一章〜出逢い〜 五話 笑顔の輝き
「それは······行きずりの俺みたいな、信用ならない相手に頼む事か?」
「はい、最初は影獣を蹴りに行くなんて、なんて無謀な方なのだろうと思いました。······でも、今なら理解できます。あの騎士の兜、もう少しで壊れる寸前だったのですね」
アリシアは、チラリと鎧男を一瞥しながら話す。
そんなアリシアに、青年は照れ隠しで肩を竦める。
「まあ······な」
青年が、影獣を蹴る少し前、兜から聞こえてくる音が明らかに変化していた。
それもあって、青年は影獣を蹴りに行ったのだが、アリシアは落ち着いた今、ようやくそれに気付いた。
しかし、アリシアの気付きはそれだけに留まらない。
「それに、あなたは影獣が魔法を使う時も、私が巻き込まれる位置にいないか、気にされてくださいましたよね? ······それだけでも、あなたは充分に信用に足る人物だと思います」
アリシアは、落ち着き払った声で、ただ真っ直ぐに青年への信用を語る。
しかし、その真剣さが逆に、青年の不安を煽ってしまう。
「······もし、俺が断ったらどうするんだ?」
青年には、自身の記憶が無い。
それ故に、助けを請われても、必ず助けられるという根拠も自信も無い。
だからこそ、青年はアリシアに問い掛ける。
自分が、断った場合の次善策はあるのかと。
「えっ!? それは······その、急いでコルトまで行き、冒険者の方に──」
「駄目だな。冒険者、それもアンタが信用出来る奴がいる保証がない。その上、アンタみたいのが護衛もなしに、一人で街まで無事に辿り着けるのか? 何より、今から行って探してでは、時間が掛かり過ぎるだろ」
青年は、コルトの治安の良し悪しなども考慮して、ダメ出しをする。
それに、アリシアは他に何かないかと、視線を泳がせる。
「で、では、私が一人で──」
「そもそも、一人でどうにもならないから、助けを求めたんじゃないか?」
「うっ······それは、その通りですが」
青年の指摘に、アリシアはあたふたとしながらも頑張って反論していたが、遂には暗い表情で項垂れてしまう。
そんな、何の次善策も用意出来ないアリシアに、青年は仕方ないかと覚悟を決める。
「必ず······なんて、約束は出来ない。それで、構わないなら手伝ってやるよ」
「本当ですかッ!?」
それまで、断られているのだと感じていたアリシアは、青年の言葉に思わず詰め寄る。
青年は、そんなアリシアと間を作る為に、敢えてアリシアの顔の前に人差し指を立てる。
「但し、どこまでやるかは勝手にさせてもらう。俺には無理だと判断したら、そこで手を引く。それと、アンタ達の状況を教えてくれ。······助けるのは、さっき話に出たミリアとメリルっていう二人でいいのか?」
「はい、その二人です」
「次に、相手の数と最後に見た二人の状況は?」
「えっと、あの時······私達を追ってきていたのは、そこで倒れている方ともう一人です。そのもう一人の騎士に、メリルが捕まって人質にされてしまい、ミリアがその場は何とかするから、私には一人で逃げるようにと······」
そうして、その時の状況を思い出したせいで不安が増したのか、アリシアは自身の胸を抑える。
それに、申し訳ないと感じつつも、青年は質問を続ける。
「逃げろって言われたなら、はぐれた場合の合流場所とか、決めてあったのか?」
その言葉に、アリシアはゆるゆると、力無く首を横に振る。
「······いいえ、決めてはいませんでした」
そこまで聞いて、青年はアリシアが置かれた状況と、その対処に思考を巡らせる。
(······つまり、最悪だと二人共捕まっていて、それを助けなければならない。その場合、人質を捕られた状態で、騎士との戦闘を考えないといけないな。あとは、ミリアって奴が有言実行で、騎士から人質を取り戻している場合か。これはこれで、向こうとこっちで互いに動くと、合流が難しくなる。まあ、そうして無闇に探してすれ違いにならない様に、普通は互いに近くの街まで行くんだけど······まあ、まずは捕まったって場所に行ってみるしかないか)
青年は、そう決めると大きく頷く。
「分かった。まずはアンタ達が襲われた場所に案内してくれ」
「は、はい。では、何か準備とか必要な事はありますか?」
「いや······準備とかは、状況を確認してからだから」
「?」
青年の返答に、アリシアは小首を傾げる。
その、いかにもな反応に、青年は肩を落とす。
「いいか? もし、ミリアってのがなんとかもう一人と逃げて来られたなら、アンタが逃げて来た道を引き返すだけで合流出来るかもしれない。もう一つ、二人が既に捕まってしまっていた場合、遠目に状況を確認して安全に二人を助ける方法を考えるしかない。最後に、二人も騎士もいなかった場合、騎士に二人がどこかに連れて行かれたか、二人が状況を脱してどこかに向かったって考えられるだろ?」
「は、はい······」
目を丸くして、話を聞くアリシアに、青年は更に続ける。
