一章〜非望〜 五百四話 周囲に気を配って
馬車を停めると、アレルは徐ろに地図を取り出して現在地の確認をし始める。地図上の道と、狼の先導で走った道を思い出しながら照らし合わせて、アレルは現在地を割り出していく。すると、流石に拠点の位置を地図に記す訳にはいかなかったのだろうが、地図上で何も記されていない場所でシープヒルからヘッケルまでの大体五割強ぐらいの辺りが現在地だった。
それだけ理解したアレルは地図をしまい、出来ればもう少し進みたかったなと思いながら御者台を降りる。それから、荷台に回ったアレルは幌を捲らずにアリシア達へ野営場所へ着いたと伝える。その後、アリシア達が出て来るまで荷台から少し離れて、アレルはしばらく待つ事にする。
(一応、何をしているか判らない以上、異性の俺が勝手に荷台の中に入る訳にはいかないからな)
──主様も、大変ですね。
(まあ、仕方ないさ)
瑠璃の労いに、アレルは軽く肩を竦めながら返す。すると、馬車の幌が開いてそこからアリシアが姿を現す。
「······あれ? 簡易宿泊所なの?」
キョロキョロと、周囲を見渡しながら訊ねるアリシアは他の人もいると判るや否や、サッと自分と黒羽根達との対角線にアレルを挟む様に位置を移動する。
それを意識してやっているのか、それとも無意識にやっているのかは判らない。ただ、そのどちらであっても未だアリシアには、他者を警戒する事の方が優先されてしまう程に他者への恐怖心が残っているみたいだった。
(なあ瑠璃、ここにいる間は出来るだけアリシアに付いていてやってくれないか?)
──はい、任せて下さいっ!
と言いつつ、瑠璃も人間嫌いが筋金入りなので、フードから出る時は姿を見えなくしてから出て来る。そして、アリシアの手前でだけ姿を現す。
「ルリちゃん?」
アリシアは、不思議そうにしながらも瑠璃の気持ちを察してか、両手で覆い隠す様に瑠璃を受け止める。そうして、どこか似ている部分もあるんだよなと、アレルが思いながら二人を眺めているとアリシアが無言で視線を向けてくる。
「ああ、なんか知らない人間がいて落ち着かないらしいから、今夜はアンネと一緒にいたいんだってさ」
(という事にしておいてくれないか?)
──アリシア様への配慮ですね、解りました!
そう、アレルの考えを寸分違わず理解してくれた瑠璃が返事すると、アリシアの方はスッとどこか落ち着きを得たみたいな穏やかな表情を浮かべる。
「うんっ、分かった。ルリちゃんとは、私が一緒にいるからアレルは心配しないで」
言いながら、アリシアは念の為に身に着けていたのか、瑠璃の小物入れの蓋を開けてその中へと瑠璃が入りやすい様に両手を近づける。それには、瑠璃も何一つ抵抗する事なくサッと小物入れの中に入ると、最後に少しだけ顔を出す。
──では、何かあったら直ぐに主様へ伝えますね。
(ああ、頼む)
アレルから見て、アリシアは瑠璃の事を自分が守らなければいけない弱い存在と捉えている様に見える。それと、潜在的にどこか自分と近しい部分も感じているみたいで、その上瑠璃の事を能力的に信頼している部分もある。そこに関しては、自身が瑠璃と行動をする際にアリシアが瑠璃に念押しをしてくる事から察せるとアレルは判断する。
その、守らなければという義務にも似た使命感と、一切の曇りがない信頼を合わせて、アリシアは現状不安や恐怖で揺れる心を落ち着かせている。そう感じるアレルは、場当たり的な対処しか出来ずに自身一人では根本的な解決へ導く事すら出来ない不甲斐なさに、己の未熟さや力不足を痛感する。
それでも、少しずつで構わないと、ほんの少しでもアリシアの心が晴れるなら、その為にこそ尽力しようとアレルは思う。ただ、その一方でアレルは不意に思ってしまう。未だ父の死に泣けていないアリシアが、せめて一旦落ち着いてその悲しみに涙を流す事が出来たなら少しはその精神状態にも変化があるだろうにと。
(······だからって、焦る訳にもいかない状況なのが余計に焦れる要因でもあるんだよな)
本音を言えば、最短経路を突っ切っていち早くアリシアを公国まで送り届けてやりたい。しかし、それをしてしまえば後々アリシアの事を追い詰める事になりかねない。
