだろう。自身で思い出せない記憶が消えていく中、その少年の一言だけが一切褪せる事なく残り続ける。まるで、後悔の念が払拭されない限り永劫と残り続けてやるとでも告げているみたいに。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「おい、朝だぞ! 起きろっ」
声を掛けながら、身体を揺すってくる誰かによって、アレルは強制的に意識を浮上させられる。その喧しさに、寝起きのアレルはイラッとしながら身体を起こす。
「うるせえ······起こすなら、もう少し静かに起こせ」
「フンッ、姉さんが起きる前でないと朝食が大惨事になってしまうだろうが」
まるで、さっさと朝食を作り始めろとでも言っているみたいなミリアに、アレルはその背後へ視線をやりながら欠伸を一つする。
「······クリス、一気には止めろよ。ゆっくり、ゆ〜っくりと振り向いてみろ」
それから、アレルは徐ろに両腕の篭手を外しながら、わざと興味を唆る言い方でミリアへ忠告する。
「は? お前は、一体何を──」
そんなアレルの忠告を無視して即座に振り向いたミリアは、その背後にいた人物の姿を目にして言葉を失いガタガタと震えだす。そこには、満面の笑みを浮かべながらも、薄っすらとこめかみの辺りに青筋を立てるメリルが立っていた。
「ク〜リ〜ス〜、何でアタシが起きた後だと朝食が大惨事になるのかしらぁ〜?」
その言葉から、既に先程のミリアの発言が全て聞かれていた事を悟ったアレルは、擁護の余地なしとミリアを見捨てる事にする。そして、アレルは外した篭手を自身が座っていた木箱に置いて、立ち上がりながら被っていたフードを脱ぐ。
「顔を洗ってくる」
それだけ言って、アレルは元は簡易宿泊所として設けられていた井戸の方へと足を向ける。その際に、チラッとメリルとミリアの方へ視線を向けると、絶望に染まった表情をするミリアと威圧感に満ちた笑顔を浮かべるメリルのそれぞれと目が合ってしまう。
「はい、ごゆっくりどうぞ」
「······ああ」
そんなメリルの一言に、背筋の凍る思いをしたアレルは、怖いもの見たさで視線を向けるものじゃないと即座に二人から視線を外す。その際に、ミリアが助けを求める様な目をしていたが、助ける術がない上にそもそもが自業自得だ。
アレルは、そんなミリアに姉をからかう癖の方をまずはどうにかしろと心の中で言いつつ、変な巻き込まれ方をする前に早々にその場を後にするのであった。