「もっと言えば、連行される可能性はかなり低い。これは、二人がアンタを逃している事から、騎士の狙いがアンタの方にあるって事だ。だったら、アンタを捕まえるまでは、二人だけを先に連行するなんて事はしないだろう。だから、まずはどうなっているか状況の確認を──って、どうした?」
青年は、自身の考えを締めくくる直前に、アリシアが不満気にしているのに気付く。
何故かは判らないが、アリシアは青年をジト目でにらみながら、僅かに頬を膨らませている。
「先程からアンタアンタと、これから行動を共にする相手に失礼だとは思わないのですか?」
「······はぁ?」
何の脈絡もない内容に、青年が呆気に取られていると、好機とばかりにアリシアは捲し立てる。
「本来、協力が必要とされる場面では、お互いに名前を呼び合う事で信頼関係を築くものだと聞きました。それなのに、あなたはアンタアンタと、本当に失礼ですっ」
アリシアは、人差し指を立てて、さもそれが常識であるかの様に語る。
ただ、それに青年は呆れ顔を向ける。
「そんな事の前に、連れの安否は気にならないのか?」
「大丈夫ですっ! ミリアは、男性騎士にも負けずに近衛にまでなったのです。だから、きっと大丈夫です」
「······。まあ、そこで寝ている奴がアンタを逃した場合を考えると、二人はアンタに対する人質に使えるから、最悪無事ではあると思うけどな」
(それにしても、近衛ときたか······それに加えて、高度な治癒魔法を使える同行者。それと、このフード女の口振りや仕草、世間擦れしてない感じから、王族かその血縁ってところか。······そんな身分の人間が、逆賊呼ばわりされて追われる理由って何だ? なんにせよ、危ない事に首を突っ込みかけているのだけは確かだな)
青年は、そう考えると、改めて気を引き締め直す。
そして、そんな事お構いなしに、アリシアは自分の話を続ける。
「それならば、お互いに名乗るぐらいの余裕はあるのではありませんか?」
アリシアは、青年の推察で言質を得たとばかりに、名乗り合いを提案してくる。
「······ハッ」
しかし、青年はアリシアが失念している事もあり、視線を外して鼻で笑ってしまう。
それには、思わずアリシアもムッとする。
「なっ!? あなた、その態度は──」
「言っただろ? 俺は、記憶喪失だって」
「えっ? ······あっ」
青年の態度に、憤慨しそうになっていたアリシアだったが、青年の一言で自身の失念を自覚する。
やれやれと、言葉を失うアリシアを、青年は呆れた目で見る。
「こっちは、名乗りたくても名乗る事が出来ない。それなのに、相手の名前だけ聞き出そうとするのも無礼だろ。まあ、誰かがいい名前でも考えてくれるなら──」
「わかりましたッ! 私に、任せてください!」
「いいんだ······けど、って······えっ?」
青年の言葉を聞いていなかったのか、アリシアは自身の提案を通す為の方法を考えていたようで、それが青年の軽口と偶然の一致をみせていた。
すると、呆気に取られる青年を他所に、考え込んでいたアリシアは不意に顔を上げる。
「決めました! アレル──今から、あなたの名前はアレルですッ!」
予め、いくつか候補でもあったのか、アリシアはそこまで深く考えずに、両手を差し出すようにしながら青年に宣言する。
「アレル······か」
「何か、不満でも?」
ボヤく青年に、アリシアは両手を腰に当て、下から青年の顔を覗き込む。
それに、青年は肩を竦める。
「不満って訳じゃない。ただ······名前の響きが、どこぞの勇者みたいだなって思っただけだよ」
「ええ、物語に出てくる勇者の名前ですから」
自身の印象そのままだった事に、青年は思わず閉口してしまう。
しかし、ソワソワと自身の反応を心待ちにするアリシアを前に、そのままでいる事が出来なかった。
「まあ、その······なんだ。アンタの期待に応えられるかわからないけど······今日から、いや今から俺は、アレルだ。よろしくな」
首に手を当てながら、照れくさそうに答える青年──アレルに、アリシアは満足そうに頷く。
「はい! それでは──」
言いながら、アリシアはフードに両手を掛けて、それを後ろへと取り去る。
それから、ローブ内の髪の毛も、外へと引っ張り出す。
「──私は、アリシア······今は、ただのアリシアです。宜しくお願いしますね、アレル!」
バサッ、と露わになった腰程の長さの髪は、サラサラと絹糸のようでありながら、濡髪の様にキラキラと陽光を反す青みがかった、銀髪の美しさが陽の下に映える。
目鼻立ちが整った北欧系の顔でありながら、未だ少女の愛らしさと女性が持つ艶やかさが同居した顔立ち。その中に、息を呑む様な美しさの、涼やかさを感じさせる氷青の瞳が輝いている。
そんなアリシアは、どんな闇すらも打ち払えてしまうような、それでいて陽光の様な朗らかな笑顔をアレルに向ける。
蒼銀に氷青、そんな冷たい印象を与えかねない特徴ながら、温かみと和やかさしか感じないアリシアの笑顔に、アレルは時の流れから切り離された様な感覚を味わっていた。