一章〜非望〜 五百十四話 伸ばされ始める魔の手
気を取り直したアレルは、食材を手に取りながら何を作るかなと頭を捻る。今日は、街道の事や王都側の動きなどが気になっていて、昼に夕食の仕込みをするのを忘れていた。なので、この場で新たにパンを焼く事は出来ない。
つまり、パンを食べるなら黒パン──所謂ライ麦パン食べる事になる訳だが、正直それ単体ではあまり美味しくはない。一応、パスタなども新たに補充されてはいるものの、下茹での水を必要とする為野営時にはあまり使いたくはない。一瞬、すいとんならば割と簡単に作れるかとも思うが、そちらも下茹でで水を使うのは同様だったかとアレルは肩を落とす。
(そもそも、水を下茹でだけで使うのも贅沢な気もするし、精霊信仰もあるからその少なくない水を捨てるのも気が引けるんだよな。さ〜て、どうするかな?)
アレルは、荷台の中を照らす石灯の明かりを眺めながらしばし動きを止める。そうして、呆然としていると不意にそういえばと直感が働き、ある程度考えが纏まったので補充された中にチーズがないかをアレルは探し始める。
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──同時刻、ルクスタニア国内某所にて。
薄暗い部屋、窓すらないその部屋はたった一本の蝋燭で部屋の中央を照らされている。その中央には椅子があり、目隠しをされた上に両手両足を拘束されている初老の男性が座らせられている。
何故、そんな状況になっているのか、拘束されている事しか判らない男性は一旦落ち着いて一日の行動を振り返る。
子供の誕生を境に、前職を辞する機会を窺っていたが最近になってようやく目処が立った。それというのも、歳のせいか身体が思った様に動かなくなってきたというのが大きな要因だった。そんな男性の今日は、前職の厚意で紹介してもらった装飾品の工房で働き、夕方の仕事終わりに子供への土産を買って帰る所だった。
それ以降の記憶の無い男性は、そこで何者かに襲われたのだと理解する。それから、慌ててどうにか拘束から脱しようとジタバタするが、どんなに身を捩ろうと拘束が緩む気配はない。そして、男性は残された最後の手段を使用する。
「おいッ、これは一体何なんだ!? どうして、こんな真似をするんだッ? 金なら持っているだけやるから、早く俺を帰してくれッ!」
猿轡をされていなかった男性は、どこにいるかも判らない自らを拘束した人物に向かって叫ぶ。それでも、男性の声は虚しく部屋の中を反響するだけで、何の言葉も返ってこない。
だが、男性はそうして反響する自らの叫び声から、大体の部屋の大きさを掴む。その辺りは昔とった杵柄といった所で、今度は自らを捕らえた者がいないならばと椅子に固定された状態から、関節でも外してどうにか脱出出来ないかと思い始めた。
──その瞬間だった。
「つまらない、本当につまらないわぁ。やっぱり嫌ね、お年を召した方ってこちらが驚く様な事をして下さらないのだものぉ」
ビクッと、男性は反射的に身体を強張らせると同時に、全身の毛が逆立つ様な寒気を感じる。何故なら、先程まで確かに部屋の中には誰の気配も感じられず、更に男性はつい最近までとある商会の諜報員として働いていて人の気配を読み間違えるなんて事はなかったからだ。
そして、男性はその気配無き声の主が放つ、濃密な死の香りに対して本能的に恐怖する。例え、身体が自由であっても自分は弱者で声の主が絶対的な強者なのだと、全身の感覚が警鐘を鳴らしている。それ程までに、声の主からは多くの命を奪っている者特有の形容し難い臭気が漂っている。
「やっぱりぃ、楽しむのなら若い方の方が良いわぁ。だって、目だって希望や夢にキラキラと輝いているし、無謀だって解っていても刃を向けたりなんてしてきて可愛いんだものぉ」
その声は、妖艶さと狂気という一見混じりようのないものを撹拌して無理矢理に一体化させた様な声で、まるで恋愛対象を品定めするみたいな事を口にしている。その異様な声と状況に見合わない発言に、男性はただただ身体を震わせて恐怖する。
「あらあらぁ、そんなにガタガタと震えちゃっても全然可愛らしくなんてありません事よ。それにぃ、おじ様には少しだけ訊きたい事があるだけなんですのよ?」
「き、訊きたい事? な、何なんだっ······おっ、俺だってなぁ、こんな事されても何も話さない事ぐ、ぐらい······出来るんだからなッ!」
