一章〜非望〜 五百二十四話 英雄は要らない
焚き火の横まで行くと、アレルは荷物置きの木箱にナイフの入ったポーチを無造作に置いて、それから座る用に置いていた木箱の方に腰掛ける。パチッと、爆ぜる焚き火を眺めながら夜の静けさに心を静めていく。
今日は、刀剣類も全て一度たりとも抜いていない為、あまり手入れし過ぎるのも良くないだろうとアレルは剣の手入れもせずに呆然と目の前の火を眺める。この世界、ラ・アトランディアに来てから急遽アリシア達と旅をする事になった訳だが、稀にこうして何もする事がない一人の時間が訪れる事がある。
そんな時にアレルは、決まって無理矢理にでも何かする事を見つけていたが、今日に限ってはそんな気も起こらずにもう寝てしまおうとすら思えてくる。そうして、本当に寝てしまおうとした瞬間だった。
「アレル、戻ってきたの?」
と、馬車の荷台の方から不意に声を掛けられ、完全に油断していたアレルはビクッと身体を震わせる。
「あ······アリシア?」
「うん、なんかアレルがそういう反応するのって珍しいね。もしかして、寝てたの? ······だったら、ゴメンね」
「いや······別に謝る事では」
メッサー達と話しに行く前、どこか無理をしている表情をさせてしまったアレルは、アリシアに対して妙な気不味さを感じてしまう。それに加えて、焚き火の光源が下方にある為フードを被るアリシアの顔にも影が出来て現在の表情が読みづらい。
そのせいか、アレルが変な緊張感に僅かに身を強張らせていると、アリシアはそのまま近づいてきてアレルの隣に置かれた木箱へ座る。そうして、自然な流れで座りに来るアリシアを見て、アレルは余分に置かれていた木箱の意味を察する。
「もしかして、寝ないで待ってたのか?」
「······うん、少し話がしたくて」
つまり、アリシアはメッサー達との話が終わったらと木箱を置いて待っていたが、戻ってくるのが遅かった為にメリルかミリアに先に寝るように言われたのだろう。ただ、それでもどうしても話したい事があった為に、アリシアは横になりながらも起きて待っていたという事なのだろうとアレルは考える。
しかし、アリシアの方から話とは何なんだろうとアレルは思ってしまう。先程の別れ際の文句という雰囲気でもなければ、ただの悩み相談という感じでもない。そのどこか改まった様な感じに、アレルは何を言われるのだろうと気が気でなくなりどうにも落ち着かない。
「えっ······と、何か飲むか?」
「ううん······大丈夫」
と、その場しのぎにお茶でも淹れようとしたアレルだったが、アリシアに断られてしまう。なので、立ち上がろうとしていたアレルは少し浮かした腰を再びゆっくりと下ろしていく。
そうして、また妙な沈黙が続くのかとアレルが思っていると、スッとアリシアが荷物を置いている木箱を指差す。
「ねえ、あれは何?」
そう口にするアリシアの指の先、そこにあったのはアレルが戻ってきた時に置いたナイフの入ったポーチだった。
「ああ、投げナイフが入ってる入れ物だよ。クロスボウのボルトもだけど、回収する暇がない事もあるだろうからな。補充が出来るって聞いたから、貰ってきたんだ。······まあ、まだほとんど無くなってないんだけどな」
すると、アリシアはアレルが身に付けている投げナイフに視線を移すも、直ぐに元に戻して俯きがちになってしまう。それに、アレルはどうしたものかと考え、訊き忘れていた事を思い出す。
「そういえば、瑠璃はどうしたんだ?」
「えっ? ······ルリちゃんなら、アレルが戻ってきたら起こしてって言ってたけど、疲れてるみたいだったからそのまま寝かしちゃってる。それで······良かったかな?」
「ああ、瑠璃もあれで無茶するからそうしてくれて助かる」
「······無茶するのは、アレルに似たんだよ」
ボソリと、アリシアは拗ねるみたいに呟くも、そのどこか棘を感じる一言にアレルはご尤もですと黙るしかなくなる。
ただ、以前とは違うのはそこでアリシアのお説教が始まるのではなく、まるで懺悔でもするかの様に胸の前で右手を左手で包むように組んだアリシアの独白めいた言葉が続く。
「でも、アレルにそんな無茶をさせてるのは私······なんだよね? 私が、何も出来ないからアレルを頼って、甘えて······それで、アレルだって何でも出来るって訳じゃないから······でも、それでも応えようとしてくれて無茶するんだよね?」
「······」
ここで、そうだアリシアのせいだなんて口が裂けても言いたくないアレルは沈黙で返す。ただ、それもアリシアにとってみれば肯定と受け取られかねない考え、アレルは何か言わなければと焦る。
しかし、焦る程に言葉が浮かんでこないアレルよりも先に、アリシアの方が先に口を開く。
「どうしてそこまでって思うけど、理由を訊きたくもなるけれど······それを、私が訊くのは少しずるいよね」
「いや、別にそれぐらい······」
「ううん、駄目だよ。だって······そういうのは、人によっては凄く大事なものだったりするんだから」
その、まるでアリシアにとってのそれが人に話したりなど出来ない程に大事な事でもあるかの様な語り口に、アレルもそこには踏み込めないと再び口を噤んでしまう。
そうして、再度生じた沈黙の間にパチッと焚き木が爆ぜる。離れた場所では、未だ起きている黒羽根達もいるはずなのに、アレルとアリシアの付近にはそんな音しか聞こえない。厳かという程静まりかえってもいないが、隣に座るアリシアの息遣いが聞こえなくなる程の雑音もない。
そうした静けさの中で、僅かに聞こえるアリシアの息遣いからは何かしらの機会を伺っている様な気配が感じ取れる。それ故に、敢えてアレルはそこまでの覚悟が必要な話ならば、アリシアが話せる様になるまで待とうと沈黙を守る。
「······私ね、お母様が話してくれるお話の中の英雄譚が大好きだったの。姫を守りながら国を救い、世界を覆う暗闇を打ち払い、多くの人の希望となって数多くの功績を後世まで残す······そんな英雄が、いつか私の前にも現れてくれるんじゃないかって思っていた頃もあったの」
そんな中、不意にアリシアが全く関係のなさそうな話を始めるも、こちらの反応を待っている雰囲気もないのでアレルは相槌すら入れずに黙ってそれを聴き続ける。
「でもね、お母様が亡くなってから私も成長したから解るの。どんな英雄だって、傷付いたり苦しんだりしないで何かを成し遂げる事なんて出来ないんだって。······それなのに、私は私にとっての都合の良い英雄を求めちゃってた」
「いや、待てよ! それは、それぐらいは仕方ないだろ? だって、アリシアは──」
「ううん、駄目なんだよ。アレルを見てて思うんだ······何かをしたいって、何かをしなければならないなら自分で何とかしないと駄目なんだって。だからね······最初、アレルなんて英雄の名前をあげたせいで勘違いさせちゃってゴメンね。私······私は、アレルにはアレルのままでいて欲しい。······だから、アレルは英雄になんてならないで」
その言葉に、衝撃を受けたアレルは思わずアリシアの顔を見てしまう。その表情は、何かを決意したみたいでもありどこか懇願する様でもありながら、こちらを心配させまいと頼りない笑みを浮かべていた。




