一章〜非望〜 五百十二話 憧憬の行き着く先
感情的になって泣く、そんな感じではないミリアの涙は、抱えきれない想いが零れたものの様にアレルには感じられた。思えば、姉のメリルの泣き方は感情的ではあっても泣き出しはこんな感じだったなと、アレルはまたも変な所で共通点を見つけてしまう。
ただ、ミリアがそうして涙した事でアレルの中には迷いが生じる。ここで、聞こえの良い言葉を与えてミリアを立ち直らせる事はそう難しい事ではない。だが、果たしてそれでミリアは望む場所まで辿り着けるのかと思うと、何か他に伝えるべき事があるんじゃないかとアレルは思う。
しかし、それが何なのかがアレルにも直ぐには判らない。それ故に、僅かな時間アレルとミリアの間には沈黙が滞在してしまう。それでも、このままにしておく事も出来ないアレルは、その沈黙が生んだ静寂を破る。
「ミリア、お前じゃ俺にはなれないよ」
そして、アレルが選んだのはミリアにとって残酷な現実を突きつける事だった。
「何故だ? 私では、お前に劣ると言うのか? ならば、私には何が足りない······判るなら教えてくれても良いじゃないか!」
藁にも縋る様な感じで、ミリアはアレルに食い下がる。それでも、アレルは敢えて感情を抑えた声で更にミリアを突き放す。
「劣っている訳じゃない······足りないものがある訳でもない。それぐらい、ミリアだって解るだろ?」
そう、ミリアはミリアであってそれだけで全てが足りている訳で、誰と比べたって劣っているなんて事はない。だからこそ、アレルは強く思う。
ミリアの間違いは、己を他者と比べている事それ自体なのだと。
ミリアの剣術は、今のアレルには到底真似出来ない程の完成度を誇っている。それは偏に、ただひたすらに真っ直ぐ積み上げてきたミリア自身の努力の賜物なのだろう。その努力の根底には、アリシアやメリルを守りたいという強い想いもあったが故に、ミリアの剣は守る事に特化していると考えられる。
本来なら、それを誇っても良い。良いはずなのに、ミリアは自分には出来ない事を望み、それをこなせている人物に憧れてしまった。きっと、その憧れはここまでミリアを支え突き動かしてきたものではあるのだろうが、今この場に限ってはそれこそがミリアを苦しめている。
「······憧れは、確かに挫けそうになった時に自分を支えてくれる原動力になるかもしれない。でも、それに手が届かないと判った瞬間に憧れは自分を苦しめる毒にも成り得る。そして······不意にその憧れが失われた時、人は失意のどん底に突き落とされる事だってある」
ロバートの場合、ディミトリスの死に直面し心の一部が死んだ様になってしまった。それは、ディミトリスの遺体にすまぬと泣き縋る辺境伯に対して、白々しいと感じていたと口にしていた事からも明らかだ。メッサーにしても、そんなロバートに憧れたが故に、自分も一人で何でも出来なければと自らを縛りあげてしまっていた。
そして、ミリアはおそらくガルシアが既に亡くなっている可能性から目を逸らす為に、自身をその代わりにしようとしているに過ぎないのではないかとアレルは考える。だからこそ、そんな会った事もない人物の身代わりなんて御免だと、まるで下位互換的に扱われているアレルの奥底には僅かな苛立ちが生まれている。
「ならお前は、憧れる事自体が間違いだと······高望みは止めて身の程を弁えろと言うのか?」
「そんな事は言ってない。言っただろ? 憧れは、原動力にもなるって」
「それなら、貴様は私にどうしろと言うんだ? いい加減、具体的に言ってみろ!」
具体的に言え、こんな抽象的なものの捉え方に対してミリアはかなりの無茶振りをしてくる。なので、アレルはまたもそんなミリアを突き放す。
「他人に······それも、気に食わないと思ってる様な奴に、安易に答えなんて求めてんじゃねえよ! 俺は言ったはずだ、考えろって。それなのに、判らないから苦しいからって、そんな風に思考放棄していたら守れるものも守れねえだろうがッ」
