一章〜非望〜 五百十三話 理解してても諦めが悪い故に
馬車の所まで戻ると、焚き火の火だけがそのままにアリシアとメリルの姿はその場には無かった。なので、荷台の方で瑠璃に文字を教えているのだろうと、アレルは少し離れた位置から荷台の中へと声を掛ける。
「おーい、そろそろ夕食の準備をしたいから荷台に上がっても良いか?」
すると、ガタッと物音がした後でタタタッと荷台の奥から誰かが駆け寄る様な音がアレルに近づいてくる。そして、バサッと幌が捲られると勢いそのままにアリシアが荷台を駆け降りてくる。
「アレルッ、ねえ聞いて! ルリちゃん、凄いんだよっ! もう公用文字を全部覚えちゃって、私とお話し出来る様になっちゃったんだよっ!」
言いながら、アレルに詰め寄るアリシアはその氷青の瞳をキラキラと輝かせながら、とても興奮した様子で捲し立ててくる。
その姿に、馬車に戻る前から湧き上がる自己嫌悪を抑え続けている結果ささくれ始めていた心を、アレルは僅かながらに癒される。ただ、あまりにも近いので、アレルはアリシアの頭をフード越しに撫でるみたいにして距離を取る。
「近いって······でも、話が出来る様になったなら良かったな」
「うんっ!」
ニコッと、満面の笑みを返すアリシアにアレルも反射的に笑みを返すと、姿を消したまま飛んできた瑠璃がアレルの外套のフードへ滑り込んでくる。
──主様、ルリは頑張りました〜。
(お疲れ様。でも、疲れたなら今夜は早めに寝たらどうだ?)
──いえ、ルリは夜番をする主様と共に起きています!
一言目には、フニャッとした感じで伝えてきた瑠璃も、精神感知を使用したアレルの言葉にはシャッキと背筋を伸ばしたみたいな言い方を返してくる。その反応に仕方ないなと思っていると、遅れて荷台からメリルが辺りをキョロキョロしながら不思議そうな表情でゆっくりと降りてくる。
「あの、ルリさんの姿が見えないんですけど······」
「ああ、瑠璃ならここにいるよ」
そう言って、アレルがメリルの方へフードが向く様に身体を捻ると、そこから姿を見える様にした瑠璃がメリルに対してひょこっと顔を出す。それに、メリルはフッと力を抜いた笑みを浮かべて安堵したみたいに見える。
「それなら、良いんです。でも、やっぱりアレルさんなんですね」
「ねえ〜」
と、何やらアリシアまでがメリルの口にした事に同意するみたいな反応をするが、アレルには何の事だが判らない。ただ、流石にそれには疎外感を感じたのか、それまで黙っていたミリアが二人に訊ねる。
「あの、それは一体どんな意味なのでしょうか?」
「ミ──ッ、クリスは気になるの?」
「はい、アンネ様も姉さんも何やら楽しげに見えたので」
何故か、アレルの前からは動かずに顔だけ出してミリアに訊ね返すアリシアに、ミリアはアレルへ邪険にする様な視線を向けながら答える。
なので、そんな視線を向けられ続けて堪るかと、アレルはまるでアリシアを差し出すみたいにしてミリアの視線から逃げる。だが、そうしてアリシアの頭から下ろした手を不意にアリシアに掴まれてしまった為に、アレルは大きく離れる事が出来なくなる。
「さっき、アレルが声を掛けてきた時って、丁度ルリちゃんに質問してたのね。それで、その答えが聞けないままだったんだけど、こうして直ぐにアレルの所に来たからやっぱりねって言ったの」
アレルは、答えを聞けなかったのはアリシアが反射的に外に出て来たからで、ついでに瑠璃へした質問がどういうものだったか説明をしていないと、心の中だけでツッコミを入れる。ただ、それは瑠璃へ伝わったみたいで、瑠璃から言葉が伝わってくる。
──瑠璃が、誰といるのが一番安心するかという質問だったんです。そんなの、答えるまでもありませんのに。
もうっ、と瑠璃はどこかそんな質問をされた事に対して不満を表に出す。それを、これは利用出来るなと思ったアレルは、手を掴んでいるアリシアへ視線を向ける。
「なあ、瑠璃が答えるまでもない質問だったって少し不満そうにしてるぞ」
「えっ!? ご、ゴメンねルリちゃん!」
思ってもいなかったのか、アリシアは急に慌てふためきアレルの手を離して誤解だと両手を否定の意味で振ってくる。それで、自由になったアレルは申し訳ないと思いつつも、瑠璃にその場を任せる事にする。
(悪いけど、アリシアの事を頼んても良いか?)
──はい、夕食の準備をするのですね。アリシア様は、ルリがここでお相手してます。
すると、瑠璃は勝手にアリシアへ瑠璃の不満を伝えたアレルに腹も立てず、まるで全てを察してますと言わんばかりに欲しい言葉を返してくれる。
そして、そんな瑠璃がフードから出ていくのと同時に、アレルはアリシアから離れて馬車へと足を向ける。しかし、アリシアは何かあるのかアレルを引き留めようと声を掛けてくる。
「ア、アレル!?」
「何か用なら、夕食の後にしてくれ。これ以上は、流石に遅くなっちまう」
「あ、あの、手伝いとかはいりますか?」
すれ違いざまに、メリルがそんな事を訊ねてくるも、アレルは無言で首を横に振って返す。
「もし、途中で必要だと感じたならこっちから声を掛けるよ。そん時は頼むな」
「あっ、はい······」
そうしてアレルは、幌を捲ってそそくさと荷台に上がって精神感知も止めてしまう。
(フゥ······これで、少しは落ち着ける)
実のところ、今のアレルはメッサーやミリアとの話で生じた自己嫌悪がどうにも上手く消えてくれなくて四苦八苦していた。
それというのも、メッサーにしろミリアにしろ自身の事を棚上げして言った言葉に対して、アレルは自身に何様だよと思ってしまったのが発端だった。偉そうに、上から目線でまるで自身にはそれが出来ているみたいに言わなければいけなかった事に対して、アレルは想像以上に気持ち悪さを感じてしまっていた。
周りを頼れ、自分の答えを見つけろ、それはメッサーやミリアにではなく、アレルがいつも内なる声から向けられている言葉だ。しかし、二人と違って未だに諦めの悪いアレルは、決して届かないと解っているのにその憧憬の果てに手を伸ばし続けている。
そんな、自己矛盾にも似た感情のせいで、アレルは要らぬ苦しみを抱え込んでいる。
(全く、利口なふりをして人には解った様な口振りで宣っておいて自らは要らない苦しみを抱え込むなんて、酷く滑稽な上にとんだ道化だな)
そうやって、自らを嘲る事でアレルは自身の均衡を保つ。本来なら、その愚行を知った周囲から嘲笑なり侮蔑なりを与えられる。だが、それが無いアレルは自らを貶める事で、愚かであるという自覚と自らの行いの結果などには屈するかという反骨心を刺激する。
そして、自らを愚者なのだと言い聞かせる事で、アレルは自己矛盾と種々な齟齬に蓋をする。
「······さてと、夕食の準備をしないとな」
そう呟いて、アレルは今夜使う食材を探し始める。いつか、自身が望んだ憧憬に手が届くまで、心の奥底に隠した蓋のされた箱は決して開けないと自身に誓って。




