一章〜非望〜 五百二十七話 我慢ならない今を脱却する為に
──アリシアが荷台へ戻った直後の焚き火前。
アリシアとのやり取りで、深く感じてしまった自己嫌悪からアレルは中々抜け出せないでいた。それというのも、自らの覚悟に水を差された形の上にそれをしたのが他ならぬアリシアだった事で、まるで自身の全てが拒絶された様に感じてしまったのが原因だ。だからといって、声を荒げ恫喝してしまったのはあまりにも余裕がなさ過ぎた。
その後悔が尾を引いてしまい今に至るのだが、そのアリシア依存の覚悟もどこか子供じみていて何とも恥ずかしい。そのせいもあって、アレルは自己嫌悪という負の螺旋から抜け出せずにいた。
(別に、アリシアがいなくとも強くならなきゃいけないのは確かだ。それなのに、アリシアに少し言われたぐらいでグラついたりして情けないし、声を荒げるなんてガキ臭いわで······本当に最悪な気分だ)
そもそも、アリシアの為と言いながら、その実それを無茶の言い訳にしているんじゃないかという疑念も生じてしまっている。本来ならやり過ぎて咎められる所を、それはアリシアの為だから仕方ないと言い訳にして無茶をする。そんなのは、ただの自己満足でしかないし、何よりアリシアに失礼だし申し訳無い。
だからこそ、アレルはアリシアを言い訳にしない為に、アリシアとは別の理由で強さを求めなければならないと感じる。しかし、そこで問題になるのが記憶喪失であるが故に、アレル自身の中にそれ程の決意をするだけの強い動機が無い事だった。
記憶があれば、過去の悔しい経験などを元に新たな覚悟をする事も出来ただろう。だが、アレルにはこのラ・アトランディアに来てからの記憶しかない。言うならば、ほとんどの記憶がアリシアと出会ってからの記憶しかないのである。
(仕方ないと言えば、仕方ないのかもしれない。でも······それでも、今みたいにアリシアに寄りかかっている覚悟なんて決して認めてはいけない。だから、見つけなきゃいけないんだ。······アリシアを言い訳にしないで済む、俺だけの理由を)
取っ掛かりならば、既にアレルの中に存在している。シープヒルでのアンデッド戦で拾いきれなかった命に対する後悔、マスラオをはじめとする超越した能力を持つアマデウスへの羨望、そこに加えてロバートからの期待や重要な仕事を任せてくれたパメラからの信頼も乗っかってくる。
そう、それだけでも強くならなければいけない理由としては充分だ。充分であるはずなのに、それでも胸の奥から湧き上がる衝動が許容値を突き抜けてくれない。そこは、やはりアリシアという具体的な対象がいるのと、どこか抽象的になってしまう想いとの差なのかとアレルは思ってしまう。
つまり、強さを追い求めるにあたって具体的な越えるべき目標が必要となってくる。そして、それは実際に戦った事のあるもしくはその戦いを見た事がある人物である事が望ましい。ただ、そうなると真っ先に思い当たるのがロバートな訳だが、ロバートの戦い方とアレルの戦い方では違いが大き過ぎる為に目標とはしづらい。
(それに、アンデッドとの戦いでも手解きの時も、ロバートはどこか全力でない感じがしていた。というか、どちらかと言えば俺ではロバートの実力の底が見えなかった。それでは、具体的な目標とはなり得ない)
そうして、煮詰まってきたアレルは徐ろに立ち上がり、焚き火から少し離れて長剣を抜く。続いて、剣を構えたアレルは目を閉じないままで、その意識を自らの奥深くへと潜行させていく。
目指すのは、ルクスタニア流剣術古流を使った際の身体の感覚。しかし、潜行して深度が深くなる程に、まるでアレルを拒絶するみたく意識が浮上させられる。
そこで、アレルは不意に思い出すが、マスラオがこれ以上は深入りするなと言っていた様な覚えがある。それが、自身を慮っての言葉なのは理解出来る。それでも、今抱えている惨めさや情けなさを払拭する為に、少しでも良いから道標を与えてくれとアレルは乞い願う。
──覚悟だけはしておけよ。
瞬間、アレルの内から聞き覚えのある様な声がして、いくつかの身体の動かし方が伝わってくる。