「ウグッ······でも、それでも、いくら考えても判らないんだ。貴様の様に、何でも直ぐに判る様な奴に私の苦しみなんて解らないだろっ!」
「ああ、解らねえし解りたくもねえ。そんな風に、解ってもらおうとするばかりで誰かを理解しようとする姿勢すら見せない奴なんかの事はな」
「なッ──!?」
図星だったのか、ミリアはアレルの指摘に言葉を失う。だが、アレルはそんなミリアに構わず続ける。
「大体、俺がそんな悩みも迷いもせずに何でも判っていると思うのか? 違えよ、逆に悩むし迷いもするから過ぎた事に対しても考え続けていたりするんだよ。だから、考えていない奴よりかは多少マシになってるだけだ。勘違いすんじゃねえよ」
そう、アレルは悩みもするし迷いだってする。その上で、色々と考え続けた先で例え直ぐには判らなくても、その考え続けた時間を糧にして答えまでの道程をほんの少し短くしている過ぎない。
そんな苦労を知りもせず、その結果だけを寄越せと言われれば腹が立つのだって当たり前だと、アレルは自身に言い聞かせて気を落ち着ける。
「フゥ······それになミリア、誰かに教えて貰った答えなんてのは、結局ソイツの答えであって自分の答えになんかにはなってくれないんだ。だから、本当に自分だけの答えを知りたいなら、考え続けるしかないんだ。その答えに、辿り着くまで」
アレルがそう言うと、ミリアは頬に残っていた涙の筋を拳で雑に拭い、アレルを真っ直ぐに見てくる。
「アレルは、人に······いや、己に厳しいのだな」
「厳しくなんかねえよ、ただそうする事しか知らないだけだ。それに、俺だって手の届かない様なものに憧れる事だってある。それでも、同時に俺には届かないってのも解るから、結局俺は俺になるしかないって自分なりにそこに近づく方法を模索しているだけだからな」
「······そうか、その結果が装備の追加であったりするんだな貴様は」
ミリアは、アレルをつま先から頭のてっぺんまで眺めながらそんな事を口にする。そして、ミリアは背筋を伸ばして右手で作った拳を左肩の辺りに当てる。
「アレル、貴様のお陰で答えは得られないまでも何をすべきかは判った様な気がする。故に、私への配慮には感謝をする。······だが、これからもアレルの事が気に入らないのだけは変わらんからな」
言いたい事だけ口にすると、ミリアはフンッと鼻を鳴らしてアレルへ背中を向ける。
ただ、そうして感謝してくれる様になっただけ、心を砕いた甲斐ぐらいはあったかとアレルは軽くため息を吐く。
「それで良いよ。俺も、ミリアとは仲良く出来る気なんかしないしな。それより、いい加減馬車に戻って夕食にするぞ。ア──ンネ達も、待たせているだろうからな」
「いや、アンネ様はルリと言ったか? アイツに文字を熱心に教えていたし、途中で姉さんも一緒になって教えていたから待ってなどいないんじゃないか?」
「そうか······それなら、急ぐ事もないんだな。それにしても、何を作るかな? 昼に確認したけど、腸詰めなんかも補充してくれてんだよな」
アレルは、昼食時に一応ロバートが補充してくれていた食材を確認していた。シープヒルでは、牧羊が行われていたのでもしかしたらと思ってはいたが、しっかりと特産と思われる腸詰めも補充食材の中に入っていた。
そこへ、すっかりと調子を取り戻したミリアが口を挟んでくる。
「ならば、焼いて食おう! それが一番美味い!」
「却下だ。腸詰めなんて、保存の為に作られるんだから日持ちするだろ? だったら、その前に足の早い食材から使いたいし、アンネ達にも何を食いたいか訊いてからだ」
そんなアレルの返しに、ミリアは舌打ちをしてくる。それに、少しは変わったかと思ったが成長しない部分も当然の如くありやがるなと、アレルは多少の苛立ちを感じつつも馬車へと戻るのであった。