それ故に、アレルはアリシアが公国入りしたという確証をビットーリオ側に掴ませない様に、可能な限り慎重な行動を重ねて移動している。今では、アエシュドゥスというアリシア達の最終的な目的地である場所も知っている。だからこそ、アレルは余計にその事をどこかで口を滑らせない様に、黒羽根にすら詳細を訊ねずにいるつもりでいる。
もし、それが巡り巡ってビットーリオ側に伝わってしまった場合、現在の懸念となっている国境での待ち伏せと同じ状況になってしまう。いや、他に候補がない分、その場合の方が危険度は増すかもしれない。そう考えるアレルは、自らの迂闊さに足をすくわれない様に細心の注意を払うのであった。
「アレルさん、すみません出てくるのが遅くなってしまって······」
と、そこへローブは着ていてもフードだけは脱いでいるメリルが荷台から降りてくる。その後ろに、何故かムスッとした表情のミリアが身に着けている外套のフードを被って続く。
「いや、別に構わないけど······何かしてたのか?」
「それが──」
「おい、アレルッ! 貴様も、男装していれば顔を隠す必要はないと思うよなっ」
説明をしようとしたメリルを遮り、どういう訳かミリアの奴がアレルへ憤りをぶつけてくる。それに、ギロリとメリルがミリアを睨んで怯ませるも、そのやり取りでアレルは大体の事を察する。
「クリス、お前はロバートから散々駄目だしされた事をまだ完全に出来る様になっていないだろ? それに、クリスはベルトで腰を絞り過ぎてるから、身体の輪郭が女性的になっている。それを隠すのに、外套は丁度良いし理に適っている。ついでに言えば、クリスの顔はぱっと見では男だと思えない。だから、ちゃんと顔も隠しておけ」
「ウグッ······他はともかく、ベルトに関してはお前のものが合わないのだから仕方ないんだ!」
ミリアの反論に、アレルは自身も一応男なので女性並みに腰回りが細い訳ないだろうと呆れてため息を吐く。
「······とにかく、油断せずに外套を着て正解だよ。クリス、お前の油断で生じる危険は、お前を飛び越えてアンネに向かっていくんだ。本当に守りたいと思っているなら、自分の行動一つ一つに気を付けろ」
その言葉に、ぐうの音も出なくなったミリアへメリルがそら見たことかという視線を向ける。
しかし、アレルはミリアに言った事がまるで自身に言い聞かせているみたいだと肩を落とす。ただ、外套の着る着ないのやり取りは以前にも一度やらなかったかと、アレルは既視感に襲われる。
「ねえアレル、これから何かするの?」
そこへ、瑠璃と何かやり取りをしていたアリシアが、手持ち無沙汰なのかアレルへ話し掛けてくる。それに、アレルは徐々に暗くなってくる空を眺めながら少し考え、ある程度纏まってからアリシアへ視線を戻す。
「出来れば、夕飯の準備でもしたいところだけど、俺は少しここにいる連中と話して情報収集してくるよ。街道の方の様子も、連中から聞けるかもしれないからさ」
「うん、分かった。まだ、お腹も減ってないし夕飯は急がなくても大丈夫だよ」
と、アリシアが言ったそばからぐぅ〜っとミリアが腹を鳴らすも、バシッとメリルに頭を叩かれる。それを、どこか憐れむ様な視線で見ていたアリシアがアレルに訊ねてくる。
「······あの、ね······さっきは、お腹減ってないって言ったけど、何か少しだけ食べるものないかな?」
エヘヘと、恥ずかしそうに言ってくるアリシアに、その意図を察したアレルはため息を返す。
「クリスにだったら、荷台にある黒パンでも囓らせとけば良いよ。もし、本当にアンネが食べたいっていうなら、どこかに果物が入っているはずだからそれを食べろよ」
──あの腹ペコ恥知らずが、黒パン以外を食べようとしたらルリが妨害しますね!
アレルの言葉に、アリシアよりも早く小物入れに入ったままの瑠璃が返事を返してくる。
(······まあ、喧嘩はするなよ)
「うん、ありがとねアレル」
すると、瑠璃への言葉に返事するみたいにアリシアがお礼を口にしてくる。それに僅かに遅れて、はぁ〜いと瑠璃の返事も返ってくる。
そんな二人に、ミリアとそれを叱るメリルの二人も合わせて見るアレルは不意に笑みをこぼすと、少し伸びをしてから黒羽根達の様子を窺うのであった。




