一章〜非望〜 五百一話 考え過ぎから生じる
狼の最高時速は七十km程にもなり、また速度を落とせば二十四時間走り通せる程の体力を持っているらしい。それは、獲物を狩る時に持久戦を得意とすると言われる所以なのだろうが、そんなものに付き合っていたら馬達が潰れてしまうかもしれないとアレルは考える。
それ故に、アレルは適度に馬車を停めて休憩を挟むのだが、その際狼もある程度の距離を取った場所で待てをしていたり、伏せたりしてこちらの休憩が終わるのを待っている。休憩の時には、アリシア達も荷台から降りてくるので、狼との事で一応経緯などは伝えておく。その上で、未だどういう目的があるのか判らないから不用意に近づくなとアレルは注意する。
ただ、休憩の際にアレルが地図で現在地と通ってきた経路を確認すると、丁度走ってきた経路がアレルの近道出来そうな場所と印を付けておいた所と重なり、やはり狼はクリムエーラ関係の使いだとアレルは確信する。しかし、未だに狼を使いとしている人物が信用に足る人物とは判らない為に、アレルは警戒だけは怠らないようにしようと気を引き締める。
「ねえアレル、あの狼随分大人しいみたいだけど、何かしたの?」
と、そこへ自分の抱いている狼との印象がかけ離れているのか、不思議そうな表情をしたアリシアが声を掛けてくる。それに、アレルも最初はもう少し高圧的な感じがしていたなと、少しだけ首を傾げる。
「う〜ん、俺が直接何かをした訳じゃないけど、瑠璃が少し叱ったというかなんというか······それが効いたのか、瑠璃だけじゃなく瑠璃が敬意を払ってる俺や、俺が荷台に乗せて丁重に扱っているアンネ達には敵意を向けない様にしてるんじゃないか?」
「へえ、賢いんだね」
「ああ、普段は頭使って獲物を追い詰めて狩りをしているらしいからな。頭が悪かったら、早々に絶滅しているだろ。それより、荷台の方は揺れたりとか大丈夫か?」
アレルは、馬車が通れるとはいえ獣道と然程変わらない所を走っているのを気にして訊ねる。すると、アリシアはニコッと微笑んでから大きく頷く。
「うん、大丈夫だよ。アレルが買ってくれた敷物もあるし、私達の事は気にしなくても平気だからねっ」
その信頼を預けきってる笑顔と言葉に、アレルは自然と笑みをこぼすと同時に改めて気が引き締まる思いをする。
「解った、でも一応何があっても良い様に心構えだけはしておいてくれよ」
「うんっ、自分の身を守る覚悟と逃げる事を第一に考えておけば良いんだよね? 任せてっ」
アリシアは、胸の前で両手で拳を作ってぐっと気合を入れるみたいな仕草を見せる。そんな、アリシアのこちらが気にしなくても良い様に明るく振る舞ってくれている姿に、アレルは不意に励まされる。
「それじゃ、そろそろまた走り始めるから、何かあったらちゃんと言えよ。気遣って、黙っているとか無しな」
すると、アリシアは解りやすくぷく〜っと頬を膨らませる。
「もうっ、それはアレルの方でしょ? 本当に、無理とかしたらイバレラと一緒に怒るからねっ」
アリシアとメリルの二人に、くどくどと説教をくらう光景を思い浮かべると、アレルは無意識に身震いしてしまう。
「それは······勘弁願いたいな。まあ、とにかくお互いに無理は無しでって事だな」
「うんっ!」
ニコッと、どこか満足そうに微笑んだアリシアはメリル達の所へと駆けていき、そのまま三人で荷台へと足を向ける。その際に、ミリアの様子を窺うと既に受け答えが出来るまでには回復したみたいで、これで荷台の方の守りはある程度任せられるなとアレルは安堵する。
そうして、アリシア達が荷台へ乗ったのを確認してから、アレルは再び馬車を走らせる。すると、遅れてそれを察知した狼が後ろから馬車を追い抜き、馬達の斜め前へと躍り出る。その様子から、余程瑠璃に精神波的なものを放たれるのが嫌らしい。
(にしても、一体どこに連れて行くつもりなんだろうな?)
──ルリが、訊いてみましょうか?