初手の、高速突きを防御された際の相手の胴を狙う横薙ぎの一閃。相手の防御を崩す左右の斬り返し。そして、回転斬りの勢いをそのまま縦軸に移行して放つ渾身の振り下ろし。
たった三つだが、まるで現状では出来てこれぐらいだろうという、焦る自身を嘲笑するみたいな意思をアレルは感じる。それでも、助ける事は出来ないとしながらこちらの求めには応えてくれた事を、アレルは素直に感謝する。
「ック!? ·····ウゥ」
だが、その途端にアレルの身体にはズシッと身体全体に負担を強いる疲労感が襲い掛かる。
(そういや、古流にはこれがあったんだっけな)
以前は、身体を勝手に動かされた為に技の練度と身体の未熟さの齟齬もあっての疲労だと思っていた。しかし、マスラオが忠告してきた通りに、こんな身体の使い方を伝えてくるだけでも以前より強い反動が返ってくる。
その事に辟易しつつも、アレルはそんな疲労に負けじと伝えてくれた身体の使い方の心象を頭に焼き付ける為に自らの身体で試していく。突きからの横薙ぎ一閃、左右の連続斬り返し、最後に回転斬りの勢いを縦軸に持ってきての振り下ろし。
やってはみるものの、やはり頭の心象に身体がついてこない。突きだけなら多少まともになったが、そこから横薙ぎに移行するには更なる踏み込みが必要になるのに、その一歩が突きの為に下肢の力を使い切った後で何とも頼りなくなってしまう。斬り返しも、初撃はどうにかなるが返す刃の軌道がブレるので、これでは防御を崩す程の威力は引き出せない。そして、回転斬りの勢いを縦軸に変えて振り下ろしの力とする方法だが、ロバートから教わった身体操作で形にだけはなるもののロバート程滑らかに出来ない為に回転の勢いが途中で分散。振り下ろしを放つまでには完全に散ってしまい、威力が普通の振り下ろしと同等のただの曲芸に成り果ててしまう。
(クソッ、こんなんじゃ実戦では使い物にならねえ)
それでも、一先ずの目標を与えられた事でアレルは一心不乱に、古流の習得に励む。しかし、身体の支配を奪われた時とは違い、自らの身体をどう扱えば技と成せるかが皆目見当もつかない。
身体の支配を奪われた時は、例え後の負担が大きくてもアレルの未熟な身体能力でギリギリ技と成る動きを身体へ覚えさせてくれていた。だが、今回は技の動きの心象を伝えられただけでそれが無い。故に、アレルは手探りで自らの身体能力で技へと昇華させねばならず、幾度もの失敗を重ねて頭の中の心象へ動きを近づけていく。
それでも、例え技に成らずとも一回一回にそれなりの体力を持っていく動きの為に、アレルが技を曲りなりに習得するよりも先に体力の方が底をついてしまう。もしかしたら、どれか一つに絞れば今夜中に一つだけは習得出来たかもしれない。だけど、そんな自ら敗北を宣言する様な真似をしたくなかったアレルは、豆腐すら斬れない程のヘロヘロな斬撃しか放てなくなるまで長剣を振り続け三つ全ての習得を目指した。
(······本当にやんなるな。ここまで、実力に差があると悔しさすら湧いてこねえ)
アレルは、長剣を鞘に納めて足元をふらつかせながら、焚き火前に戻りつつそんな事を思う。古流のアマデウスと自身の差、それはきっと対峙する間もなく勝負が──否、勝負にすらならない程の開きがあるとアレルは確信する。流石に、対峙すら出来ない相手にはアレルの負けず嫌いもお手上げだった。
ただ、そうして身体を休める為に木箱に腰掛け項垂れると、頭の中にアリシアの言葉がいくつか蘇ってくる。
──アレルはアレルのまま······アレルは一人じゃない······。
自らの実力の無さに打ちのめされた今だからこそ、そのアリシアの言葉はアレルの心に沁みていく。そう、アリシアはこんな今のままの自身でもちゃんと認めてくれているとアレルは理解する。
ただ、理解したからこそアレルは項垂れたままの姿勢で、力の入らない震える右手で拳を握る。
(それでも俺は、今のままじゃ嫌なんだよ······)
強くなりたい、ならなければならない。その想いが、見栄なのか別の何かなのかは解らない。それでも、アレルはこれまでよりも強く、そう思うのであった。