「······やっぱり、強がったりしても全然可愛くありませんわね。フゥ、もう興味を無くしてしまいましたわ······まっ、元からありませんけど。······それでおじ様、単刀直入に訊ねますけれど逃亡中の王女様一行の目的地を教えて下さらないかしら? 女の子三人って話だから、あまり乗り気はしないのですが依頼なのでその三人を亡き者にしなければいけないのです」
「なッ!?」
声の主が口にした内容に、少なからずの前職を離れる直前まで王女様の逃亡補助の準備を手伝っていた男性は驚愕する。
「普通、王女様って言ったら想いを寄せている若い騎士ぐらい侍らせているものじゃない? ガッカリよねぇ、一人でもいてくれれば私もやる気が出ますのにぃ」
男性は、声の主が一人語りをしている間に、焦りながらでも何か出来る事はないかと考え始める。王女様達の目的地なんて、教えてもらってなくても見当がついてしまう。それ故に、男性は声の主がこの後で何をしてくるのかは判らずとも、最悪の状況になれば自分はこの場で自決する覚悟を決める。
しかし、その瞬間にまたも部屋の中の空気が淀む。
「······グレース、確かおじ様の娘さんのお名前よね? あと、奥様の名前はナタリアだったかしらぁ? ······おじ様が勝手に死んだらぁ、どうなるかはお解りになられますよね?」
「止めろぉ!! 二人に、何をしたぁッ!」
男性は、二人の名前を聞いた瞬間に椅子に拘束されながらも、声の主に掴み掛かろうと前のめりになる。だが、それは男性の顔を鋭く殴打する何かに防がれ、男性はそのあまりの勢いに椅子ごと横倒しになる。
「まだ、何も致してませんわ。私、同性にはとことん興味が薄いのです事よ。······でもぉ、これから異性のおじ様には少しだけ、そう少ぉしだけぇ······痛い思いをして頂こうと思います。だってぇ、おじ様はそうされても王女様達の目的地をお話しするおつもりはないでしょ? だから、おじ様が痛い思いをされてる最中に万が一亡くなられた場合、もしくは自ら命を絶たれた場合はぁ······解っていますでしょ?」
「グッ······た、頼む。家族、だけはッ······」
二人がこの場にいない、それだけで家族を監視している者もいる事が理解出来た男性は、自死は疎か抵抗する気も失せてしまう。
ただ、その反応に声の主は実につまらそうなため息を吐いて返す。
「······妻子持ちなんて、これだから嫌なのよ。もう少し、何が何でも自分が助けてみせるって気構えぐらい見せてくれないかしらぁ? まあ良いわ、さっきは蹴り飛ばしてごめんなさいねぇ。でもぉ、これからはも〜っと痛い思いするから頑張って耐えて下さいね、おじ様」
そう言って、声の主は何やら準備をし始める。その音を聞きながら、男性は王女様の情報を売る訳にもいかなければ家族を犠牲にも出来ないと、ただひたすらに声の主がする事に耐えなければと奥歯を噛み締める。
そして、願わくば自分が意思を強く持っている内に早く目的地に辿り着いてくれと、会った事もない王女様に請うのであった。
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──時は少し後、黒羽根の補給地点。
アレルは、黒パンを薄切りにした上に同様に薄く切ったチーズを乗せて、更に野菜や薄切りの燻製肉も乗せてからもう一枚の薄切り黒パンで具材を挟む。それを、人数分より少し多めに用意したアレルは、それらを大皿に乗せて瑠璃の蜂蜜水と一緒に馬車の外へと持ち出す。
焚き火の周りには、先程ミリアに言って並べてもらった木箱があり、その近くには三脚に吊るされた鍋が火にかけられている。その中身はポトフで、具材はパンに挟んだものと大差ない。その鍋を、メリルがお玉でゆっくりと撹拌していて、その横ではアリシアが四人分の器を持って待機している。そして、ミリアはというと一応周囲への警戒を腹を鳴らしながらやってくれている。
「あっ、アレルさん。こちらは、もう出来ましたよ」
「こっちも、作り終えた。それじゃあ、飯にするか?」
メリルにそう答えたアレルは、パンを載せた大皿をテーブル代わりの木箱に置いて、その近くに止まりに来た瑠璃の前に蜂蜜水を置く。そして、恐れ多いと感じながらもメリルのよそったポトフをアリシアに給仕され、アレルはそれが全員に行き渡った所で夕食としたのであった。