(いや、狼自身が場所しか知らない可能性がある。どちらかと言えば、場所云々よりも旧道を中心にした諸々の思惑の方が気になるからな。この先で、誰か話の出来る奴がいれば良いんだけどな)
既に、再びロケットへしまった朱羽根を見せた際、狼が道案内を始めたという事からクリムエーラが関わっている事は確実だ。更に、ここはルクスタニアの国土ではあるが領地として治めているのは辺境伯で、その部下のカールが確かクリムエーラとは懇意にしていると口にしたのをアレルは思い出す。そして、それは辺境伯の息子であるエリオットも知っていたので、そんな関係性があるなら無断でこんな事をしているとは考えにくい。
もしかしたら、この旧道に関する一連の事の裏に、辺境伯の思惑すらも絡んでいるのかもしれない。そう考えると、アレルはこのまま狼の案内に従ってついて行くのも、多少の危険があるかもしれないと考える。
カールが言うには、現商会長が誰かは知らないが、会長代理のニコラオスには便宜を図ってもらっているとの事だった。そこで、ロバートの話からすると、元々存在していた朱羽根は三兄弟それぞれに一つずつだと考えられる。そして、その持ち主が現商会長、ニコラオス、最後の一つをアレルはパメラから預かっている。
(何で、そこでパメラがディミトリスの朱羽根を持っていたのかだけ謎だけど、変なお家騒動みたいになってなければ良いんだけどな)
現状、持っている情報では辺境伯が限りなく白に近い灰色と判断しているアレルだが、そんな辺境伯が利用されてないとは言い切れない。もしも、クリムエーラ内で現商会長とニコラオス間での対立が起きていた場合、辺境伯と面識のあるニコラオスがその縁を利用してこの場で良からぬ事を企てている可能性もない訳ではない。
そう考えると、ここまでクリムエーラを信頼し切っていたアレルだったが、途端に不安になってくる。結局のところ、あくまでアレルが信頼しているのはパメラであって、これまで信用してきた商会の人間は全てパメラとの関わりの深い人物達であった。対立がある場合、パメラがどちらについているのか判らないが、パメラが対立している側にアリシア達の情報が渡るのは不味いのではと、そこまで考えたアレルはふと思い出す。
(そもそも、黒羽根がそういう時の自浄作用を担っているんだっけ)
それを思い出した途端に、アレルの不安はみるみる小さくなり消えていく。何故なら、レイラとジーナも黒羽根ならば、ロバートも黒羽根なのだ。
そのロバートは、これまで仕事から離れていたが、これからは少しずつ戻るとも言っていた。そもそも、昨日シープヒルに周辺の黒羽根を集めて警戒させていると口にはしていたが、ロバートならばそれだけに留まらず何かしらの号令をかけた可能性がある。
そう考えると、シープヒルに集められた黒羽根は昨日アリシア達が宿に帰った時点で方方へ散り、そのロバートの号令に従っているとも考えられる。なので、この狼を介した道案内もロバートによって用意されたものの一環かもしれないという考えに落ち着く。
(だとしてもだ、ロバートの奴少し大仰過ぎやしないか?)
──主様は、これがロバート様の用意されたものだとお考えなのですか? 確かに、ロバート様は主様に対して過剰な所がある様に感じられましたが、あの方ならもう少し判りづらくやる様な気がルリにはします。
(そうか······なら、これは別の奴がやっている事なのか)
瑠璃の感覚に、アレルも確かにロバートなら助けだと判らない様に助けてきそうな所があると考え直す。ただ、そこへ何故アレルがそんな事を考えていたのかを慮った瑠璃が、アレルの不安を軽くする一言を伝えてくる。
──それでも、誰かを陥)れようなどという悪意は感じられないので、主様の考えは杞憂だとルリには思えます。
(······だな、瑠璃がそう言うならそうなんだろうな。ありがとな、瑠璃)
──はいっ、ルリでお役に立てるなら何でも言って下さい!
そう言って、嬉々とした感じを伝えてくれる瑠璃に笑みをこぼしながら、アレルは考え過ぎるのも良くないなと反省する。そして、とにかく何があっても良いようにと頭と心の柔軟さを意識しつつ、先導する狼の後に続くのであった。




